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第十二話 鬼灯衆

 結局、ソフトクリームは食えなかった。  山を下りたときには売店が閉まっていて、三条(さんじょう)が子供みたいに残念がっていたのがおかしい。七百年もののバケモノだの、天狗の長老だの尾根の上の不気味な影だの、さすがの俺もキャパオーバーだ。  一日の締めがソフトクリームの食えずに悲しむ男なんて、締まらないにも程があるが、そのおかげで少しだけ肩の力が抜けた。  翌日に出勤した俺たちの報告を、久世(くぜ)さんは目を閉じて聞いていた。  封印の結び目が四つまで解けかけたこと。天狗が完璧に守っていたにもかかわらず誰にも手を出されず、内側からひとりでに崩れていたこと。三条が応急で抑えたが、遅らせるのが精一杯だった。そして長老の言葉。 「もう持たん、と……天狗さんが言ってました」  俺が伝える間、久世さんはずっと黙っている。いつも穏やかなこの人の顔に表情がないのは、やたらおそろしい。 「それから、尾根の上に影がいました」  三条が静かに続けた。 「鬼灯衆(ほおずきしゅう)の手の者とは気配が違う。ただ立ってこちらを見ていただけです。なのに見ているだけで封印が軋んだ」 「……顔は」 「見えませんでした。ただ——」  三条がわずかに間を置いた。 「糸を引いている者だと思っています」  久世さんはゆっくりとうなずいた。驚いた様子はない。心当たりがあるのだろう。 「あと、もうひとつ」  俺は言おうかどうか迷って結局言った。 「天狗の長老に帰り際、呼ばれたんです。なつかしいお方、って」  久世さんが息を呑んで、俺を見つめた。三条もこちらを見るが、相変わらずサングラスの奥が読めない。 「初対面なのになつかしいもなにもないだろうって思ったんすけど。物言いがちょっと引っかかって」  久世さんは考えているというより、言葉を選んでいる。やっと口を開いた。 「……長老はとても長く生きている方です。天狗の寿命は二百年だそうけど、長老はもっともっと長命でいらっしゃる。たまに初対面の相手に、ご自分の記憶を重ねることがあるの」  はぐらかしではないと思うが、久世さんはなにかを隠している。追及はしなかった。ここまでのことで学んだが、この人たちに詰め寄っても準備ができるまでは話す気がない。俺だってはいそうですか、と受け入れたくはないが、さすがは秘匿されてきた組織の人間というところだ。  もどかしいったらない。なぜこのふたりは俺を守ろうとするのだろう。陰陽師ではない、しがない刑事だからか。 「桃山(ももやま)くん」  久世さんが少し姿勢を正した。 「鬼灯衆の動きはもう点ではありません。井の頭公園、目黒、高尾。ぜんぶ繋がっている。あなたも気づいているでしょう」 「庚人(かのと)を復活させようとしてる連中だ。そうなんでしょう」 「ええ」  久世さんがうなずく。 「鬼灯衆。七百年前に庚人が封じられてから、残党がずっと潜伏してきた集団です」 「さすがに根性ありすぎじゃないですか?」 「そうとも言えますね。でも、実態はほとんど壊滅していたの」  俺のすっとんきょうな物言いに、久世さんの声が少しだけ柔らかくなった。大人しく壊滅されてりゃいいものを、人の魂を糧にするなんて術を継承するために頑張りすぎじゃねえか。 「太平洋戦争時、東京大空襲で当主の最後の生き残りが死に、拠点も焼けて全滅した。以降残った者たちはまがいもので、『鬼灯講(ほおずきこう)』と名乗って活動を続けていたけれど。私たちはずっと経過観察していて、実害のある動きはなかった。——だから」 「だから、俺に話すようなことじゃなかった」 「そう。桃山くんが出向してきたときも、鬼灯講はまだ監視対象のひとつでしかなかった。井の頭公園であらわれた『先生』も、まがいものの一人だと思っていたし、実際にあのカルト集団も活動内容はお粗末なものでした」  ため息をついて、久世さんは悔しそうに目を細めた。 「けれど五色不動(ごしきふどう)を同時に狙い、高尾の封印を遠隔で溶かす手口は、まがいものにはできない。あれは本物の術式を知っている者の仕業です。誰かが残党をまとめて、鬼灯衆を戻しつつある。七百年封じてきたものを解きにかかっている」 「それが、尾根にいたあの影ってことか」  久世さんは「計画的で周到です。それに、かなり急いでいる」と、俺の質問に答えるかわりに言った。 「裏を返せば、向こうにも猶予がないのかもしれません。もうひとつ気になることがあります」  タブレットを開いて、久世さんは地図を見せた。東京の中心部、大手町だ。 「将門塚のあたりでここ数日、ちょっとした異変が報告されています。オフィスビルの電子機器が誤作動、信号が狂う、カラスが異常に集まる。五色不動のときと似た動きです」  将門塚とは平将門の首塚だ。東京のど真ん中、大手町のビルに囲まれたあの小さな塚。俺でも知っている、動かそうとした者が次々に祟られたという都市伝説の定番だ。 「将門公の塚と庚人の封印に、関係があるんすか」 「将門公は東京を守る霊のひとつ。結界のもうひとつの軸です」  久世さんは地図の上に指を置いた。 「五色不動が環の杭なら将門塚は環の中心に近いもうひとつの楔。ここが揺らぐということは……」  言葉を切って久世さんは顔を上げた。 「続きは調べてからにしましょう。桃山くん、衣織(いおり)くん。今日は帰って休んで。次の仕事はたぶんすぐに来ますよ」  帰りは三条が送ると申し出た。どうせ家に上がり込むのだろう。俺はあきらめモードでハンドルを譲る。高尾の疲れがまだ抜けていない。  助手席から、流れていく夜の街を眺める。山手線の高架を銀色の電車がくぐっていった。あれが結界の環だ。七百年前のバケモノを東京ごと閉じ込めている檻の輪郭。ほんの二週間前までただの通勤電車だと思っていたものが、まるで違って見える。  街灯もビルの明かりも交差点の信号もぜんぶ、なにかの上に建っている。封じて守って知らん顔して回り続けている巨大な仕掛けの上に。この街に暮らす何百万の人間はそんなこと知りもしない。俺だって、ここへ来るまでは知らなかった。 「なあ、三条」 「はい」 「この街、見え方が変わっちまったな」  三条は前を見たまま少しだけ笑った。 「ようこそ、魑魅魍魎の世界へ」  軽い調子だった。だがその声の底に長い長い時間の重さがほんのわずか滲んでいる。  俺はしばらく黙ってから口を開いた。 「なあ。俺たちずっと後手に回ってんだろ」 「……否定は出来ませんね」 「刑事ってのはな、犯人が動くのを待つ商売じゃねえんだよ。こっちから追う。鬼灯講の金の流れ、逃げた先生の足取り、SNSでの信者募集。表から洗えることは山ほどある」 「では私は裏から」  三条の眉が、ひとつだけ動いた。声から、ふざけた響きが引いている。 「あの尾根の影が残した気配を辿ります。術には術の足跡がある。五色不動と高尾に残っている痕跡を突き合わせれば、居場所に近づけるかもしれない」 「お前が裏で、俺が表か」 「ええ。両輪で攻めていきましょう」  三条が、ふっと笑った気配がする。今度の笑いにはさっきまでの重さはない。 「——こちらから仕掛けましょう」 「おう。ジャスティス・デカ・パワーと、ジャパニーズ・オカルティック・パワーの合わせ技だ」 「それ、気に入っていますか?」 「特撮みたいじゃん」 「では、爆発の背景を用意しましょう」 「いいねえ、お前、なにレンジャー育ちだよ?」 「私はプリキュア派でした。妖精がキュートで」 「え、女のきょうだいでもいる?」  さんざん現実離れした会話をこいつと繰り広げたけど、本来ならこっちが先だよな。  窓の外へ目を戻す。銀色の環が夜の街をぐるりと囲んでいる。  あの環の内側でなにかが動き出している。  だったら、こっちも動く。

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