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第十三話 将門塚の異変

 俺は俺の領分で戦うことにした。  まず武蔵野署の元同僚に電話を入れる。井の頭の一件で世話になった男だ。鬼灯講(ほおずきこう)のことを訊くと、少し黙ってから「あのカルト絡みか」と言った。篠田マナの件のあと、生活安全課が動いていたらしい。 「強犯係のお前がなんで気にしてんだよ」 「出向先の案件でな。カルトの素性を洗いたいんだが、俺の立場じゃ直接手が出せねえ」 「生安の担当に繋いでやるから。ただし筋は通せよ、対策室の名前で正式に照会かけろ」  筋を通す。出向の身でいちばん面倒くさい部分だが、避けて通れない。久世(くぜ)さんに頼んで対策室名義の照会書を出してもらうことにした。  その間に、できることは自分でやる。鬼灯講の所在地はマナの部屋にあったパンフレットに記載されていた。住所は武蔵野市内のマンションの一室で、法人登記はされていない。任意団体としての届出もなし。つまり税も払っていないし、表向きの実体がない。 「幽霊団体か」 「幽霊の相手は本業でしょう、桃山(ももやま)刑事」  対策室のデスクで和紙を広げていた三条(さんじょう)が、顔も上げずに言った。墨で書かれた星型の上に、五色不動(ごしきふどう)と高尾で回収したほおずきが並べてある。  五芒星(ごぼうせい)、というのだとか、なんとか。三条が嬉しそうに蘊蓄を垂れていた。 「そっちはどうなんだ」 「気配の残滓を照合しているところです。五色不動に食い込んでいた術式と高尾の封印を内側から腐らせた力には共通の筆跡がある。同一人物か、少なくとも同じ系統の術者です」 「尾根に見えた、あいつかよ」 「おそらく。ただ、足跡が巧妙に消されている。辿るにはもう少し手がかりが必要ですね」  三条がちらっとこちらを見た。 「桃山刑事のほうが先に辿りつくかもしれませんよ。表の捜査と裏の術、どちらが速いでしょうか」 「競争かよ」 「両輪ですから。片方が速ければ、もう片方も引っぱられる」 「上等じゃねえか、負けねえぞ」  俺はパンフレットの住所をメモしてジャケットを掴んだ。刑事の足ってのは、こういうときに使うもんだ。  武蔵野市のマンションは、吉祥寺から二駅ほど離れた武蔵境の住宅街にあった。築三十年はありそうな、くたびれた中層マンションだ。パンフレットに記載されていた部屋は三階の角部屋。インターホンを押しても応答はない。ドアポストを覗くと、中は暗くてなにも見えなかった。  表札はなく、郵便受けにはチラシが溜まっている。数日ぶんじゃない、数週間は放置されている量だ。篠田マナの一件のあと、ここは引き払われている。  隣の部屋のインターホンを押した。応じたのは六十がらみの女性だ。 「すみません、お隣のかた、最近見かけませんか」 「警察のかた?」 「そうなんですよー、ちょっとお話を」  警察手帳を見せると、女性は少しだけ身構えてからドアを開けた。聞けば隣の部屋には半年ほど前から四十代くらいの男が出入りしていたが、ひと月ほど前にぱたりと来なくなったという。 「背の高い、痩せた男でしたよ。穏やかそうな顔で、すれ違うといつも丁寧にお辞儀してくれて。若い女の人が出入りしていたこともあったかなあ」 「この男に見覚えは」  俺はスマホに保存しておいた『先生』の似顔絵を見せた。井の頭弁天の件で所轄が作成した、あのフードの男の人相書きだ。  女性は眉をひそめて、首を横にふる。 「……うーん、似ている気がするけど、雰囲気が全然違うわ。お隣の人はもっと柔和で、シュッとしてて」  表の顔と裏の顔。カルトの主宰者にはありがちな使い分けだ。同一人物かどうかは断定できないが、少なくともここが鬼灯講の拠点だったのは間違いない。  管理人にも当たった。契約者名は個人名で、家賃は毎月ATMからの現金振り込みだという。足がつかないようにしている。 「振り込みの名義は」 「ええと……高遠(たかとお)、とかいう名前でした。漢字はこう」  タカトオ。高いに、遠い、と。  俺はその名前をメモした。実在の名か。どのみち偽名だろう。もう少し裏を取る必要がある。生安の照会が通れば、振り込み口座の情報も出てくるかもしれない。小さいが、確かな糸口だ。  マンションを出て、近隣のコンビニや不動産屋も回った。不動産屋の店員が「あの部屋、契約のとき身元確認がゆるかったんですよ。大家さんが高齢で」とこぼした。  反社が拠点を作るときの典型的なやり口だ。身元確認の甘い物件を狙い、現金で回し、足がつく前に消える。  鬼灯講はお粗末なまがいものだと久世さんは言っていた。たしかに術式としてはそうなのかもしれない。だが組織としての隠れ方は、それなりに手慣れている。まがいものたちを束ねて動かしている、別の頭がいるはずだ。  そこまで掴みかけたところで、電話が鳴った。久世さんだ。 「桃山くん。将門塚の件、今朝また報告が上がったの。大手町のビル三棟で同時にエレベーターが停止、地下の配電盤が原因不明の過熱。それから塚の前の道路で信号が全部赤のまま五分間動かなかったそうです」 「五分は長いっすね」 「ええ。警視庁にも通報が入っている。表向きは設備の老朽化で処理されているけれど三件同時は偶然じゃないわ」  鬼灯講の捜査はここで中断だ。悔しいが、こっちのほうが急を要する。高遠の名前は頭に入れておいて、戻ったら続きをやる。 「行ってきます」  対策室に戻ると三条がすでに準備を終えていた。呪符を懐にしまい、すっと立ち上がる。 「将門塚は皇居の東側です。大手町の駅から歩いてすぐ。公用車を出します」  大手町は東京のど真ん中だ。ガラス張りのオフィスビルが林立して、昼どきのサラリーマンが足早に行き交っている。霊山も天狗もない、スーツとネクタイの街。こういう場所のほうが、むしろ俺には馴染む。  だが塚の前に着いた瞬間、空気が変わった。  将門塚はビルとビルの谷間にある。思ったより小さい。石碑と手入れされた植え込みと供えられた花。都心の一等地にぽつんと残された異物みたいだ。周囲のビルは数十階建て、塚はその足元にある。再開発で動かそうとするたびに祟りが起きたという話は有名で、結局誰も手を出せないまま残った。 「将門公は怒っておいでだ、というのが俗説ですが」と、三条が塚を見つめる。 「実際には怒っているのではなく、守っているんです。この場所に留まって、東京を」 「守ってるのに、その守りが揺れてるってことか」 「ええ。将門公の力をなにかが掻き乱している」  塚の周りを歩いてみた。昼間のオフィス街だ。異常らしい異常は見えない。だがスマホを取り出すと画面がちらついた。電波は立っているのに表示が一瞬ぶれる。 「三条。スマホがおかしい」 「私のも同じです」  三条がサングラスの奥で目を細めた。 「電子機器に干渉するほど場の気が乱れている。五色不動のときと似ていますが、質が違う。もっと深い」  塚の裏手を回ったとき、足元の植え込みの隅に見覚えのあるものが転がっていた。  乾いた小さな赤い実。ほおずきだ。 「また、こいつか」  三条が黙ってしゃがみ、いつもの和紙を取り出してそっと包んだ。どこまで増えるんだ、それ。 「将門塚にまで仕掛けてきている。加速していますね」 「高尾の天狗が言ってたとおりだ。次は見てるだけじゃすまないって」  三条がうなずいて立ち上がりかけた、そのときだった。  頭の奥でなにかが光る。  暗い場所。冷たい手。小さな自分がどこかに閉じ込められている。泣きたいのに声が出ない。遠くで誰かが笑っている。やわらかくてやさしくて、だから余計にこわい笑い声。  一瞬だった。ほんの一瞬。  気がつくと塚の前に立っている。三条がこちらを見ていた。 「桃山刑事。顔色が」 「……なんでもない」  嘘だ。なんでもなくはない。夢じゃなく、起きているのに知らない記憶みたいなものが、一瞬だけ頭の中を横切っていった。  いつの記憶だ。こんなもの、覚えがない。 「なんでもねえよ」  俺はもう一度言って塚に背を向ける。三条は黙ってついてきた。なにか言いたげな雰囲気だけは察する。今度は三条のほうが踏み込まなかった。  駐車場までの道すがら、三条がコンビニに寄って、缶コーヒーを買ってきた。渡されたのは、砂糖もミルクも入った甘いやつだ。俺がいつもブラックしか飲まないのは、こいつも知っている。 「……甘えな」 「疲れた頭には、そちらが効きます」  それきり、なにも訊かれなかった。甘ったるい一口が、腹の底のひやりとしたものを少しだけ溶かしていく。  歩きながらビルの谷間を見上げる。ガラスの壁に空が映っていた。ただのオフィス街、ただの昼どきの大手町だ。  なのにさっきの一瞬がまだ頭の隅にこびりついている。暗い場所。冷たい手。笑い声。  俺はあれを知っている。知っているのに、思い出せない。  だが鬼灯講の捜査で掴んだ名前も、まだ頭にある。高遠。振り込み口座の名義。『先生』の上にいる誰かに繋がる糸口。  あの環の内側でなにかが動き出している。だったら、こっちも動いてやる。一歩ずつでも。

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