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第十七話 将門公を起こすな

 夜の大手町は、昼間とは別の顔をしている。  ビルの窓にはまだ明かりが残っているが、通りに人はいない。将門塚の周りだけは、久世(くぜ)さんの手配で区画整理の名目で封鎖してある。表向きは夜間工事だ。  三条(さんじょう)が車のトランクから長い木箱を取り出した。中を覗いて、俺は拍子抜けする。霊符(れいふ)の束と、白い米の入った小さな壺。それから、植木鉢みたいなテラコッタ焼きの器がひとつ。 「……ずいぶん素朴だな。百均で揃いそうだ」 「素焼きの土器です。百均にはありませんよ」  三条が器を取り上げて見せた。よく見ると、内側にも外側にも、びっしりと文字が書き込まれている。墨の文字が渦を巻くように、縁から底まで埋め尽くしていた。おびただしい、という言葉が浮かぶ。ちょっと引くくらいの密度だ。 「器に(しゅ)を写して、抜いたものを受けるんです。米は散米、撒いて場を清める。霊符は言わずもがな。道具立ては古いほど、こういう仕事には向いています」  三条の声に、普段の余裕がなかった。 「ひとつ、最初に言っておきます」  塚の前に立って、三条は振り返った。サングラスの奥の目が、暗い中でもわかるほど厳しい。 「今夜の作業でいちばん大事なのは、ほおずきを抜くことではありません」 「じゃあ、なんだ」 「将門公を、起こさないことです」  夜風が止まった。塚の上のカラスが、一羽も鳴いていない。昼間はあれだけうるさかったのに。 「あの塚の下に眠っているのは、菅原道真、崇徳院と並ぶ、日本三大怨霊のひとりです。この塚を動かそうとした者が次々に祟りに遭ったのは、都市伝説ではありません」 「……伝説じゃねえのかよ」 「事実です。大手町の再開発でこの塚を取り壊そうとした関係者が、次々に亡くなった。だから令和の今も、ビルの谷間にぽつんと残っている。あれだけの一等地に、誰も手を出せない」  都市伝説のたぐいだと思っていたが、塚の目の前で陰陽師の口から聞かされるのはぞっとしない。 「将門公は守っている、と桃山(ももやま)刑事に説明しましたね。その通りです。守っているということは、眠りながら力を行使しているということ。もし目を覚ましたら守りの力が暴走する。東京の結界は内側から大破します」 「待てよ。じゃあ鬼灯衆(ほおずきしゅう)が将門塚にほおずきを仕掛けたのは——」 「楔を腐らせるだけが目的じゃない可能性がある。将門公を怒らせて、内側から結界を壊させる。そっちが本命かもしれません」  背筋が冷えた。昼間に見た畳の跡を思い出す。あいつらなら、やりかねない。 「つまり今夜の作業は、寝ているやつの枕元で、そいつの歯に刺さった棘を抜く、みたいなことか」 「……ものすごく雑な喩えですが、だいたいそうです。ただし将門公の眠りを揺らすのは、物理的な音ではなく呪術的な波紋です。大手町はトラックもサイレンも走りますが、あれでは起きない。霊符を塚の前で発動させるような、呪の刺激が危険なのです」 「ってことは、俺は叫んでも殴っても構わねえんだな」 「ええ。そちらはお得意でしょう。十中八九、手の者が邪魔しに来る」 「ああ、俺が敵なら来る。せっかく埋めたほおずきを抜かれるのを黙って見てるわけがねえ。もしそいつらを阻止できなかったらどうなるんだ」 「将門公の眠りを揺らせる。最悪のパターンです」 「俺の仕事はお前を妨害するやつらを、ひっぺがして大人しくさせること、だろ?」 「お願いします。私は手を止められません」  三条が米をひとつかみ、塚の周りに撒いた。米粒が落ちた場所が、白く光った気がする。それから霊符が四方に敷かれ、文字だらけの土器が塚の前に据えられる。  三条が片膝をついて、地面に霊符をかざして目を閉じた。しばらくして、地面の一点がかすかに赤く透けた。ほおずきの位置だ。高尾の封印の岩より、もっと深いところに埋まっている。 「始めます」  三条の指先が、地面のすれすれを滑るように動いた。物理的に掘るのではなく、術で地中の結び目に一本ずつふれている。少しでも強く引けば将門公の根を揺らす。その境界線の上を、髪の毛一本の幅で辿っていく。  俺は三条の背後に立った。片手を背中に当て、もう片方の手は空けておく。周囲の闇を目と耳で探る。  一本目が外れた。二本目にかかる。  植え込みの向こうで影が動いた。  ふたりいる。普通の服装だ。パーカーにジャージ、スニーカー。深夜のオフィス街には不釣り合いな、大学生みたいな格好の若い男たちだが、歩き方がおかしかった。  ゾンビのような歩き方でこちらに来る。手元には霊符が握られていた。  迷いも躊躇いも、足音すらほとんどない。声をかけてくる気配もない。目が暗がりでもわかるくらい、うつろだった。 「こら、警察だ! きみたち、止まりなさい!」  反応がない。聞こえていないんじゃなく、そもそも聞くための耳がついていない。そんな歩き方だ。 「桃山刑事、彼らは霊符を持っています。けして近づかせないでください!」  とっさに三条が叫ぶ。この男たちはどう見ても陰陽師や鬼灯衆のたぐいじゃない。操られてると、直感した。理屈はあとだ。あの霊符を塚の前で光らせたら終わる。  卑怯な手だと承知で、俺は砂を掴むと、奥側の男の目に向かって投げつけた。男は痛そうに目を掻きむしり、動きが鈍くなる。  すきができたので、俺は前に出た。手前側、一人目の腕を掴みにいく。  来た。  掴むより速く、拳が飛んでくる。とっさに首を振ってかわすと、風圧が頬をかすめた。今のはボクシングのジャブだ。それも、かじった程度じゃない。腰の入った、打ち慣れた拳。  二発目、三発目。コンビネーション。ガードの上から腕が痺れる。なんだこいつ、強え。  二人目が回り込む気配がした。視界の端で、足が高く上がる。テコンドーか。回し蹴りが米の壺を蹴り飛ばして、白い粒が夜の路面に散った。  二人とも、一言も発しない。息遣いさえ聞こえない。攻撃は苛烈なのに、殺気がない。怒りも、敵意も、なにもない。ただプログラムを実行するみたいに、正確に強く打ってくる。  気味が悪い。だが感心してる場合じゃなかった。  一人目のストレートをかわし損ねて、みぞおちに食らった。息が詰まって、膝が落ちかける。歯を食いしばって堪えた。倒れたら、三条の背中ががら空きになる。  そっちがボクシングなら、俺は柔道技をしかけてやる。中高、警察学校とブイブイやってきたんだぞ。打撃の間合いで付き合うな。  俺は痛みを呑み込んで、あえて懐に飛び込んだ。拳をもらう覚悟で距離を潰して、襟を掴む。掴んでしまえば、こっちのものだ。  引き手を取って、腰を沈め、回転して一本背負い。男の身体が宙を舞ってコンクリートに落ちた。受け身も取らない。ごろりと転がって、それでもまた、立ち上がろうとする。  二人目の蹴りが背中をかすめた。振り向きざまに足を払って、袖を引いて、自分ごと後ろに倒れ込みながら頭上へ放り投げる。巴投げだ。  男が落ちる。霊符が手から離れて、舞った。  落ちる瞬間、霊符が一瞬だけ青白く光る。  一斉にカラスが鳴いた。  塚の上の群れが首を持ち上げて、がああ、と声を上げた。ビルの壁に反響して、谷間全体が鳴き声に包まれる。地面が細かく震えた。  一瞬光っただけで、この有様だ。  三条は手を止めず、呪を唱え続けた。切開するような鋭い呪から、子守歌めいた低くゆるやかな詠唱になる。 「……お眠りください。なにも、ございません」  カラスの鳴き声がゆっくりと収まっていく。震えが止まる。  一難去って、また一難。転がった二人が、また立ち上がった。  受け身なしで投げられて立つだなんて、嘘だろう。痛覚まで切れてるのか。うつろな目のまま、ゆらりと、こちらへ向き直る。  きりがない。落とすしかないのか。だが、こいつら—— 「桃山刑事!」  三条の声が飛んだ。手は地面から離さないまま、首だけでこちらを見ている。 「背中です! 背中に霊符が貼ってある——剥がしてください!」  言われて、目を凝らした。一人目がよろけて前傾した瞬間、襟の下、首の付け根に白いものがちらりと見えた。  操り糸はあれってことか。  一人目の拳をかいくぐって、背後を取った。襟ごと掴んで引き倒し、背中に膝を乗せる。シャツの上から、肩甲骨の間に貼られた霊符を掴んで剥がした。  男が糸の切れた人形(にんぎょう)みたいに、かくんと崩れ落ちる。  そのまま動かない。気を失っている。  二人目が突進してきた。テコンドーの蹴りは速い。二発もらって脇腹が軋んだが、構わず組みついて、地面に引き倒した。暴れる身体を押さえ込んで、背中をまさぐり、霊符を剥がす。  二人目も、ばたりと沈黙した。  夜の路面に若い男が二人、眠るように転がっている。さっきまでの苛烈さが嘘みたいに、あどけない寝顔だった。 「……なんなんだ、こいつら」  息が上がっていた。みぞおちと脇腹が、いまさら痛みを主張し始める。 「操られていたんです」  三条が、地面に手を置いたまま言った。 「その霊符が、傀儡の術。本人の意思とは関係なく、身体だけを使われていた」 「じゃあこいつら、被害者かよ」 「ええ。おそらく、なにも覚えていないでしょう」  俺は剥がした二枚の霊符を見下ろした。篠田マナの護符よりずっと精緻な筆跡。三条が書く霊符もこんな具合だ。  本物の陰陽師が、なんの関係もない一般人を駒として現地調達して、ここへ送り込んだ。  手を汚さない。駒は使い捨てどころか、借り物で済ませる。  それから先の作業は、もう覚えていない。正確には覚えているのだが、時間の感覚がない。深々と埋められたほおずきの結び目を、ひとつずつほどいていく三条を見守る。  全部ほどけたとき、地面の赤い光がすうっと消えた。  文字だらけの土器の中に、しなびたほおずきの実がひとつ、ことりと収まっていた。色を失ってカサカサに乾いている。  三条は土器ごと和紙で包んだ。いつもの所作だが、指先がまだ緊張で震えている。 「……終わりました」  振り返った笑顔に疲れが滲んでいる。 「起こさずに、済みましたね」  倒れた二人は、久世さんが段取りをつけて救急と所轄に引き渡した。深夜の路上で気を失っていた青年、という扱いだ。  後日の事情聴取で、二人の素性がわかった。  どちらも体育大学の学生で、ひとりはボクシング、ひとりはテコンドーで、全国大会の入賞経験のある実力者だ。深夜にどうして大手町にいたのか、なにをしていたのか、ふたりとも覚えていない。  最後の記憶は、それぞれ大学近くの路上で「親切そうな女に道を訊かれた」ところで途切れている。  女の人相を訊くと、ふたりとも困ったように首をひねった。 「よく、思い出せないんです。きれいな人だった気はするんですけど」  それ以上は、まったく出なかった。  カラスの群れは静かになり、塚の空気が数日ぶりに凪いでいる。スマホの画面も、もうちらつかない。近隣ビルのエレベーターも正常に動くだろう。 「なあ三条。もし起きてたら、東京はどうなってた」 「……知らないほうが、よく眠れますよ」 「そういうの、いいから」 「では」と、三条が大真面目な顔で言った。 「ありとあらゆる都市インフラが止まります。手始めに山手線あたりがストップするでしょうか」 「規模がでかすぎて逆にピンとこねえ」 「ええ。そういうスケールの話です。だから知らないほうがよかったでしょう」 「……だな、知らないほうがよかった」  どっと疲れて笑う。三条もつられて口元をゆるめる。死ぬほど緊張したあとの、間抜けな笑いだった。 「それにしても桃山刑事。あの二人を素手で落とすとは。お見事でした」 「都大会九位を、舐めんなよ。悪かったな、微妙で!」 「いえ。全国入賞の二人を相手に、立派なものです」 「向こうは操り人形だったろうが。素の俺なら、たぶん負けてる」  みぞおちが、まだじんじんと痛い。明日はあざになっているだろう。  帰りの運転は、三条が当然のような顔でキーを取った。 「怪我人にハンドルを握らせるわけには、いきません」 「あばらにちょっともらっただけだっつの」 「みぞおちにも、もらっていましたね。お静かに、助手席でどうぞ」  反論する気力もなかった。素直に助手席に収まる。  車が走り出してすぐ、着信が入っていた。生安の担当者からだ。  折り返すと、男は少し困惑した声で言った。 「桃山さん。照会の件なんだけど、高遠崇(たかとおたかし)の戸籍、妙なことになってる」 「妙なことって?」 「高遠(たかとお)家の記録は闇の中ってことだ。本籍地を辿ると、戦前で記録が切れてる。今の墨田区役所にあたる本所区役所が全焼して、戸籍とそのバックアップもない。当然だが、除籍謄本の参照も無理だ。他にあたるとすれば」 「どこだ」 「群馬県の渋川市だな。高遠家の子供たちのなにかしらの記録が、役場に残ってる可能性がある。本籍住所の校区が集団疎開していた。そこから先はうちの管轄じゃ追えない。現地に行くしかないと思う」  電話を切った。  高遠崇の本籍が、戦前で切れている。存在しない男の戸籍は群馬に繋がっているのか。  運転席の三条は前を見ている。聞こえていたはずだが、なにも言わない。 「三条。群馬、行きたい?」 「……突然ですね。好きですよ、草津は日本有数の温泉街で——」 「出張だぞ、群馬に行く」  三条が少し驚いた様子で、信号待ちでこちらを向いた。 「表の捜査だよ。戸籍を追わないとならねえ。対策室の仕事じゃなくて、刑事の仕事。温泉は……ついでだな」 「……ついで、ですか」 「おう。ついで」  夜の公道を走りながら、頭の中の捜査板に付箋を足す。タカトオタカシ。群馬。戦前の記録。集団疎開。それから人を傀儡にする手口と、道を訊いてきた、きれいな女。  サツキとの繋がりは、まだ見えない。だが紙の先には必ず人がいる。人には名前があり、住所があり、家族がある。そこまで辿れば、顔が見える。  将門塚の楔は守った。だがこれはまだ防衛だ。攻めるのは、ここからだ。

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