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第二十話 歌舞伎町の信号機

「正面から行けば、店を畳まれます」  対策室は朝から作戦会議だ。久世(くぜ)さんの結論は早かった。  対策室に捜査権はない。警察を動かすには事件の立件が要るが、被害者は全員、住所も身元もない女たちだ。被害届のひとつも存在しない。下手に行政の顔で踏み込めば、御子柴(みこしば)は店を畳んで、女たちごとどこかへ消すだろう。 「なので、客として潜ります」  三条(さんじょう)がしれっと言った。 「歌舞伎町のキャバクラで、オーナーがわざわざ席まで挨拶に出てくる客はひとつ。一見さんでも気前よく、桁の違う金を落とす客です。贔屓にしてもらいたいでしょうから、向こうから来るはず」 「桁の違う金って、いくらだよ」 「高いシャンパン数本と、フルーツなんかも頼んだとして、席料と指名と諸々を込み——まあ、一晩で二百万というところでしょうか」  二百万って。月給の何か月分だろう。聞かなかったことにしたい。 「久世さん、それ、経費で……」 「落ちるわけがないでしょう」  即答だった。ですよね。内閣官房の精算書類に「接待交際費、キャバクラ」と書く度胸は、俺にもない。 「では、私のポケットマネーを使いましょう」  三条が足元のアタッシュケースを机に載せた。留め金を外すと、札束がどーんと詰まっている。  帯封つきの百万が、レンガみたいに積まれている。一、二、三、と数えかけてやめた。久世さんが眉ひとつ動かさないのが、いちばんこわい。 「お前……なんだそのゲンナマ。どこの組のもんだよ」 「投資が趣味なんです」 「……お前なら億り人だって告白されても驚きゃしないが、投資ってのは増やすもんだろ。キャバクラで溶かすもんじゃねえ」 「いいえ、これも投資ですよ」  三条はにこにこと留め金を閉めた。なにに対する投資なのかは、教えてくれなかった。  昼のうちに、もうひとつ仕込みをしておく。  区役所通りの植え込み。読みどおり、あの三人組のうち缶チューハイをストローで吸っていた女の子が、昼間も同じ場所に座っている。夜の街の子の生活圏は、案外狭い。 「あ、オジだ」 「オジじゃねえ、おじさんだ。……ちょっと頼みがある。ユメちゃんとキキちゃんの写真、持ってないか」  ストローの子はすこし迷ってから、スマホを出して、写真投稿用のSNS画面をこっちに向けてくれた。  正方形に切り取られた自撮りが並んでいる。不自然にもほどがある加工の奥に、素の顔立ちが透けて見えた。左目の下に泣きぼくろのある子がユメちゃん。垂れ目で八重歯の子がキキちゃん。最後の投稿は、三か月前で止まっていた。 「……見つけたら、教えてくれんの」 「ああ。約束する」 「ふうん」  俺はいくつかの画像をスマホで撮った。女の子はそれを黙認して画面を消すと、興味なさそうにそっぽを向き、ぼそっとつぶやく。 「べつに、友達ってほどじゃないけど。……いなくなっていい子では、なくない?」 「ああ、そうだな。おじさんに任せておけ」  俺が言い切ると、女の子はちょっとだけ笑った。  夜が来た。問題は、俺の格好だった。 「桃山(ももやま)刑事。お衣装です」  対策室で三条が広げたのは、黒いTシャツと白いスキニーパンツだ。Tシャツは明らかにワンサイズ小さい。それに金メッキのネックレス、ゴテゴテしたシルバーの指輪が三つ、黒いキャップ。 「……なんだこれは」 「パーソナルジムを経営なさっている、羽振りのいい社長さんという設定はいかがでしょう。鍛えた肉体がそのまま看板になる業種ですので、桃山刑事にぴったりかと」 「俺にこれを着ろって?」 「サイズはぴったりのはずですよ」  もう突っ込むのは諦め、大人しく着たあと、トイレで鏡を見る。胸と腕にぴっちり張りついた黒Tシャツに、金ネックレスが鈍く光って、キャップの下から強面が覗いている。  ヤカラじゃねえか。歌舞伎町で女の子を泣かせてそうな男が、そこに立っていた。 「……いっそ殺してくれ」 「よくお似合いですよ、社長」  しおしおと戻ってきた俺に三条はにっこり笑って、すれ違いざま、俺の尻をひと撫でしていった。 「っ、おい! さわんな!」 「品質確認です」 「なんの品質だよ!」  ちなみに俺は俺で、ゆうべのうちに予習を済ませてある。布団の中でスマホと二時間睨めっこして、キャバクラに来る太客の振る舞いだの、シャンパンの種類だのを頭にインプットした。検索すればするほど世も末な単語ばかり出てきたが、遊び慣れてるヤカラ社長になりきるのだから仕方ない。  夜十時の歌舞伎町。カメリアは、花道通りの奥の雑居ビル、三階にあった。  黒服に案内されたソファ席は、店のいちばん奥のいい場所だった。予約の電話で三条が「連れの社長が派手に飲みたがっている」と匂わせておいたらしい。さすが、仕事が早いことで。  俺は桃井社長。複数のパーソナルジム経営で羽振りがいい、という設定。三条は「イオリさん」——投資家で俺が経営している会社の顧問ということにした。  三条は本名をそのまま名乗りやがった。「偽名はとっさに振り向けませんので」とのたまっているが、御子柴を挑発したいだけだろう。  席に着いた嬢がふたり、挨拶もそこそこに名刺を差し出してきた。丸っこい書体に、ハートや星が躍っている。  で、そのふたりは、まず三条に釘付けになった。 「イオリさん、イケメンですねー!」 「ありがとう、よく言われます」 「社長さん、マッチョですねー。あいり、スタイル良くなりたいから、ジム探しててぇ。紹介してくださーい」 「お、おう。筋肉は、裏切らねえから」  我ながらひどいセリフだったが、キャバ嬢はプロらしくきゃらきゃら笑ってくれた。 「えー、さわっていいですかぁ、腕!」 「あ、ああ。いいけど……」  二の腕をふたりがかりで、ぺたぺたとさわられる。かったーい、岩じゃん、と騒がれて、悪い気はしないが、隣の視線が痛い。サングラス越しでもわかる。三条はまったく笑っていない。 「社長は鍛えていらっしゃいますから」 「イオリさんもさわるぅ?」 「私は毎日ふれていますので、結構です」 「……さわってねーよ」  嬢たちが、ひゅう、と囃し立ててきた。違う。そういうんじゃない。説明しようとして、負ける気がしたので黙る。 「とりあえず、社長がアルマンドのゴールドを、と」  三条がさらりとシャンパンを注文すると、空気がぱちんと変わった。  嬢たちの目の色が変わり、黒服が飛んでいき、ものの数分で金ピカのボトルが運ばれてくる。スペードの紋の、金属みたいな照りのボトルだ。栓の音と一緒に店の照明が回り、コールだかなんだかが始まって、フロア中の視線がうちの席に集まった。  一本、二十万だそうだ。二十万の炭酸が、細いグラスでしゅわしゅわ言っている。味は、正直よくわからなかった。うまいことはうまいが、俺の舌は発泡酒でも喜んでくれる素朴なタイプなんで。 「社長、太っ腹ぁー!」 「フルーツも、いちばん大きいのをお願いします。皆さんで召し上がってください。と社長がおっしゃっています」  三条が涼しい顔で追い打ちをかける。鞄の中の札束を思うと、胃のあたりがすうすうした。他人の金でも、こたえるもんだ。  その子は——コールの波が引いた頃にやってきた。  ヘルプで回ってきて、隣の席との間にちょこんと座るなり、頭を下げて名刺を差し出してくる。丸っこい書体で、ひらがなの「ありす」。隅にはLINEのQRコードが刷ってある。  受け取って顔を上げた瞬間、俺は目を見開いた。  左目の下に、泣きぼくろ。  盛った加工の奥に透けていた、あの素の顔立ちが、目の前でにこにこ笑っていた。ユメちゃん——いや、断定はできない。できないが、似ている。  割ものの酒を作ってもらいながら、できるだけ軽く世間話の調子で切り出した。 「あれ、俺さあ、ありすちゃんとどっかで会ったことあるかな。……ユメちゃん、だっけ?」  カマをかけてみる。 「えー? あたし、ありすだよー。ずうっと、ありすだよ」  ありすは、きょとんと首を傾げて笑った。  嘘をついてる目じゃないし、はぐらかしてもいない。本気で心の底から、自分をありすだと信じきっている顔だった。  背中を、冷たいものが伝ってくる。 「……そっか。人違いだな、ごめんね」 「もー、社長ってばぁー。誰よ、その女ぁ」  ありすはころころ笑って、慣れた手つきでグラスに氷を足した。動揺のかけらもない。この子の中に、ユメはもういないのか。それとも、いるのに出てこられないのか。 「ありすちゃんは、この店長いの」 「んー……どれくらいだろ。わかんない」 「ええ、わかんないの? 何月頃から働いてる、とかさ」 「覚えてないよー。いっぱい寝てたら、毎日過ぎてるの。寮のベッドふかふかなんですよぉ」  笑顔のタイミングが、半拍ずれている。受け答えが録音された音声のように、不自然で噛み合わなかった。それにアイスペールの氷が崩れたとき、ありすは素手で氷を掴んで、指先が赤くもならないまま平気な顔で並べ直す。冷たさを感じていないんだ。  テーブルの下で、三条の膝が俺の膝に、こつんと当たった。サングラスがわずかにこちらへ傾く。声には出さないが、わかった。この子から異形の気配がするのだろう。 「桃井社長、はじめまして。ご来店、ありがとうございます。」  上から声が降ってきた。ボーイを従えて、男がひとり、席の前に立っている。  三十代の後半。細身。上質そうな白いシャツに、アクセサリーは細い時計ひとつ。清潔な短髪、柔らかい物腰。ヤカラっぽさのかけらもない、スタートアップ企業の役員だと言われたら信じる男だった。 「当店のオーナーをしております、御子柴と申します。景気のいい社長さんがいらしてると伺いまして、ご挨拶だけでも」  差し出された名刺には『株式会社KMSプランニング、代表取締役、御子柴京(みこしばけい)』と書かれている。  読みどおり、金のにおいに釣られて、向こうから出てきた。 「桃井です。——いい店だね、女の子、かわいくて」  自分でも舌がかゆくなるほど、嘘でかためたセリフだ。こういう店をいいと思える感性が俺にはないし、こんなあやしい店はとっとと摘発したい。 「恐縮です。うちは女の子がけっこう長く働いてくれる店で、歌舞伎じゃ有名なんですよ」  にこ、と御子柴が笑う。目が三日月にしなるが、瞳の奥がまったく動いていない。人をいやらしく品定めでもするような視線だった。 「最近は女の子を雇うのも大変でしょうね」  三条が、世間話の顔で水を向ける。 「ええ、まったく。夜の世界は回転が命ですから。良い在庫……ああ失礼、良い人材をどれだけ抱えられるかで決まります」  言い直したところで遅い。口が滑ったんじゃなく、こいつの中では女の子が最初から在庫で、人材という言葉のほうが借り物なんだ。 「それにしても」  御子柴の視線が、つっと三条に流れた。商品に値札をつける目、と言ってもいい。 「お連れさま、大変な逸材でいらっしゃる。失礼ですが、夜のお仕事のご経験は? 懇意にしているグループがホスト足りていないそうで」 「ふふ。お上手ですね」  三条がにっこり受け流した。  なんだろうな、営業トークだとわかってるのに、こいつが三条を眺め回すのが、妙に癪にさわる。さっきから値札をつけられてるみたいで。  グラスを置いた。思ったより硬い音がした。 「信号機って、できる?」  気づいたら、口に出していた。ゆうべ検索の海で拾った中で、いちばん強いワードだ。緑と金と赤のアルマンドを三本並べる、太客の象徴。使いどころを間違えなければオーナーの態度が変わる、とどこかのまとめに書いてあった。  御子柴の眉が、ぴくりと上がる。嬢たちが悲鳴みたいな歓声を上げる。 「——アルマンドの信号機、ですか。もちろんご用意できますが」 「いいよ、お願い。わざわざオーナーが挨拶してくれたからさ」  三条が横でおかしそうに肩を揺らす。その視線が「どこで覚えたんですか?」と問いかけてくるのを、さくっと無視した。  十分後、テーブルの上に、緑と金と赤のボトルが並んだ。アタッシュケースみたいな箱から出てきた三本が、照明を受けてぎらぎら光る。店中の嬢が集まってきて、ボーイのコールが店を揺らした。締めて百万を超えるそうだ。歌舞伎町では、信号機ってのは渡るもんじゃなくて、開けるもんらしい。  その喧騒のはしで、俺はずっとありすを観察していた。  御子柴がありすに目配せをする。ありすは半拍遅れて立ち上がり、するすると店の奥へ消えていった。バックヤードのドアが閉まる。三条のサングラスが、ドアの奥の暗がりをじっと見ていた。  午前一時、店を出た。  会計は百九十八万円。三条は札束を無造作に数えて、釣りはいりませんと言いかけたので、脇腹を肘でつついて止める。さすがにもらっておけよ、お金は大事だろ。  花道通りの喧騒を抜けて、夜風に当たる。酔ってもいないのに、頭の芯が痺れていた。 「それにしても社長、信号機とは。よくご存知でしたね」 「ゆうべ二時間、スマホで予習した」 「ふふ。努力家でいらっしゃる」 「笑うなら最初から教えとけよ、そういうのは」 「お手柄でしたよ、あれで御子柴は完全にこちらを太客と信じました。……それに桃山刑事が真剣な顔で信号機と対峙する姿、なかなか得がたいものでしたので」 「やっぱり笑ってんじゃねえか」  軽口はそこまでだった。聞かなきゃならないことが、山ほどある。 「……ユメ、だよな。あの子」 「断定はできませんが、泣きぼくろの位置は写真と一致します。そして——」  三条の声が、すっと低くなる。 「あの子からは、薄く蠱毒(こどく)のにおいがしました。素体にされかけているが、入り口の段階です。店の奥、おそらく地下からもっと濃いにおいがするはずです。蠱毒の壺はあの建物の中にあります」 「……御子柴は。あいつも陰陽師なのか」 「あの男は違います」  かぶせ気味の返事だった。 「術の気配が欠片もない。私も陰陽師です、お互い術者なら気付きますよ。あの男は場所という壺を貸して、虫のかわりに人間を供給しているだけ。蠱毒を行う術者は他にいます」  高遠砂月(たかとおさつき)、あの女が店に出入りしているに違いない。 「なあ、三条。ひとつわかんねえんだけどよ。さっき、カマかけたんだ。ユメちゃんだっけ、って。あの子、はぐらかしたんじゃねえ。本気で、心の底から、自分をありすだと思ってた。源氏名なんざ夜の店じゃ当たり前だろうが、昔の名前を呼ばれてきょとんとするやつがあるか」 「名を奪うのは、古い(しゅ)の基本です」  三条は、ネオンを映したサングラスのまま、静かに言った。 「名は、魂の把手ですから。住む場所を奪い、連絡の手段を奪い、身分の紙を奪い、最後に名前を上書きする。把手を握り替えてしまえば、魂は持ち主の手から離れて、運びやすくなる。本人が新しい名を信じきった頃には、もう古い名で呼び戻せる者がいなくなっている。あの店はキャバクラの皮を被った下ごしらえの場です」  塀のない檻どころじゃない、あれはじっくりと素体を煮詰めるための調理場だ。  昼間の缶チューハイちゃんの声が、耳の奥で蘇る。 『いなくなっていい子では、なくない?』  そうだな、絶対にない。 「……なあ。金、ほんとによかったのかよ。一晩で百九十八万だぞ」  いまさらだが、聞いておきたかった。三条は、なんでもないことみたいに答える。 「ええ。私のお金には、使い道を決めてありますので」 「使い道って、なんだよ」 「こちらの話です」  いつものはぐらかしだ。なのに今夜にかぎって、その言い方が、妙に静かだった。問い詰める気が、なぜだか起きない。  財布の中では、御子柴の白い名刺とありすの丸文字の名刺が、背中合わせに収まっている。  見上げた雑居ビルの三階で、カメリアの看板が赤く灯っていた。椿の花の意匠が、夜目には別の赤い実のようだ。

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