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第3話 不穏な視線

翌朝、まだ夜が完全に明けきらないような時間に、俺は情け容赦なく叩き起こされた。 「朝でございます。本日は宵様が朝食をご一緒に、とのことです」 枕元に立っていたのは、昨日と同じあの感情の読めない使用人だった。 「……ふぇ?」 腕を掴まれ、ベッドから引きずり出される。 寝ぼけて頭がまともに働かないのをいいことに、機械的な手つきで顔を洗われ、泡立つブラシを口に突っ込まれて歯磨きまで完了させられた。 風呂場に連行され、朝風呂に突っ込まれ、昨日と同じ手順で髪を乾かされ、整えられる。 されるがままに普段着に着替えさせられ、長い廊下を連行されるように歩かされて、食事の間へと通される。 豪奢な円卓の向こうに座っていたのは、すでに着替えを終えた宵だった。 昨日のきらびやかな婚礼装束とは違い、今日は深い紺色を基調とした、軍服のようなカチッとした仕事用の衣服に身を包んでいる。 それがまた、彼の白い肌と気怠げな色気を引き立てていて、朝から無駄に男前。 「おはよう、よく眠れた?」 俺が部屋に入ると、宵は近くまでわざわざ歩いてきて自然な動作で手を伸ばし、整えられたばっかの髪を優しく撫でた。 ――あー、はいはい。これもあれね。ベタ惚れアピールね。 察した俺は、実家で培った社交性をフル稼働させ、世界一愛らしいと自称する微笑みを浮かべて見せた。 「はい、とても。用意してくださったベッド、寝心地良くて」 上出来だろ、と言わんばかりににこにこと視線を送ると、宵は一瞬だけ目を丸くし、それから面白そうにくす、と鼻を鳴らした。 「それは良かった。……朝から可愛いお出迎えをしてくれるんだね、俺の奥さんは」 「愛しい旦那様のためですから」 押し倒された昨晩の緊張感はどこへやら、空腹の俺の腹は遠慮なくぐぅ、と鳴った。 宵に促されるまま席に着くと、目の前には豪華な朝食がずらりと並んでいる。 お飾りとはいえ一応正妃扱いだし、好きに過ごしていいと言われている。 ということは、これから毎日こんな美味い飯が食えるわけだ。 実家のために嫁いできた身だけど、現金なものでそれだけでちょっと元気が出てくる。 「いただきます」と手を合わせ、食事を始める。 対面の宵はというと、軍服の袖を少しだけ捲り上げ、手元にある仕事の書類らしきものに目を落としている。 どうやら朝から忙しいらしく、時折、眉間に薄く皺を寄せながら従者から報告を受けたり、俺に聞こえないような声で指示を出したりしていた。 へぇ、女遊びが激しいって噂の割には、一丁前にちゃんと王の仕事してんだなぁ。 そう思いながらスープを口に運んでいると、不意に、書類から顔を上げた宵とぱち、と目が合った。 宵は、書類を見ていた時の冷徹な表情を嘘みたいに消し去ると、俺を見て優しく笑った。 ――でた。またこれ。 周囲に控えている使用人たちへのアピール。 随分気持ち悪いアピールだけど、これもこの家の中での関係を円滑にこなすためだ。慣れた方が良いに決まってる。 俺はハムを咀嚼する手を止め、すかさずふふ、と、これまた100点満点の愛され正妃スマイルを作って視線を返し、小首を傾げてみせた。 よし、これで完璧だろ。 俺の完璧な営業スマイルを見た宵は、一瞬だけ楽しそうに眼を細めると、また何事もなかったかのように難しい仕事の話へと戻っていく。 だけど、その後も頻繁に宵は仕事の合間に俺を盗み見るように視線を合わせてきては、その都度、嬉しそうに微笑みかけてくるのだった。 ……いや、徹底しすぎだろ。 どんだけ周囲の目気にしてんだよ、この国王様は。 もはやちょっとしたお遊戯だな、なんて思いながら、俺は運ばれてきた果物を呑気に口へ放り込んだ。 朝食を終え、宵は仕事に出かけていった。 正妃とはいえ王の仕事に帯同する義務はないらしく、本当に好きに過ごしていい、ということらしい。 流石に昨日頼んだ猫はすぐには用意できないとのことだったので、今日はあの感情の読めない使用人に屋敷の中を案内してもらうことにした。 「こちらが本館の回廊にございます。足元にお気をつけください」 「あ、うん。ありがと」 淡々とした無表情な背中に付いて、だだっ広い屋敷を歩く。 すれ違う従者や衛兵たちは、俺の姿を見ると一様に驚いたように足を止め、それから慌てて深く頭を下げて挨拶をしてくる。 その視線が、一様に俺の頭頂部に注がれているのがよく分かった。 そりゃそうだよな。厳格なこの家に、いきなりこんな派手な頭の男の正妃がやってきたんだから、みんな物珍しいに決まっている。 室内を一通り巡ったあと、使用人が重厚な扉を開け、外へと促した。 「こちらが、正妃の宮に隣接する庭園にございます」 「うわ……すご」 一歩足を踏み入れた瞬間、思わず感嘆の声が漏れた。 実家の庭もそれなりに手入れされてたけど、ここは規模が違った。 視界を埋め尽くすように色とりどりの鮮やかな花々が咲き、甘い香りがそよ風に乗って鼻腔をくすぐる。 庭園の中央には透き通った大きな池があり、近づいて覗き込むと、立派な錦鯉たちが水面の下をゆらゆらと優雅に泳いでいた。 「あ、俺、ここ好きかも」 鯉の動きを目で追いながら、ぽつりと呟く。 閉じ込められた政略結婚だと思って憂鬱だったけれど、こんなに綺麗な庭があって、飯も美味くて、そのうち猫も来る。 宵のお飾りアピールに付き合うのだけはちょっと面倒だけど、それさえ目を瞑れば、ここは案外天国かもしれない。 張り詰めていた肩の力が、ようやく抜けていくのを感じた。 ――その、瞬間だった。 ゾク、と。 首筋の裏側が、まるで行水でもさせられたかのように冷たく強張った。 「……?」 視線? 誰かに、見られている。 すれ違った従者たちの物珍しそうな視線とは、明らかに異質だった。 もっとじっとりとした、品定めするような……いや、明確な敵意を含んだ、不気味な視線。 パッと顔を上げ、庭園を囲む回廊を見上げる。 だけど、そこには風に揺れる白いカーテンがあるだけで、人の姿はどこにもなかった。 「いかがなさいましたか?」 横に控えていた使用人が、相変わらず抑揚のない声で俺の顔を覗き込んでくる。 「あ、いや……なんでもない」 気のせい、だろうか。 曖昧に笑って誤魔化しながらも、俺はもう一度、誰もいない回廊の影をじっと見つめずにはいられなかった。 宵が言っていた二十人以上の妃という言葉が、急に生々しい現実味を帯びる。

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