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第10話 正妃のお披露目
あの高熱のさなか、無言で抱きしめられた日以来、宵は一度もこの部屋に姿を現してない。
あの男、十九人になった妃たちとのごちゃごちゃを片付けるのに、相当手を焼いているらしい。
ここへ連れてこられた当初、宵は「お飾りだからこそ、周囲に俺がちゃんと正妃を愛してるって見せつける必要がある」なんて言ってたのに。
実際に俺の命がガラス片だので危ぶまれるような状況になった以上、そんな外面のパフォーマンスは後回しにするしかない、ということなんだろう。
ちなみに、俺にガラス入りのスープを仕込もうとした妃は、あの後すぐに屋敷を去ったそうだ。
処分、という言葉のリアルな意味は怖くて考えたくもない。
しかも呆れたことに、その空席を埋めるようにして、新しい妃が間髪入れずに入宮したらしい。
ほんと、つくづく女好きだなぁ、あいつ……
……いや、今なんでもやっとしたんだ俺は。
余計なことを考えても頭が痛くなるだけだし、今はあんまり考えないようにしよ。
それから、驚くほど静かで、拍子抜けするような日々が流れていった。
一週間が経ち、二週間が経ち──。
気づけば、あの日から丸一ヶ月もの時間が流れていた。
旦那様がいないのをいいことに、俺はだだっ広い正妃の宮で、ひたすらゴロゴロと自堕落な生活を満喫することに決めた。
食事には抜かりなく毒見役がつくようになったし、高熱が引いた後の身体はすこぶる軽かった。
ふかふかのベッドの上で、誰にも邪魔されずに過ごす時間は、控えめに言っても最高だった。
猫を飼うことはしばらくは諦めた方が良さそうだ。
このままあの男の存在ごと忘れて、一生ここで養ってもらいたいくらいだ――なんて、本気で思い始めてた。
そんな、嵐の前の静けさのような怠惰な日々は、唐突に終わりを告げる。
「凪音様。宵様より、お召し物一式が届いております」
静かなノックと共に部屋に入ってきた使用人が、仰々しい大きな木箱をうやうやしくテーブルに置いた。
「三日後、庭園にて、屋敷の者たちを集めた正妃のお披露目会を兼ねた晩餐会を催すとのことでございます」
……は?
本をめくる手が、ぴたりと止まる。
お披露目会?忘れた頃に、あの男はまたとんでもない爆弾を放り込んできやがった。
使用人の持ってきた箱を開けると、婚礼の儀の時に着たあの白銀に金の刺繍の入った装束が入ってる。
「……何考えてんだあいつ」
宵にその真意を聞くことも、話すことも会うこともなく当日を迎えた。
「……なぁ、本当にこれ、着るわけ?」
「はい。本日の祝宴は正妃としてのお披露目ですから、こちらのお召し物を、と宵様のご意向でございます」
鏡の前に立たされた俺が身に纏っているのは、婚礼装束。
濁りのない純白の生地に、金と銀の刺繍が眩いほどに施されている。
こんなん着てお前のカワイコチャン達の前に……出ろってか。
会場になるのは、俺の部屋に隣接するあの広大な庭園だ。
陽が完全に落ちた夜の庭には、見事な金屏風や紅白の幕が巡らされ、いくつもの篝火がパチパチと音を立てて夜を赤く照らしてる。
中央には立派な舞台が組まれており、お抱えの楽師たちが静かに音を調和させていた。
「——よく似合ってる。やっぱり、白が映えるね、凪音は」
背後から、鼓膜を揺らす声。
びっくりひて振り返ると、そこには俺と対になる白い装束姿の宵が立っていた。
まぁ、そうだよな。お前もそれ着てるよな。うん。分かるよ。
分かるけどさぁ。
「久しぶり」
宵はふっと目を細めると、至近距離まで歩み寄ってきた。
長い指先が俺の頬を微かに掠め、まとわりつく髪をそっと耳の後ろへとかき上げる。
その拍子に俺の耳元でしゃら、と揺れるピアスを見て宵の眼が愛おしげに歪んだ。
宵の左耳にも金のピアスが光っている。
あの日以来、一度も部屋に来なかったくせに、よくもまぁこんなにすぐに恋人みたいな真似ができたもんだ。
あ、恋人じゃなくてフーフなんだっけ、俺達。
あんまりにも会わないからすっかり忘れてたわ。
俺はふてぶてしく顎を上げると、宵の顔を見つめ返して笑ってみせる。
「お会いできてうれしゅうございますわ、旦那様?」
宵は一瞬だけ驚いたように目を見張ったが、すぐに低く愉しげに喉を鳴らして笑った。
そのまま俺の腰に、当然のように掌を滑らせ、引き寄せるようにして固定した。
「行こうか。みんな君に会いたがってる」
殺したがってるの間違いじゃねぇの?
宵にエスコートされるようにして、俺たちは庭園の上座へと進む。
踊りがよく見える正面の特等席に、宵と俺の席が並べて用意されていた。
そして、その中央舞台を囲むようにして、妃たちの席が配置されてる。
左右の列にずらりと並んだ十九人の妃たちと、新しく入ったという二十人目の姿。
もちろん俺はどれが二十人目なんて知らないけど。
薄暗い篝火の光のなか、白と金で着飾った俺たちが登場した瞬間、彼女たちの視線が一斉に突き刺さった。
歓迎の雰囲気なんて微塵もない。
男のくせに正妃の座に座り、国王と同じ婚礼の白を纏って隣に並ぶ俺への強烈な嫉妬と焦燥、そして剥き出しの敵意。
おぉ、こえぇな。
上座に宵と並んで腰を下ろすと、お披露目会が厳かに始まった。
最初に宵が国王として短く、正妃を一堂に披露する挨拶を述べる。
挨拶が終わると同時に、お抱えの楽師たちが奏でる雅やかな音が庭園に響き渡り、中央の舞台で鮮やかな衣装を纏った踊り子たちが舞い始める。
俺たちの前には豪華絢爛な料理が盛られた漆塗りの美しい御膳が運ばれ、宴席が形作られていく。
並んだ妃たちの席から、食事や舞など目に入っていないと言わんばかりに、ぎらついた視線が容赦なく俺に突き刺さっている。
「……なぁ、あの人たち目が本気で怖いんだけど」
正面を向いたまま、極力口元は微笑んだまま隣の宵に零す。
すると宵はふっと目を細め、待っていましたとばかりに俺の方へと上半身を傾けてきた。
宵が内緒話でもするみたいに俺の耳に触れ、しゃら、と耳元のピアスが鳴る。
「大丈夫。凪音のことは、俺がちゃんと守ってあげるから。がんばって」
低く、甘く、周囲には絶対に聞こえない声音での囁き。
ただそれだけの、大した中身もない耳打ちだったというのに。
それを見た妃たちの目が、一瞬にしてさらに獰猛にギラギラと狂気を孕んで光ったのが分かった。
あの男が俺に顔を近づけ、親密に囁くたびに、女たちの嫉妬の炎に油が注がれていく。
宵は、妃たちのその反応をすべて分かっていて、わざとやってる。
それが宵の計算なのか、ただの馬鹿なのか俺には全然分かんないけど。
やがてお抱えの踊り子たちの舞が一段落すると、宵はいくつかの妃の席へ視線を向けた。
「せっかくの宴だ。次は、君たちの美しい舞を見たいな」
国王の指名を受け、妃のなかでも特に舞踊に秀でた数人が、待っていましたと言わんばかりに舞台へ上がっていく。
流石に鍛えられているらしく、篝火に照らされる彼女たちの踊りはしなやかで美しかった。
妃たちは踊りながらも、上座の宵へ向けて熱い視線を送り、自らの存在を誇示している。
ひとしきり場が盛り上がった頃、舞台を降りた妃の一人が、勝ち誇ったような笑みを浮かべて俺を見下げる。
「宵様、素晴らしい時間をありがとうございます……ところで、新しくお入りになった正妃様は、何か舞を披露してはくださらないのですか?男の方ですから、やはりこうした伝統的な舞踏は苦手なのでしょうか」
あからさまな格下げの挑発に、何人かの妃からクスクスと小さな嘲笑が漏れる。
——あ?なんだその、マウンティング丸出しの目は?
御膳の上のお酒を煽り、俺は内心で低く鼻で笑った。
伝統の舞?男だからできない?
残念ながら、俺を舐めないでほしい。
お作法だのなんだの、幼少期から嫌というほど叩き込まれてきた俺にとって舞踏は一番の得意分野だ。
「凪音?無理しない——」
隣で宵が、少し心配そうに俺の顔を覗き込んできた。
俺はそれを手で制し、裾を捌いてすっと席を立つ。
「せっかくのお披露目会ですから。では、お見苦しいかもしれませんが、少しだけ」
そう言うと舞台へと上がり、楽師たちに短く合図を送る。
お酒が少し入っているせいで、身体の芯が心地よく熱い。
音が始まると女たちのそれとは違う、芯の通った舞が白の衣装を大きく弾く。
実家で嫌というほど叩き込まれた型は、自分の身体のなかで、女の踊り子すら置いてけぼりにするような、しなやかで毒気のある動きに化けていく。
一歩踏み出す足の運び、空を切る指先の軌道。ふとした瞬間の首の傾げ方ひとつで、庭園の空気がじわじわと俺に支配されていくのが、肌に刺さる空気の震えで分かった。
夜の帳の中、篝火の炎に照らされた純白の生地と金の刺繍が、身体のラインに沿って生き物みたいに艶やかに波打つ。
挑発してきたあの妃の顔から、一瞬で血の気が引いていくのが見えて、内心激しく昂ぶった。
男だからって、舐めてんじゃねぇぞ。
最後まで一切の乱れなく踊りきり、静かに止まる。
激しい動きのせいで、衣服の隙間から覗く首筋には、じとりと汗が滲んでいた。
水を打ったように静まり返った空気のなか、俺は上座にいる宵へと視線を向けた。
「へぇ……すごい。そんなものまで隠し持ってたんだね」
あの宵が、完全に呆気にとられたように眼を丸くしていた。
いつも喰えない笑顔を張り付かせている男の、初めて見る余裕のない表情。
それがあまりにも傑作で、少し酔いの回った俺は、宵を見つめ返して、んふ、と悪戯っぽく笑ってみせた。
妃たちの席から歯噛みするような悔しげな気配が一斉に立ち上るのが、たまらなく痛快だった。
あー、気持ちいい。
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