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第14話 諦観と告白

静かだった昼の庭園に、琳の狂言の悲鳴が鋭く突き刺さる。 その声を合図にしたかのように、小道の奥から何十人もの騒がしい足音がこちらに向かって一斉に近づいてきた。 「琳様! 何事で──」 駆けつけてきたのは、数人の護衛の兵たちと、顔をこわばらせた使用人たちだった。 地面に衣服をはだけさせて転がり、涙を流して細い身体をガタガタと震わせている琳。 そして、その傍らで、唇や首筋に真っ赤な口紅をべったりとつけ、呆然と立ち尽くしている俺。 誰がどう見ても、言い訳の余地なんかない犯行現場が出来上がってる。 兵たちが一瞬にして俺と琳の間に割り込み、彼女を庇うように壁を作る。 「正妃様、これは一体……」 「……」 「恐ろしかった、です……っ、いきなり、乱暴に……っ」 琳が怯えた声を上げて兵の胸に顔を埋めた。 周囲の使用人たちの目が、一斉に冷ややかに険しくなるのが分かった。 男のくせに正妻の座に就いた、他国から来た野蛮な男。 そんな彼らの偏見が、この状況で完全に確信へと変わった空気を感じる。 正妃という最高位の立場がある以上、誰も俺を乱暴に組み伏せたり、罵倒したりはしない。 けれど、向けられる無言の軽蔑と拒絶の視線が、刃のように俺の肌をチクチクと刺した。 「……正妃様。ひとまず、お部屋にお戻りください。琳様も、こちらへ。すぐに医者と、国王様へご連絡を」 年長の使用人がそっと琳を支え、そう告げた。 促されるまま、俺は重い足取りで、一人自室へと歩き出した。 拭っても拭っても、唇についた口紅の嫌な脂の匂いが消えない。 自室に戻ると仰々しく扉が閉められ、外から鍵をかけられる音ががしゃりと響く。 俺はふらふらとソファに倒れ込んだ。 ……あぁ、そうか。気付くべきだったんだ。 おかしいと思ったんだ。 本来なら一歩歩くだけで大名行列になるはずのこの場所で、なんで琳が、あんな庭の奥に一人でぽつんといたのか。 あいつは俺が一人でいるのを見つけて、自分の護衛を完璧に遠ざけて、俺を確実に嵌めるための舞台を思いついて、実行した。 そんな簡単なことにも気づかない位、俺はあの男のことで頭をいっぱいにして、油断してた。 悔しくて、惨めで、胸の奥が苦しい。 宵は今、仕事でこの屋敷にはいない。 あいつが戻ってきて、この惨状を知ったとき、一体どんな顔をして俺を見るんだろう。 あんな男のことなんて、最初からどうでもよかったはずなのに。 恐怖のせいで、訳も分からず涙が溢れそうになっているのを、今の俺はどうしても認めたくなかった。 夕闇が部屋の隅々まで侵食していく中、俺はただじっと、冷え切ったソファの上で身体を横たえていた。 屋敷の中が相当バタバタしているのか、いつもあるはずの食事も運ばれてこない。 それとも罪人に食わせる飯は無い、ということか。 宵が屋敷に戻ってきたのは、遠くの廊下の響きで分かった。 それでもあいつの足音がこの部屋へ向かってくることはなかった。 まぁ当然だろうな。 野蛮な雄の正妃に襲われた琳の元へ、真っ先に駆けつけるのは国王として至極全うな判断だ。 今頃あいつは、泣き崩れるあのかわいい女の子を抱きしめて、宥めているんだろうか。 「怖かったね」と、俺には見せたこともないような優しい顔で女の子らしい小さな背中を撫でているんだろうか。 ……あぁ、もう、いいや。 傷つかなかったと言えば嘘になる。 だけど、それ以上に頭の中を占めていたのは、酷く冷静な諦めだった。 俺がこのままここにいれば、実家の泥をさらに深く塗るだけでなく、宵の足を引っ張ることにしかならない。 このくだらないでっち上げが後宮の外に漏れたら? それだけで宵の立場さえ危ういかもしれない。 あいつの重圧を忘れさせてやれるような、可愛くて子どもが産める普通の女の子が、あいつの隣にいるべきなんだ。 自覚しかけたばかりの自分の淡い気持ちをすくい上げて、握りつぶす。 もう、あの男には関わらない方がいい。 これ以上あいつの顔を見て、一喜一憂して惨めになるのは御免だ。 どれくらい時間が経ったんだろ。 外も部屋も真っ暗で、時間の感覚も無い。 ガチャリ、と外側から錠前の外される音が響く。 入ってきたのは、いつもの静かな足音。 宵だ。 俺は、顔を上げなかった。 ソファに転がったまま微動だにせず、ただ闇の中に視線を落とす。 言い訳をするつもりも、弁明するつもりもない。 早くここから追い出してくれと、そう無言で拒絶する俺の前に、宵がゆっくりと片膝を突いた。 その長い指先が、俺の頬を滑る。 「……凪音」 いつもの甘い声でも、飄々とした声でもない、聞いたこともない苦しそうな声。 「こっち見て、凪音」 冷え切った俺の頬を滑る宵の指先だけが、酷く熱い。 「……遅くなってごめんね。怖かったよね」 真っ暗な部屋の中、窓から差し込む一筋の月明かりだけが、俺たちの輪郭を朧げに浮かび上がらせている。 その青白い光のなかで、宵は見たこともないほど痛ましげな表情で俺を見つめている。 遅くなってごめん、怖かったよね、って。 それは、あの可哀想な被害者の女の子にかけるべき言葉だろ。 なんでお前は、悪者であるはずの男の俺に、そんなに優しい声を出す。 その優しさに、触れた指先の体温に、張り詰めていた糸が一瞬で千切れる。 「……ふ、」 喉の奥から、情けない嗚咽が一つ、零れ落ちた。 それを合図にしたかのように、宵の大きな両腕が、俺の身体をぎゅう、と覆いかぶさるみたいに抱きしめた。 「ごめん。本当に。ごめんね、凪音」 耳元で、宵のひどく震える声が響く。 「俺が、もっとちゃんとしてたら……こんな思いさせずに済んだのに」 「……やめ、ろよ……っ」 宵の胸に顔を押し付けられたまま、俺は涙でめちゃくちゃになった声を絞り出した。 手の甲でいくら擦っても消えなかった口紅が、宵の服を赤く汚す。 「俺が、あの女を襲ったって、みんな言ってたぞ……っ」 「分かってる。凪音はそんな事しない」 「誰が信じるんだよ……っ、俺のこと追い出せよ……っ、新しいの、すぐ来んだろ…!」 そんな俺の子供のような駄々を宵はただ静かに受け止めていた。 心のどこかで、俺はずっとこの男を待っていた。 身体が勝手に震えて、止められない。 歯の根が合わない位には震えが止まらない俺を、宵はあやすように何度も包み込んだ。 「怖かったね。ごめんね……一番最初に凪音の所に来たかったんだけど……そうもいかなくて」 何度も、何度も、壊れ物を扱うように背中を宵の指が伝った。 「まず琳と話をしなきゃいけなかったから」 「……」 「安心して。自作自演だって、認めさせたから」 ——どうやって。 そう聞く気力も無かったのに宵はそれを勝手に察してくれる。 「爪の中に自分で引き裂いた繊維がたっぷり残ってたよ」 「……」 「証拠なんか無くても分かるんだけどね」 宵の指先が俺の頬を撫でる。 「凪音はそんなことしない」 喉の奥が熱くて、視界がぼやんと滲んでいく。 「……っ、う……」 さっきまで必死に止めていた涙が、堰を切ったみたいに溢れ出した。 宵は何も言わないで、小さく頷きながら何度も俺の背中を撫でた。 泣き疲れて、嗚咽が少しずつ小さくなっていく。 「……凪音、ちょっと聞いてくれる?」 しばらくして涙と嗚咽が少し落ち着くと、宵がそっと俺の身体をソファから起こした。 「何……」 宵は正面から、お互いの心臓の音が重なるほどの強さでぎゅう、と抱きしめる。 耳元に、あいつのふぅ、という溜息といつもの声音が響く。 「俺ね、凪音以外の妃を抱いてないの」 ──え?

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