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第17話 髪
風呂を出ると、外の空気がほんの少しひんやりとして気持ちよかった。
使用人が用意してくれていた柔らかな寝衣を袖に通す。
「お疲れ様でした」
「ん。凪音の髪、今日は乾かさなくていいよ」
「畏まりました」
「……や、だめだろ」
「いいの」
静かに頭を下げた使用人が退出していき、部屋には再び俺と宵だけが残された。
部屋の隅では、小さな火鉢が赤く灯っている。
その横には、湯気の立つ布が何枚も重ねられていた。
「髪、俺が乾かしていい?」
宵が椅子を引く。
そうだと思ったよ、なんとなく。
「……自分でやるって」
反射的にそう言ったものの、たぶんこいつは引かない。
「今日は俺がやりたい」
ほらな。
俺はしぶしぶ椅子へ腰を下ろした。
「……今日だけだからな」
「今日だけって言葉、最近よく聞くなぁ」
宵が笑う。
温められた布が、頭にそっと被せられた。
「熱い?」
「いや、平気」
じんわりとした温かさが頭皮に染みていく。
宵の指が、濡れた髪を一本ずつ丁寧に解いていく。
引っ掛からないように。
痛くないように。
あまりにも慎重な手つきに、なんだか落ち着かなくなった。
「……お前、こういうの慣れてんの?」
「全然」
「嘘つけ」
髪を梳く手が止まる。
火鉢の炭がぱちりと鳴った。
宵の指先が、俺の髪をひと房だけ持ち上げる。
「……ずっと忘れられなかった」
「ん?」
「この髪」
俺は思わず振り返った。
宵は少し困ったみたいに笑っていた。
「凪音の家で見た時も思った」
長い指が、淡い色の髪をするりと滑る。
「綺麗な色だなって」
「……」
「ふわふわしてて、柔らかそうで」
俺の髪の色は珍しい。
外国の血が混ざっているのはなんとなく察しがついたけど、家族は誰もその理由に触れようとはしなかった。
子供の頃は散々からかわれたし、両親も染めることを勧めた。
だから綺麗だなんて言われた記憶なんて、ほとんどない。
宵は持ち上げた髪へ、そっと唇を寄せた。
触れるか触れないかくらいの、小さなキス。
「……好きだった」
火鉢の熱より顔が熱い。
「……髪に言うなよ」
「じゃあ誰に言えばいいの?」
「知るか」
宵の笑い声が妙に心地いい。
髪を乾かし終えて、頬の小さな傷に丁寧に薬が塗られて。
薬を塗り終えると、宵はそっと俺の頬へ指先を添える。
「これで終わり」
「……ん」
胸の奥がじんわり温かい。
宵が椅子の後ろから身体を寄せる。
背中越しに感じる体温。
肩に額が触れる。
「……寝よう。疲れちゃったでしょ」
「……ん」
多分、俺なんかより宵の方がきっと疲れてるのに。
多分宵は今夜、この部屋からは帰らない。
天蓋のついた大きな布団に潜り込むと、当たり前みたいに宵が隣に来て、体をぴたりと密着させるみたいに抱き寄せられた。
背中越しに宵の心音が聞こえてくるみたいで、何となく気恥ずかしい。
眠ろうとすればするほど心音が気になって、もぞ、と身体を動かした。
「……宵」
小さく呼んでみると、背後から声が降ってくる。
「ん」
「……寝ねぇの」
「寝ようと思ったんだけど」
宵の腕が、するりと俺の腰を滑って、寝衣の合わせ目をゆるやかに割り込んできた。
肌に宵の長い指先が直接触れる。
びく、身体を強張らせると、宵は俺のうなじにそっと唇を寄せた。
「凪音があまりにもいい匂いするから、目が覚めちゃった」
宵の唇が、熱を刻むようにゆっくりと移動していく。
衣服の隙間から滑り込んできた手が、俺の脇腹を愛おしそうになぞり、じわじわと体温を奪っていく。
「……おい」
抗議すると、腰を抱く宵の腕にぐっと力がこもる。
そのまま逆らう間もなく、シーツの上で身体をくるりと反転させられた。
仰向けになった視界の先に、月明かりを背負った宵の顔が降ってくる。
「……なぁに?」
覗き込んできた宵の目は、いつもみたいな意地悪に微笑んでいる。
完全に上から覆い被さられる形になり、お互いの吐息がすぐ近くで混ざり合う。
じっと見つめ合う静寂に耐えかねて、俺が小さく息を吐き出した瞬間、待っていたと言わんばかりに宵の顔が近付いた。
正面から深い口づけが落ちてくる。
「ん……っ」
宵の長い指が俺の髪の合間に滑り込んで、何度も角度を変えて俺の口内を貪っていく。
鼻腔をくすぐるお揃いの石鹸の香りと体温に包まれながら、ぎゅう、とシーツを掴んだ。
薬とか、酒とか、そういうのが無いとこういうのって、恥ずかしいんだな。
宵はそれに気付いたのか、気付いてないのか、俺が握りしめたシーツを解くように、その長い指先を俺の掌に重ねた。
すっと指の隙間に宵の指が滑り込んできて絡められる。
ようやく唇が離れると、細い糸が唇から伸びて、ぷつり、と切れる。
「……は、ぁ……っ」
「すぐへろへろになっちゃうの、かわいいよね」
「それはお前のキスが——」
あ。しまった。
「キスが、何?」
覗き込んでくる宵の眼が、いたずらが成功した子供みたいにきらりと光った。
完全に墓穴を掘った。お前のキスが上手いからだ、ちくしょー、なんて言えるはずもなく。
「……なんでもねぇよ」
「ちゃんと言って。俺のキスが?」
耳元に吹きかけられる吐息が熱い。
宵は俺の反応を楽しむように、わざとゆっくりと唇を俺の耳たぶへと這わせ、軽く歯を立てた。
「っ、ん……やめ、……っ」
「言ってくれたら止めてあげる」
嘘つけ、絶対に止める気なんてないくせに。
降参する代わりに俺が睨みつけると、宵は低く笑って、今度は寝衣の合わせ目から胸元へと手の平を滑らせてくる。
「ま、って、そこ」
「知ってる。ここ、きもちいよね」
そう言って深く潜り込んだ指先が乳首をきゅ、と摘みあげ、身体が大きくひく、と震えた。
ほら、とでも言わんばかりの宵の笑顔がなんか無性に悔しくて、愛しくて。
俺は絡められていない方の手を伸ばし、宵の寝衣の胸元をぐっと掴んだ。
そのまま自分の力を込めて、あいつの身体をこちらへと引き寄せる。
驚いたように目を見開いた宵の顔が、すぐ目の前にあった。
「凪音……?」
「……うるせぇ」
そのまま自分から唇を重ねた。
驚きで固まる宵の隙を突き、貪るような勢いで舌を滑り込ませる。綺麗な歯列をなぞるようにして、奥へ、奥へと自ら舌を絡めていった。
──あ、自分でやってて気持ちいいな、これ。
奪われるのとは違う、自分からあいつの熱を吸い上げるような感覚に、頭の芯がじんわりと痺れていく。
「ん、ふ……っ」
俺の口内から微かな甘い鼻鳴らしが漏れた瞬間、宵の身体が一瞬だけ、ひゅ、と息を呑んだ音がした。
「……凪音、お前、ほんとさ」
唇を離し、宵がそう言ったのを得意げに見上げる。
俺だって多分、おまえの余裕をなくせる位の手腕はあるぞ、と言わんばかりにに、と口角を上げると宵が噛みつくみたいに首筋に顔を埋めた。
なんかめっちゃ気持ちいいや、これ。
「ん……っ」
首筋近くでじゅ、と音がして、首筋に食いつかれたのが分かった。
はだけた寝衣に宵の髪が触れて、いやにくすぐったい。
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