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推しが転校してくる⁉

 夏目が勤めているのは東京にある有名私立高校。しかし偏差値が高いとか、スポーツが盛んで有名なわけではない。この高校には、進学コース、普通コース、体育コースに加えて、日本でもあまり見かけない芸能コースがあるのだ。  芸能コースは芸能界での活躍を目指す者や、すでに芸能活動をしており、全日制高校に通学するのが難しい者のためのコースだ。仕事量、人気の有無に関わらず数十人の生徒が在籍している。   元々アイドルや動画配信者といったインフルエンサーが好きだった夏目は、今の職場で働けることを幸せに感じていた。芸能コースにいる生徒と特別仲がいいわけではないが、キラキラと輝く生徒を見るだけで元気になれる。平凡な自分にはない、彼らだけが放つオーラが眩しかった。 ◇◆◇◆ 「なんだろう……」  ある日、校内がザワザワしているのを感じる。生徒たちの間では、ある噂話で持ち切りだった。 「知ってる? モトヤガが転校してくるらしいよ」 「モトヤガってあの有名な劇団の?」 「そうそう! 八神大河と本宮宗次郎だよ! あの二人、芸名かと思ったら本名なんだね」  「二人とも超イケメンだから見てみたいよね!」  申し訳ないと思いつつも女子生徒たちの会話に耳を傾けた。そんなことに気付く様子もなく、興奮を隠しきれないといった様子でガールズトークはどんどん盛り上がりをみせていった。 「──モトヤガ? モトヤガ……え、嘘だろう……?」  夏目の頭が一瞬真っ白になる。 「ねぇモトヤガって、あのモトヤガ?」 「わ、びっくりした! 夏目ちゃんじゃん」 「あのさ、今君たちが話してたモトヤガって、もしかして……」 「そう、劇団 花鳥風月のモトヤガだよ」  普段なら生徒に「ちゃん」付けで呼ばれたら指導するところだが、今はそれどころではない。今の夏目にとって、モトヤガが転校してくるということのほうが大事件なのだ。  『モトヤガ』とは……。劇団 花鳥風月の本宮宗次郎と八神大河の最初の二文字をとった愛称。アイドルでない彼らは特にユニットを組んでいるわけではないが、二人で仕事をすることが多い。そんな彼らにファンがつけた愛称が『モトヤガ』だ。  そう、モトヤガは夏目の推しだ。  まさか自分が勤めている高校にモトヤガが転校するなんて思いもしなかったが、どんどん人気になり仕事が増えていっている今、普通の高校には通いきれないのだろう。  これは神様から与えられたプレゼントだ。こんな幸運、もう一生起こらないかもしれない。それでもいい。推しに会えるのだから。 「これはヤバイことになった……」  一気に全身を血液が駆け巡り、アドレナリンがガンガン放出されていく。叫びたくなる衝動を必死に押し殺した。  情報を提供してくれた生徒に手短に礼を言ったあと、夏目は走り出す。階段を駆け上がり目指すは屋上。しかし急ぎ過ぎたせいで息が上がる。夏目は今年で二十六歳になるが、学生以降運動らしい運動はしていない。せいぜい徹夜でグッズを買うために並ぶ時くらいしか体力を使わない。喉から血の臭いがしてきたが、そんなことは気にならなかった。  屋上へと続く扉を開けると心地いい風が癖毛をサラサラと揺らす。目の前には雲一つない青空が広がっていて解放感に包まれた。 「やった! モトヤガが転校してくる、モトヤガが……!」  目を大きく見開いて、爽やかな初夏の空気を胸いっぱい吸い込んだ。  それから数日後、運命の時がやってきた。  多くの生徒たちが窓の外を見て黄色い声援をあげている。芸能コースがあるせいで、芸能人を見慣れている彼らでも興奮を隠しきれていない。見かねた教員が職員室を飛び出して指導にあたるが、一向に静まる様子など見られなかった。 「あ、見て! 来たよ!」 「本当だ! 超かっこいい!」  生徒たちがより一層大きな歓声を上げる。 それも当然だ。今日はあの人気沸騰中のモトヤガが初登校する日なのだから。夏目も朝から落ち着かず、何度も外の様子を確認してしまった。落ち着かなくていてもたってもいられない。  この感覚は入り待ちや出待ちのときの高揚感によく似ている。その瞬間を今か今かと、胸を高鳴らせて待つのだ。 「待って、マジで来た!」  女子生徒の悲鳴に近い声にハッと顔をあげた。 「大河君! 宗次郎君!」 「めっちゃかっこいい! 泣きそうなんだけど!」  女子生徒が窓から手を振れば、そちらを見てにこやかに彼らが手を振り返している。その手慣れた様子は見ていて心地よさを感じるほどだ。それを見た女子生徒が両手で口を覆い、目元を潤ませている。  マネージャーと思われる人に連れられて校内に入っていく二人。 (近くに行きたい。もっと近くに……!)  沸々と込み上げてくる思いに何とかブレーキをかける。  ここはリアルの世界であり、自分は高校教師だ。モトヤガの追っかけをしている自分は、たくさんのグッズと共に自宅へ置いてきた。ここでオタク魂を爆発させるわけにはいかない。 (我慢だ、我慢……)  拳を握り締めながらそう自分に言い聞かせたのに、心臓がうるさいくらい高鳴っていた。  

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