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初めての晩ご飯
夏目が住んでいるアパートのリビング程ある玄関に入り、言葉を失ってしまった。長い廊下の脇にはいくつもの部屋があり、その先には言葉を失ってしまう程の大きなリビングが広がっている。
全面ガラス張りのリビングからは東京の夜景が一望できた。隣接するビルやマンションの照明が宝石みたいにキラキラと輝き、玩具のような車が道路を走っている。真っ暗な夜空には寂しそうに三日月が浮かんでいた。
「なにボーッとしてんの? 遠慮せずに入りなよ」
「夏目先生こちらにどうぞ。今お茶を煎れますから」
呆然と立ち尽くしていれば、見かねた大河に背中を押される。恐縮しながらリビングに置かれた高級そうなソファーに腰を下ろせば、その座り心地のよさに目を見開いた。広いキッチンでは宗次郎がお茶の準備をしてくれている。
まさに、ここは成功者だけが住むことができる城だった。
(立派なマンションだけど、なんでこんなに殺風景なんだろう)
広いリビングには必要最低限の家具しか置かれていないせいだろうか……生活感が全く感じられない。夏目の部屋はモトヤガのグッズで溢れかえっていてゴチャゴチャしているのに、二人の荷物もほとんど見当たらない。
「寂しい」そう言っていた意味がようやく分かった気がした。そんな温かみのない部屋。
壁には絵も写真も飾られていない。
窓際の棚にも、家族との思い出を感じさせるものは何一つなかった。
これだけ広い部屋なのに、誰かがここで暮らしているという痕跡がほとんど見当たらない。
夏目の部屋とは正反対だ。
狭い部屋には推しのグッズが所狭しと並び、冷蔵庫には安売りの日に買った食材が詰め込まれている。玄関には脱ぎっぱなしの靴があり、ベッドの上には大きなぬいぐるみが座っている。
お世辞にも片付いているとは言えないが、あの部屋には夏目が暮らしていた時間が染み込んでいた。
けれど、ここには何もない。
大河と宗次郎が何を好きで、どんな生活をしているのかを伝えるものさえなかった。
「二人はいつからここに住んでいるんですか?」
「一ヵ月位前でしょうか」
宗次郎がキッチンから答える。
「学校が決まった後、事務所がすぐに用意してくれたんです。でも仕事で家にいないことのほうが多いので、まだ必要な物しか揃えてなくて」
「そうなんですね……」
必要な物は全て与えられている。
けれど、欲しかったものまで与えられているわけではないのかもしれない。
広くて立派な部屋が、夏目には大きな空っぽの箱のように見えた。
「はい、どうぞ」
「……ありがとうございます」
宗次郎が目の前に置いてくれたティーカップは雑誌で見たことのある高級ブランドのものだった。注がれているのは紅茶だろうか? とてもいい香りがする。
「ねぇ、二人は自炊とかしているんですか?」
「いいえ、全然。僕も大河もそんなに料理得意じゃないので」
「コンビニやマネージャーが買ってきてくれる弁当とか、外食が多いかな」
「そうなんですね」
こんな育ち盛りの子供がちゃんとした手料理を食べていないなんて……夏目の心がチクンと痛む。仕事の都合でここに引っ越してきたものの、世話を焼いてくれる大人はいないのかもしれない。不自由のないように高価なものを与えられてはいるが、これでは心が満たされることはないだろう。
(かわいそうに……)
普通ならまだ親元で暮らしている年頃にも関わらず、こんな生活を送っている二人に、つい同情してしまう。
(何とかしてあげたい……よし!)
夏目は拳を握り締めながら立ち上がった。
「これから先生がご飯を作ります。冷蔵庫の中を見てもいいですか?」
「いいですけど食材とかほとんどないですよ?」
「構いません。料理は得意ですから」
困ったように笑う宗次郎の横をすり抜けてキッチンへと向かった。
「できた……」
宗次郎の言う通り冷蔵の中に目ぼしい食材はなく思考錯誤の結果、キャベツとウィンナー、それに卵を入れたチャーハンを完成させる。見た目がどうこうじゃなくて、手作りで温かい料理を食べさせてあげたかったのだ。
「先生も一緒に食べるんですよね?」
皿を並べていると、宗次郎からそう尋ねられた。
「え? 僕はいいですよ。二人の分しか作っていないし」
「こんなにたくさんあるのに?」
「育ち盛りの二人なら、これくらい食べるかなと思って……」
大河が皿を覗き込みながら、むっと唇を尖らせる。
「あんたが作ったんだから、あんたも一緒に食べなよ」
「でも……」
「三人で食べたほうが美味いじゃん」
あまりにも当然のことのように言われ、夏目は返す言葉を失った。
教師として生徒の自宅を訪れ、料理を作っているだけでも十分おかしな状況だ。そのうえ、大好きな推しと同じ食卓を囲むなんて、ファンだった頃には想像すらしたことがない。
恐る恐る二人の向かいへ座る。
「それでは、いただきましょうか」
宗次郎の声に合わせて、三人で手を合わせる。
「いただきます」
三人分の声が重なった瞬間、殺風景だった部屋に僅かな温もりが生まれた気がした。
きちんと手を合わせてから食べ始める二人を見れば、きちんと教育を受けた良家のお坊ちゃまたちなのかな……と感じる。
皿とスプーンが触れる音が響き、大河が美味しいと笑い、宗次郎が今日の出来事を話してくれる。
たったそれだけのことなのに、不思議と家族で食事をしているようだった。
夏目の胸の奥がじんわりと温かくなる。
大河と宗次郎が欲しかったのは、高級な料理ではなく、こうして誰かと一緒に食べる時間だったのかもしれない。
「あんた料理得意なんだな?」
「ははは、一人暮らしが長いですから。料理も上手くなりますよ」
お腹が空いていたらしく大河がキラキラと目を輝かせる。そんな大河を見て、夏目は作り笑いを浮かべた。
料理だってうまくなる。夏目は二十六歳独身で、彼女がいない歴も長い。そんな生活をしていれば嫌でも自炊をせざるを得ないのだ。
「美味い」
「夏目先生、凄く美味しいです」
嬉しそうにチャーハンを頬張る大河と宗次郎を見ていると、こちらまで嬉しくなってしまう。舞台の上で見せる笑顔とは、また違うものだった。子供みたいに無邪気に笑う姿はとても可愛らしい。
黙々と食べ続ける二人は、あっという間に大量のチャーハンを平らげてしまった。見ていて清々しいほどだ。
「追加でおにぎりでも作ろう」
夏目はもう一度腕まくりをしてキッチンへと戻ったのだった。
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