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帰れない夜

 食事を終え、使った食器を洗い終えた頃には、時計の針はすでに日付が変わる少し前を指していた。 「それじゃあ、二人とも。今度こそ先生は帰ります」  濡れた手をタオルで拭きながら、夏目はそう告げた。  家に上がったのも、食事を作ったのも予定外だったが、二人がきちんと食事をして落ち着いた姿を見届けることはできた。これ以上ここにいる理由はない。 「こんな時間に帰るの?」  ソファーに座っていた大河が、不満そうに眉を寄せる。 「こんな時間だから帰るんです。これ以上遅くなったら、本当に帰れなくなりますから」 「もう帰れないんじゃないですか?」 「え?」  宗次郎がスマートフォンで時間を確認しながら、困ったように微笑んだ。 「先生の自宅は、ここから電車を乗り継いで帰るんですよね?」 「はい。そうですけど……」 「この時間だと、最寄り駅まで戻れる電車はもうないと思います」 「嘘でしょう?」  夏目は慌てて自分のスマートフォンを取り出した。  乗換案内を開き、自宅の最寄り駅を入力する。表示された検索結果を見た瞬間、頭の中が真っ白になった。 「終電……終わってる……」  食事を作ることに夢中になり、時間を確認することをすっかり忘れていた。 「タクシーで帰ります」  どうにかそう言ったものの、このタワーマンションから自宅までの距離を考えれば、相当な金額になることは容易に想像できた。 「こんな夜中に一人で帰すわけないだろ?」  大河が立ち上がり、夏目の前までやってくる。 「でも、僕がここに泊まるなんて……」 「部屋なら余ってるよ」 「そういう問題ではありません。教師が生徒の家に泊まるなんて、絶対によくないです!」 「誰にも言わなきゃ分かんないじゃん」 「そういう考えが一番駄目なんです!」  思わず声を荒らげると、大河がわずかに肩を揺らした。  怒りたいわけではない。大河と宗次郎を疑っているわけでもない。ただ、教師と生徒という立場を考えれば、これ以上踏み込むことが怖かった。 「申し訳ありません。僕たちが引き止めたせいです」  宗次郎が静かに頭を下げる。 「でも、こんな時間に先生を一人で帰すのも心配です。僕たちのせいで何かあったら、そのほうが後悔します」 「それは……」 「今夜だけです」  宗次郎の穏やかな声が、静かな室内に響く。 「空いている部屋に布団を用意します。明日の朝になったら、僕たちとは別々にマンションを出ればいい。誰かに見られる可能性も低くなると思います」  言われてみれば、それが一番現実的なのかもしれない。  今から高額なタクシー代を払って帰るよりも、朝までここで過ごし、人目の少ない時間に一人で帰ったほうが安全だ。  それでも素直に頷くことができず、夏目は口元を手で覆った。 「本当に、今夜だけだからね」 「うん!」  大河の顔がぱっと明るくなる。 「泊まってくれるんだ⁉」 「仕方がなくです。勘違いしないでください」 「わかってるって!」  全く分かっていなさそうな笑顔で、大河が夏目の腕に抱きつく。 「ちょ、八神君! 離れてください!」 「宗次郎、先生の布団用意して」 「うん。任せて!」  二人が嬉しそうに動き始める姿を見ながら、夏目は深い溜息をついた。 (どうしてこんなことになったんだ……)  家まで送るだけのつもりだった。  それなのに食事を作り、とうとう推しの家に泊まることになってしまった。教師としては間違いなく褒められた行動ではない。  けれど心の奥では、ほんの少しだけ、この状況を嬉しいと思っている自分がいた。

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