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【第5話 帰らないで 】朝起きたら推しがいる

 カーテンの隙間から差し込んでくる眩しい光に照らされ、夏目はゆっくりと目を開けた。 「ん……朝……?」  ぼんやりとした視界に映ったのは、見慣れない白い天井だった。  一瞬、自分がどこにいるのか分からず、何度も瞬きを繰り返す。体を包んでいる布団は、夏目が自宅で使っているものよりもずっと柔らかく、寝返りを打つたびにふわりと沈み込んだ。  甘くて優しい香りが、微かに鼻をくすぐる。  そこでようやく、昨夜の出来事を思い出した。 「そうだ……僕、推しの家に泊まったんだ」  声に出した途端、一気に眠気が吹き飛んだ。  夜の街で大河と宗次郎を見つけ、二人を連れて帰った。正確には、連れて帰ったつもりが、なぜか自分までマンションの中へ引き込まれてしまったのだ。  そのうえ、二人のためにチャーハンを作り、終電を逃し、風呂まで借りて泊まることになった。  改めて考えてみると、教師として褒められた行動ではない。 「僕は何をやっているんだ……」  頭を抱えながら上半身を起こす。 「ヤバ過ぎるだろう……」  借りた服の袖と裾を折り直し、静かに部屋の扉を開ける。  廊下はしんと静まり返っていた。  壁に掛けられた時計を見ると、午前七時を少し過ぎたところだ。休日の高校生にしては、まだ早い時間なのだろう。  リビングへ向かうと、ソファーの上に大河が横たわっていた。  長い手足を窮屈そうに折り曲げ、薄い毛布を蹴飛ばして眠っている。舞台の上で見せる鋭さはなく、唇を僅かに開けた寝顔は年相応に幼かった。 「こんなところで寝たら、風邪をひくよ」  夏目は床へ落ちていた毛布を拾い、大河の体へ掛け直した。  その瞬間、手首を掴まれる。 「うわっ!」  驚いて声を上げたが、大河は目を閉じたままだった。  夏目の手首を掴む指に力が込められる。 「行くな……」 「八神君?」 「帰るなよ……」  掠れた寝言に、夏目の胸が締め付けられた。  昨日の公園で、大河は一人でいるより誰かと過ごすほうがましだと言っていた。こうして眠っているときまで、誰かに置いていかれることを恐れているのだろうか。 「大丈夫。今すぐには帰らないですから」  届いているかはわからない。それでも静かに答え、大河の髪を撫でた。  手触りのよい黒髪が、夏目の指の間をさらさらと通り抜けていく。  いつもなら、推しの髪に触れているというだけで気を失いそうになるはずだ。けれど今は、それよりも大河を安心させてあげたいという気持ちのほうが強かった。  しばらく撫でていると、手首を掴んでいた指が緩む。  大河は小さく息を吐き、再び穏やかな寝息を立て始めた。 「本当に、子供みたいだな」  夏目は苦笑しながら立ち上がった。  借りたままの服で朝食を作るのは気が引けたが、二人が起きてくる前に何か用意しておきたかった。  冷蔵庫を開けてみると、昨夜使わなかった食パンと卵、それに賞味期限が迫っている牛乳が入っている。棚の奥からコーンスープの素も見つけた。 「これなら、何とかなるかな」  フライパンで目玉焼きを焼き、ウィンナーを炒める。食パンをトースターへ入れ、カップにスープを用意した。  キッチンに立っていると、不思議と心が落ち着く。  普段は一人分しか作らない朝食を、今日は三人分用意している。  皿を並べながら、まるで家族になったようだと思ってしまい、夏目は慌ててその考えを打ち消した。  自分は教師で、二人は生徒だ。  昨夜泊まったのも、終電を逃してしまったから仕方なくである。朝食を食べたらすぐに帰らなければならない。 「先生、何してんの……?」  背後から眠そうな声が聞こえ、夏目は肩を揺らした。  振り返ると、大河が寝癖のついた髪のまま立っている。片目を擦りながら、ふらふらとこちらへ近づいてきた。 「おはようございます。もう少しで朝食ができますよ」 「朝飯?」 「簡単なものだけどね」 「先生が作ったの?」 「他に誰がいるんですか」  答えた途端、大河が夏目の背中に抱きついた。 「ちょ、八神君⁉」 「腹減った」 「それは分かりましたから、離れてください!」 「眠い」 「だったら、ソファーで待っていてください!」  大河は聞く耳を持たず、夏目の肩に顎を乗せたまま動こうとしない。  背中に伝わる体温と、耳元にかかる吐息のせいで、夏目の手元が狂いそうになる。 「危ないでしょう! 今、火を使っているんですよ!」 「先生、いい匂いする」 「それは朝食の匂いです!」 「違う。先生の匂い」 「朝から何を言っているんですか!」  顔を真っ赤にしながら、どうにか大河を引き剥がす。  そこへ、身支度を整えた宗次郎が現れた。 「おはようございます、夏目先生。もう朝食まで作ってくれたんですか?」 「おはようございます。勝手に台所を使ってしまって、すみません」 「謝らないでください。嬉しいです」  宗次郎は柔らかく微笑み、食卓に並んだ料理を眺めた。 「朝起きたときに、誰かが食事を用意してくれているのは、本当に久しぶりかもしれません」  何気なく告げられた言葉に、夏目の胸が痛くなる。 「そうなんですか?」 「ホテルでは朝食が用意されていることもあります。でも、僕たちのためだけに誰かが作ってくれたことは、ほとんどありません」 「別に大したものでは……」 「大したものですよ」  宗次郎は真っ直ぐ夏目を見つめた。 「ありがとうございます」  あまりにも優しい表情で礼を言われ、夏目は視線を逸らした。 「さ、冷める前に食べましょう」  三人で食卓を囲み、手を合わせる。 「いただきます」  大河はトーストを大きく齧り、すぐに目を輝かせた。 「美味い」 「食パンを焼いただけでしょう?」 「あんたが焼いたから美味いんだよ」 「そんなわけがありません」 「目玉焼きも美味い」 「普通の目玉焼きです」 「スープも美味い」 「お湯を入れただけです!」  何を食べても大袈裟に褒める大河に、夏目は呆れながらも笑みを零した。宗次郎も楽しそうに二人のやり取りを眺めている。  静かだったはずの広い部屋に、食器の音と話し声が響く。昨夜この部屋へ入ったときに感じた寂しさは、今はほとんど感じられなかった。  食事を終え、使った食器を片付ける。  時計を見ると、午前九時を過ぎていた。 「それじゃあ、僕はそろそろ帰りますね」  夏目がそう告げた瞬間、室内の空気が止まった。  

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