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帰る場所が二つになった日

「本当に?」 「ただし、条件があります」 「何でも聞く」  大河は夏目に抱きついたまま、勢いよく頷いた。 「まず、夜遊びは禁止です。知らない人についていくのも絶対に駄目」 「わかった」 「食事はなるべく三人で食べます。学校には真面目に通うこと」 「うん」 「それから、僕の言うことを聞いてください」 「善処する」 「八神君?」 「わかった。聞くよ」  大河が不満そうに唇を尖らせる。宗次郎は真面目な顔で頷いた。 「約束します」 「でも、僕は一度自宅へ帰ります」  そう告げた瞬間、大河の腕に再び力が込められる。 「やっぱり帰るのか?」 「荷物を取りに行くだけです!」 「本当に戻ってくる?」 「戻ってきます」 「いつ?」 「必要なものをまとめたら、なるべく早く」 「絶対?」 「絶対です」  何度確認しても不安そうな大河に、夏目は苦笑した。 「着替えも仕事道具もないのに、ここで生活できるわけがないでしょう?」 「買えばいいじゃん?」 「自分の物がありますから」 「俺の服、先生に似合ってたぜ」 「袖も裾も余っているでしょう!」 「それが可愛い」 「からかわないでください!」  夏目が顔を赤くすると、大河は楽しそうに笑った。  ようやく腰に回されていた腕が解かれる。けれど、今度は宗次郎が夏目の手を強く握った。 「先生」 「はい?」 「必ず帰ってきてください」  宗次郎まで同じことを言う。  いつも余裕のある彼の顔に、不安が滲んでいた。夏目は握られた手を、そっと握り返す。 「約束します。必要な荷物を持ったら、必ずここへ戻ってきます」 「ありがとうございます」  宗次郎が安心したように微笑む。  その隣では、大河がまだ疑うような目を向けていた。 「逃げたら、先生の家まで迎えに行くから」 「どうして僕の家を知っているんですか?」 「調べればわかる」 「怖いことを言わないでください!」 「だから逃げんなよ」  大河はそう言いながら、夏目の頭へ強引にニット帽を被せた。更にマスクを取り出し、夏目の顔につける。 「何をするんですか?」 「俺と宗次郎は別に見られてもいいけど、先生は俺たちと一緒にいることを知られたら困るんだろ?」 「それは、もちろん……」 「だったら少しくらい変装していきなよ」  乱暴な手つきに見えて、ニット帽の位置を直す指は意外なほど優しい。 「これなら、少しは顔が分からないだろ」 「……ありがとうございます」 「じゃあ、行ってらっしゃい」 「はい。行ってきます」  言葉にしてから、夏目は不思議な気持ちになった。  昨日までは、自宅を出るときに誰かへ「行ってきます」と告げることなどなかった。帰ったときに「おかえり」と迎えてくれる人もいない。  けれど今は、大河と宗次郎が夏目の帰りを待っている。  玄関の扉を開け、廊下へ一歩踏み出す。 「先生!」  背後から呼ばれて振り返ると、大河と宗次郎が並んで立っていた。 「早く帰ってきてくれよ」 「僕たち、待っていますから」  二人の言葉に、夏目の胸が温かくなる。 「はい。なるべく早く帰ってきます」  今度は迷うことなく答えた。  まだ一晩しか過ごしていない。それなのに、夏目の中ではすでに、ここへ戻ることが当たり前になり始めていた。  エレベーターへ向かいながら、夏目は小さく笑う。 「帰る場所が二つになるなんて、変な感じだな……」  自分のアパートには、二人のぬいぐるみが待っている。  そしてこの部屋では、本物の大河と宗次郎が、夏目の帰りを待ってくれている。  まだ夢の中にいるような気分だった。  それでも今は、昨日までとは違う。  遥か遠くにいたはずの推したちが、夏目に向かって「帰らないで」と言ってくれた。その言葉に応えたい。二人がもう寂しい夜を過ごさなくても済むように、自分にできることをしてあげたい。  教師として正しい選択なのかは、まだ分からない。  けれど夏目は、二人のもとへ戻るという約束だけは、絶対に破りたくないと思った。

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