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深夜の配信
「ただいま」
「おかえりなさい、八神君。今日も遅かったですね。お疲れ様」
「疲れた……。宗次郎は、今日帰ってこないって」
「そっか。八神君、お腹は空いてますか? それともお風呂に入る?」
「うーん……」
リビングでもうすぐ行われる試験問題を作成していた夏目は、慌ててパソコンを閉じる。
時計を見れば夜の十一時過ぎ。もうすぐ日付が変わってしまう。夏目より先に出掛けていくのに、帰ってくるのは大体この時間だ。フラフラと歩きながらリビングに入ってくる大河が、崩れ落ちるように夏目に抱きついてきた。
「ちょ、ちょっと八神君……どうしたんですか?」
「超疲れた。もう動けない」
「で、でも、これはまずいんじゃないのかな……?」
「いいの。ちょっとだけ」
「よくないです⁉ とりあえず離れて!」
「嫌だ、離れたくない」
予測もしていなかった推しとの急接近に、心臓がバクバクと鼓動を打ち始める。それが大河に伝わってしまうのではないかとハラハラした。そんなことなどお構いなしに、大河は夏目の肩に顔を押し当てて甘えた声を出している。離れるどころか、更に力を込めてしがみついてきた。
大河のフワフワした髪が顔にかかり擽ったい。たくさん汗をかいてきただろうに、いい香りもする。温かな体温に逞しい体つき。耳元で聞こえる低い声にブルッと身震いをした。
──僕、今、推しに抱き締められてる。
嬉しいを通り越して戸惑いしかない。それなのに「離れて」と拒絶できないのはなぜなのだろうか? 今すぐ大河から体を離して逃げ出したい思いと、疲れ切った推しを癒してあげたいという思いが頭の中でせめぎ合う。でも、大河を拒絶できるはずなどなかった。
夏目は恐る恐る両腕を伸ばして大河を抱き締める。それから子供をあやすかのように、そっと頭を撫でた。
(推しにこんなことをしてバチが当たらないだろうか……)
心臓が破裂しそうなほど拍動を打ち、全身の血液が熱くたぎる感覚。それと同時に大勢のファンを裏切ってしまっているという罪悪感に襲われた。
「先生、小さくて可愛い」
「え? 小さい? 一応同じ性別なんだけど……」
「あははっ。小さくてあったかい。気持ちいいなぁ」
ポツリと大河が呟く。
「疲れたから、少しこのままでいて」
「……わ、わかりました……。でも、少しだけですよ?」
「うん」
大河推しの同志たち、本当にごめんなさい……。夏目は心の中で手を合わせながらも、そっと大河を抱き締めた。
寝ぼけ眼の大河にご飯を食べさせ、浴室に押し込む。そんなことをしているうちに、とっくに日付は変わってしまっていた。
「疲れた……」
布団に倒れ込む。夏目も専属のお手伝いさんではなく、教師を続けながら二人の生活を支えているのだ。そんな生活に慣れてはきたものの、疲労は隠し切れない。睡眠時間が減ったせいで仕事中は眠いし、足元がフラフラするような気がする。
それでも、ファンのために頑張ってくれている大河と宗次郎を見ていれば、支えてあげたいと思ってしまう。今まで自分が元気をもらった分だけ、恩返しがしたかった。
スマホを手に取りいつも見ている動画サイトを開く。寝る前にモトヤガを見ることで夏目の一日は終わりを迎えるのだ。
「あ、宗次郎……こんな時間に……」
深夜にも関わらず、宗次郎が宿泊先のホテルから生配信をしていた。疲れているだろうにファンのためを想ってなのだろう。そう思えば目頭が熱くなる。今まで何も考えずに生配信を見ていた自分が恥ずかしくなってきた。
『今日はね、舞台の稽古があったんだ。その時差し入れてもらったお菓子、これなんだけどね……』
いつも通りニコニコと笑いながら宗次郎がお菓子をカメラの前に差し出す。笑っているのにどこか疲れたような表情……昔の自分だったらきっと気付かなかっただろう。ファンサービスや営業と一言で終わらせてしまえばそれまでだけど、この生配信は宗次郎の優しさで溢れている。夏目はそう感じた。
「無理してるのがバレバレなんだよ」
夏目の目から涙が溢れ出してきたから、慌ててパジャマの袖で拭う。今度宗次郎が帰ってきたときには、この前「美味しい」って食べてくれた親子丼を作ってあげよう。それも食べきれないくらい大盛りにして……。
『じゃあ、みんなこれで配信は終わり。ゆっくり休んでね』
宗次郎が画面の向こうで微笑みながらヒラヒラと手を振っている。
「うん、おやすみ。宗次郎」
夏目がポツリと呟いたとき、思わず自分の耳を疑ってしまった。
『おやすみ、先生』
「え?」
『早く先生に会いたいな』
「今、なんて……」
これは聞き間違いだろうか。今『早く先生に会いたいな』って宗次郎が言った気がする。一瞬頭の中が真っ白になった。
(先生って誰だろう? 僕のこと? いやまさか、彼らの周りにはいろんな先生がいるはずだ……)
そう自分に言い聞かせるのに、嬉しさがジワジワと心の中に広がっていくのを感じる。チャット欄を見れば『今宗次郎、先生って言った? 誰、先生って?』『会いたいって……やだやだ、熱愛とかじゃないよね?』『今まで宗次郎、そんなこと言ったことなかったじゃん』とガチ恋勢が騒ぎ始めている。きっと昔の自分も、今頃不安で騒いでいたかもしれない。
「駄目だ、推しが心臓に悪い」
布団に潜ってギュッと目を閉じる。心臓がうるさくて体が火照り出した。
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