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【最終話 運命の時】ありがとう
「ただいま」
そっと呟けばマンションの中は静まり返っている。
「まだ二人共帰ってきてないのか……」
夕飯の材料がたくさん入ったエコバックを下げながらリビングに向かう。廊下を歩いていると宗次郎の部屋から明かりが漏れていたから、ドアの前で立ち止まった。
「本宮君?」
声をかけてみるが反応がない。「開けるよ」と声をかけてからドアを開けると、床に蹲り眠っている宗次郎を見つける。その寝顔は子供のように幼くて可愛らしい。思わず口角が上がってしまった。
「こんなところで寝ていたら風邪ひきますよ」
遠慮がちに体を揺らせば「んんッ」と眉間に皺を寄せるものの起きる気配はない。大きく溜息をついて、床に視線を移せば一冊の本が無造作に置いてある。何度も読み返したのだろうか? かなりボロボロになっている。何の本か気になった夏目は、触ろうとした手を勢いよく引っ込めた。
「あ、これ台本だ」
申し訳ないと思いながらも表紙だけ盗み見ると、夏目が知らないタイトルが書いてある。大河と宗次郎が出演したお芝居は全部把握している夏目が知らないのだから、前に二人が話していた新しい舞台の台本なのかもしれない。
「こんなにボロボロになるまで読んでくれてるんだね……」
台本にはたくさんの付箋も貼ってあるから、きっと何度も何度も読み返しているのだろう。自分の為に頑張ってくれているんだ……そう思ってしまうのは自惚れだろうか?
「ありがとう」
夏目の胸がギュッと締め付けられて熱いものが込み上げてくる。涙が出そうになったから、慌ててシャツの袖で目元を拭った。
『僕頑張りますから、応援してください』
頬を紅潮させながら言葉を紡ぐ宗次郎の顔を思い出す。
「ありがとう」
堪えきれずに溢れ出した涙が静かに頬を伝う。夏目が部屋に入ってきたことに気付くことさえなく眠り続ける宗次郎の髪を優しく撫でる。普段髪をハーフアップにまとめているのに、今は結わえられていない。顔にかかる長い髪が、彼を普段より妖艶に見せた。
大河とは違った綺麗さをもつ宗次郎。あまりにも神々しくて触るのさえ躊躇われるほどだ。
「宗次郎……」
そっと呟いた瞬間グイッと腕を引かれ、床に押し倒される。「え?」と思った瞬間、つい先程まで寝ていた宗次郎が自分の上に覆い被さっていた。両腕を顔の横に押し付けられ、組み敷かれてしまえば体を動かすことさえできない。あまりに至近距離に宗次郎の顔があり、思わず息を呑んだ。
「夏目先生、捕まえた」
まるで悪戯っ子のようにニヤニヤと笑う。宗次郎の髪が頬にかかりくすぐったい。夏目の心は、不安と期待とが入り交じりグチャグチャになってしまった。思わず全身に力を込める。
「お、起きていたなんてズルい……」
「いやぁ、あんまりにも可愛いことをしてくれるから、起きるのが勿体なくて」
「そんな、ひどい……」
「でも、宗次郎って名前で呼んでくれたことが凄く嬉しくて。寝たふりもしてられなくなりましたけど」
クスリと意地の悪い笑みを浮かべ宗次郎が笑う。
「ねぇ、夏目お願い。僕のことも宗次郎って名前で呼んでください? 大河のことは名前で呼ぶでしょう?」
「そ、それは……」
「お願い、宗次郎って呼んで? お願い」
不安そうに自分の顔を覗き込んでくる宗次郎の切れ長の瞳が、ユラユラと揺れていることに戸惑いを隠せない。いつも冷静沈着で、自分の我儘を夏目にぶつけてくることなんてなかった。そんな宗次郎が見せた意外な一面に、夏目の胸は締め付けられる。こんな宗次郎を初めて見た。
「夏目……僕の話を聞いてくれますか?」
「話? え? あ、うん。勿論聞きますよ」
こんなに改まって一体何の話だろうか? 胸がザワザワしてくる。
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