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最高の推し

「はぁ疲れた……」  久し振りの出張に出かけた夏目は、歩き過ぎたせいで足が棒のようになってしまい……日頃の運動不足を呪った。加えて今日はうだるような猛暑。地下鉄に乗った瞬間、その車内の涼しさにホッと胸を撫で下ろした。 「早く帰って夕飯の支度をしないと。今日は何にしようかなぁ」  電車に揺られながら思考を巡らせる。  きっと夜にはお腹を空かせた二匹の怪獣が、「夏目、お腹減った~!」と喚きながら帰ってくることだろう。その光景を思い出すだけで、つい口角が上がってしまう。とても幸せなのに、心が締め付けられるように痛い。  でも夏目はこの感情の正体を知っている。そうこれは……。  地下鉄から地上へ出ると、夏目は一気に熱風に包まれた。 「暑いー!」  無意識に顔を歪めながら、滝のように噴き出してくる汗をハンカチで拭う。地下が涼しかっただけに、夏の暑さが体に応えた。蝉の鳴き声が暑さを更に助長している。 「あ、見て! モトヤガだ!」 「本当だ! 新しいお芝居の記者会見だって!」 「やっぱり大河はかっこいいよね!」 「えぇ⁉ 私は断然、宗次郎派だな」  映像が流れだした瞬間、信号待ちをしていた人たちが一斉に黄色い声援をあげる。駅前の一際大きなビルに設置されている街頭ビジョンを見上げながら、顔を紅潮させた女の子たちがスマホを構えた。 「皆さんこんにちは」  聞き慣れた声に夏目も視線を上げれば、街頭ビジョンには記者会見を受ける大河と宗次郎の姿が映し出されていた。  大勢の報道陣が集まった会見場所にはフラッシュが飛び交い、みんなが主役である大河と宗次郎に注目しているのがわかる。壇上でにこやかに手を振る二人は、いつもみたいにキラキラと輝いていた。 「八月から公演が始まる新舞台で、見事主役の座を射止めた八神さん、本宮さん、おめでとうございます」 「はい、ありがとうございます」 「今回は有名な脚本家が演出も手掛けたということで、大変注目を集めていますが……。八神さんから意気込みを聞かせてください」 「そうですね。今回のお芝居はどうしても見て欲しい人がいて……その人の為に頑張りました」  記者の質問に答える大河の表情はとても穏やかで……いつからこんな柔和な顔ができるようになったのだろう、と夏目は驚きを隠せなかった。クールビューティーなどと呼ばれていたあの頃の面影はない。そんな大河の成長がとても嬉しかった。 「え? 見て欲しい人ですか?」 「はい。とっても大切な人なんです」  大河の言葉を聞いた瞬間会場が一気にざわめく。フラッシュが瞬き、シャッターを切る音が一際大きくなった。 「大切な人っていうのは恋愛的なものですか?」 「はい。恋愛的なものです」  自分が爆弾発言をしていることに、大河本人は気付いているのだろうか? 今日のネットニュースはこの話題で持ち切りだろう。もしかしたらスポーツ紙の一面を飾るかもしれない。でも、そんなことはお構いなしに大河はニコニコしている。 「もしかして、今回共演した女優さんと熱愛報道がありましたが、その方のことですか?」 「いいえ、全然違います」 「では、こんな大スターのハートを射止めたのはどこの誰なんでしょうか?」 「今は言えません。でも俺が高校を卒業する頃に、もしかしたらお話することができるかもしれません。それに、ここに最大のライバルもいるので……」 「ラ、ライバルですか? ここにって……それってもしかして……」 「はい、僕です」  大河の隣でずっと微笑んでいた宗次郎が照れ臭そうに口を開く。その瞬間、会見場が揺れたのでないか? と心配してしまう程のどよめきに包まれた。 「え? ちょっとまってください。と言うことは、八神さんと本宮さんが同じ人を好きになったということですか?」 「はい。うっかり同じ人を好きになってしまいました」 「誰なんですか? その超がつくほどラッキーな方は」 「ふふっ。今は秘密です。先程大河も言ってましたが、高校を卒業する頃に、もしかしたらお話できるかもしれません」 「それまでは秘密、ということでしょうか?」 「はい。今は言えないです。すみません」  宗次郎が笑顔を浮かべつつもきっぱりと答える。その清々しい程の笑顔を見ると夏目の口角まで自然と上がってしまう。  大河と宗次郎の言う『大切な人』っていうのは自分のことなんだ、そう叫びたい衝動を必死に堪えた。 「今、俺と宗次郎には、大好きな人がいます。そして、その人の為に芝居をしたい。大好きな人の喜ぶ顔が見たいんです」 「だから、今回のお芝居を絶対成功させるように頑張ります」  そう微笑む大河と宗次郎は王子様のように見える。あの笑顔が見たくて足繁く通った劇場。 例え自分の存在に気付いてもらえなくても、ただ遠くから彼らを見ているだけで幸せだった。同じ時代を生きているという事実だけで、満たされていたから。  でも今は違う。あのキラキラと輝く存在を独り占めしたいと思う。誰にも渡したくなんかない。なぜなら大河と宗次郎は夏目の推しではなく、恋人なのだから。 「おーい、見てますか? 僕頑張ります。大好きだよー!」 「あ、おい宗次郎、抜け駆けすんなよな! 俺だって大好きだからな!」  カメラに向かいヒラヒラと手を振りながら無邪気に微笑む大河と宗次郎。それを見た夏目は思う。  ──やっぱり僕の推しは最高だ。

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