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せっかくタダでもらったのだから、使わないともったいない。そんな貧乏性な思考により、ヒューゴは仕事終わりに広場に設けられたテント状の芝居小屋へと足を運んだ。結果、ある俳優にどハマりするとは思いもよらずに。
ヒューゴが心惹かれたのは主役の姫君を演じた美人女優でも、壮健な騎士役でもない。二人に怪しげな助言を施す異国の占い師役、極東の国からはるばるやって来たというほぼ無名の新人役者、リンである。
この辺りではあまり見かけない、漆黒の直毛に黒い瞳。そのエキゾチックな容貌と高い演技力および語学力に、ヒューゴはあっという間に虜になった。
たまたま聞こえた観劇趣味のご婦人方による話では、こういう感情を誰かに抱くことを『推す』と表現するらしい。
そういうわけで、ヒューゴには生まれて初めて推しができたのである。
「ヒューちゃん、今夜も芝居小屋に行くの? 演目も一緒だし、何回も観てると飽きない?」
「飽きませんよ! 演劇は生物なんです。同じ内容でも観る日によって観客の受け取り方は違うし、毎回新しい発見があるんです!」
「そ、そう……まあ、ヒューちゃんが楽しいならそれでいいけど。でも、頻繁に観劇に行っていると出費も馬鹿にならないでしょう? それは大丈夫なの?」
「そうなんです。だから僕、日雇いの仕事を新しく始めました。酒場での給仕なんですけど、ここでのお仕事が終わった後から日付が変わるまで働くだけで、結構いい稼ぎになるんですよ」
今までのようにどこかしら疲れているような表情ではなく、ハリのある笑顔をアンナに向けながらヒューゴは言う。
推しがいるというのは素晴らしい。だって、彼のことを考えるだけで、こんなにも生きる活力が湧いてくるのだから。
「無理しないようにね。そういえば、好きな役者がいるなら、やっぱりプレゼントとかもしているの?」
「プレゼント?」
「知り合いに今のヒューちゃんと似たような俳優好きがいてね。何でも、推しの役者にお菓子やお花を贈るファンって、結構いるみたいよ。食べ物は贈られた側も何が入れられているか分からないから、怖がって受け取ってくれないこともあるけど……お花なんかは贈られる方からも評判がいいらしいわ」
「そうなんですね。贈り物か……」
ヒューゴは想像する。街の花屋で選んだ花束を持ち、芝居小屋の近くで俳優の出待ちをする集団の中に紛れ込む。そしてあの黒髪の美しいリンに、「いつも見ています」と言って、花束を手渡すのだ。
彼はどんな顔をするだろう。考えるだけで胸が高鳴る。
今度観劇に行く際は、事前に花屋へと寄ってから行こう。そうと決まればますます稼がなければ。推しに貢ぐために働く分には、まったく苦にならない。
雑貨屋を閉めた後、そそくさと次の仕事場へと向かうヒューゴを見つめる眼差しが存在することに、彼はまだ気付かない。
ある日の公演終わり。役者たちが出てくる出入り口付近には、特定の俳優のファンたちがちょっとした列を成して並んでいた。
ヒューゴもこっそりとその列に紛れ込み、愛しい影が現れるのを今か今かと待ち続ける。
まず、主役を演じた二人がそれぞれ普段着に着替えて出てくると、一斉にわあっと群衆が押し寄せた。色とりどりの花束から高級な菓子、さらにはアクセサリーと、ファンからの貢ぎ物は様々だ。
次に脇役の中でも存在感のある役者たちが出てきて、そちらにもまたファンが群がる。やがて群衆の影からすうっと音もなく現れたリンの元へ、ヒューゴは迷わず駆け寄った。
「リンさん!」
「え、僕?」
呼びかけられた名前に、彼は信じられないという表情でヒューゴを見る。
リンと目が合っている。推しがこっちを見て、同じ空気を吸って、自分を認知してくれている。
そのことを理解した瞬間、ヒューゴはぶっ倒れそうなほどの幸福感に襲われた。
「あの、これ!」
「え?」
「えっと、あの……」
街の花屋で初めて購入した素朴な花束を、震える手で差し出す。
「いいい、いつも応援しています! これからも頑張ってください!」
辛うじてそれだけ伝え、ぎゅっと目を瞑ってリンの反応を待つ。
もしも受け取ってもらえなかったらどうしよう? 気持ち悪いと拒絶されたら?
そんなことを考えているヒューゴがおそるおそる目を開くと、何よりも尊い推しはほんの一瞬戸惑った顔をして。しかしすぐに優しく微笑んでくれた。
「ありがとうございます。嬉しいです」
柔らかく笑って、ヒューゴが差し出した花束を受け取る。優雅に礼をすると、彼はまたするすると群衆の間を抜けて、街の中へと消えて行った。
推しと会話できた喜びで放心していたヒューゴは、周囲に群がっていた俳優ファンたちが散り散りに去り始めるまで、その場から動けずにいた。
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