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公演終わりの推しに花束を渡し、真っ暗な夜闇の中帰路につく。
日雇いの仕事を入れる予定はもうない。明日にはノーデルリヒトの公演も千秋楽を迎え、その翌日に彼らはまた別の土地へと旅立ってしまう。
推しが遠い場所へ行ってしまうのは無論寂しい。だが、本当にリンという役者のことを応援しているのなら、彼の新たな門出と今後の活躍を心から願うべきだろう。
明日は花屋でとびっきり綺麗な花束を見繕ってもらって、彼の姿を見に行こう。花屋の主人とも、今やすっかり顔馴染みになってしまった。
それだけではない。酒場で働いていたためか様々なタイプの人間とコミュニケーションを取る機会が増え、狭かったヒューゴの視野は一気に広がっていた。推しのおかげで、人生そのものの楽しみ方に変化が生まれたのだ。
明日を過ぎればリンの姿を見られなくなるという寂しさや悲しみは一旦飲み込んで、最終公演の日は彼の旅立ちを精一杯祝福しよう。
通りの外れにある安いアパルトメントの一室。帰宅したヒューゴは明日に備えてさっさと休んでしまおうと、簡素なベッドに潜り込んだ。観劇というのは意外に体力を使う。特に明日は千秋楽ということもあり、推しの輝きをこの目に焼き付けるために万全の態勢で挑まなければならない。
ごそごそと寝返りを打ちながら、睡魔が訪れるのを待つ。気が昂っているためかなかなか寝つけないでいると、不意に玄関の方から物音がした。
寝入りばなの幻だろうか。気にせず眠ろうとすると、再び扉が叩かれるような音が聞こえる。
やはり誰か来客がいるらしい。ヒューゴはベッドを抜け出し、玄関へと向かう。扉越しに「どちら様ですか?」と尋ねるが、薄いドアの向こうから聞こえてくるのは何やら低い声でぶつぶつと呟く言葉ばかりだ。
気味が悪くなって寝室に戻ろうとした時、奇妙な呟きが突然止まった。代わりに聞き慣れた声がする。
「ヒューゴ」
己の名を呼ぶ低い声は間違いなく、昔からよく知っている天敵のものだった。
「な、何? こんな夜中に、どうしたの?」
「中に入れてくれないか」
「え? でも」
「中に入れてくれ」
有無を言わせないような、強い口調で再度同じ言葉が繰り返される。
幼い頃から上下関係を叩き込まれてきたヒューゴにとって、ライニールの頼みを断ることは不可能に近い。
「うん、いいけど……」
それにしてもこんな時間に何の用だろう。そんなことを考えながら鍵を開け、扉を開く。半分も開かない内に大きくて頑丈な手が扉を掴み、強引に開け放った。
屈強な身体が俊敏な動きで部屋に飛び込み、そのまま流れるような動きで後ろ手に鍵を閉める。物心がつかない内から見知った男の顔を訝しげに見ながら、ヒューゴはおずおずと尋ねた。
「急にどうしたの? 珍しいね、こんな時間に」
「一つだけ聞くぞ。今、何故俺を部屋に入れた?」
ライニールはこちらからした質問には一切答えず、質問に質問を返してくる。ヒューゴは困惑しながらも答えた。
「そんなの、恋人だからに決まってるじゃん」
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