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第2話
青果店店内を勢い良く走り抜けてアーケードの反対出入口側に向かって走る。
途中で何で走る必要があるのか分からなくなって、緩やかに速度を落とすと自分の呼吸が邪魔に感じた。静かなところに行きたい。休憩所があったはずだが、そんなところで呑気にしていてはすぐに見つかりそうなので少し離れた場所に行こうと歩き続ける。
商店街の中には代表的な出入口の他に昨日綾太が神社の方へと抜けた道路や小道に出るための出入口が存在する。綾太は後ろを気にしつつ、すっと横道に逸れてアーケードから抜けた。
昔はなかったはずの広場があった。規模は大きくないが、飲料自動販売機も設置されているので天気の良い日には買い物客がベンチで一息ついたり、芝生で子供たちが裸足で駆け回る姿が容易に想像出来た。が、基本人通りが少ない商店街で頻繁に利用されているとも思えず、事実、快晴の日曜日にここに居るのは綾太だけだった。
自販機でジュースでも買おうと思ったが、スマホも財布も店に置いて来てしまった。仕方なくベンチに座り、そこから広場全体を眺める。手彫りで作ったのか「日ノ入り前広場」と書かれた木の看板が芝生に突き刺さっている。
そういえば義父も手彫りで表札を作っていた。下手くそだったが、母が笑っていたので幸せだった。
離婚後、母は一年足らずで再婚した。母の実家の、綾太からすれば祖母の勧めだった。同じく連れ子再婚で、向こうには綾太より一つ下の女の子が居た。結婚生活が順調だったかどうかは本人同士にしか分からないことだが、義父は優しく、綾太もよく懐いた。
血の繋がりのある父より長く一緒に居たわけだから本当の父親のように思っていた。
母が病気で亡くなるまでは。
親が勧めた再婚とはいえ彼なりに母を大事に想っていてくれたのだろう。母が亡くなる前後は精神的にも追い詰められていたに違いない。
今考えてみれば理解も出来るのだけれど「お母さんが病気になったのは実家や前の嫁ぎ先で苦労したからだ」と言われてしまうと、どうしても母を苦しめた存在の中に自分も居るような気がして、母の病の引き起こしに加担している気がして眠れなくなった。勿論、義父は息子を責めたいわけでも、母の周囲を貶めたいわけでもないのは分かっている。でもどこかにぶつけたい。それが見事に当たって、綾太は自分の存在を見失ってしまった。
一年の闘病生活の末、半年前に母は死んだ。安らかに「幸せだった」と言い残して。
空になった母だった入れ物を見つめていると、嫁いだ家にも離婚後に帰った実家にも居場所のなかった母は漸く新しい父の元で居場所を見つけたのだと思った。では、綾太の居場所は何処にあるのか。母が築いた場所で間借りしていたのだと気が付いたら何だか宙ぶらりんになった。足は確かに地についているのに、踏み締めた感覚が不安定で沈んでしまいそうで怖かった。
義父は相変わらず優しい。母が逝ったあとも家族として受け入れてくれているし、妹も懐いてくれている。
――なんでそんな怒ってんの。
脳内に差し込まれた言葉で我に返る。
ずっと怒りたかった気がする。いや、顔面強男の言う通りならもうずっと怒っていたのかもしれない。
自分を捨てた父に。流されるままに生きた母に。
誰にもぶつけられないまま抱えてきた。義父が綾太に零したようなことを綾太は他の誰にもしたくなくて逃げている。
「……はぁ……戻るか」
逃亡しても今の綾太には帰る場所が一つしかなくて、きまりの悪い顔をしてトボトボとアーケード内に繋がる道を戻る。
「お、裕司さんのムスコ。えっと……りょーた」
早速黒髪短髪イケメンに見つかってしまう。裕司から聞いたのか迷いつつ名前を呼ばれると自分のものなのに擽ったく感じる。
「俺、ここのオーナーの木場 。まぁ、オーナーつっても俺しかいないけど」
商店街の一画を指差されると強制的に会話を続行しなくてはならなくて、あの場での非礼を詫びる機会をすっかり失ってしまった。
「美容師さんですか」
「そう。商店街の連中大体俺んとこ来るから、綾太も来いよ。モテ男にしてやる」
「はぁ」
Rino と書かれた看板を見上げ、そういえば伸びたな、と自分の前髪を視界に入れる。ここ半年は美容院に行く気にもなれず伸ばしっぱなしにして、けれど目に掛かるのが疎ましくてセンターパートにしてある。
「あー……あとさ、俺が言うのもなんなんだけど、裕司さん、離れててもお前の話ばっかしてたし、お前とまた一緒に暮らせんの楽しみにしてたよ」
「暮らしませんよ、一緒には。あの人にも新しい家庭あるかもしれないし」
「は? そうなん? でも、二階空いてるから一緒に暮らすって言ってたけどな」
木場が「俺、片付け手伝ったよ」と首を傾げている。
贖罪のつもりだろうか。綾太の中で黒い点がぷつぷつと生まれてくる。小さな粒は隣の粒と繋がってやがて一つとなり体内を覆い尽くす。
「なんか、もう、今更……余計なお世話すぎて」
話している途中で笑えて来て、ははっ、と声が漏れる。そのまま挨拶もせず木場の店の前から離れると、青果店へと向かう。歩くスピードはどんどん上がり、最終的には走っていた。
「あっ、戻って来た。お前さ、ちょっと――」
店の前には顔面強男が居て、綾太の姿を見つけるなり物申したいのか近付いて来る。だけどそれをスルーして店内へと入って行く。
足音に気付き、間仕切り暖簾を分けて裕司が顔を覗かせたので体ごとぶつけてバックヤードに押し戻す。
「美容師の人にさっき会って聞いたけど、俺、頼んでねぇよ」
「木場? なに、木場がなんて?」
記憶の中の父の存在は物理的にも大きかったはずが、胸倉を掴むと殆ど身長が変わらなくて「綾太は大きくなるだろうなぁ、パパに似て手足が大きいもん」と言ういつかの母の呟きが雑音に混じって聞こえてくる。
「一緒に暮らして欲しいとは言ってねぇっつったの。勝手に二階を二人暮らし仕様に変えてんなよ」
まだ見てはいないが、木場から聞いた、勝手をするなと裕司に言うと、手首を掴まれる。
「お前に確認取る前に勝手にそうしたのはすまない。でも俺は綾太と暮らしたい」
「俺は暮らしたくない。一人になりたい。あんたはあんたで新しい家族でも作って仲良くやってなよ」
「お前と母さん以外、家族なんて――」
聞きたくない。掴んだ胸倉を綾太が揺さ振れば、裕司の言葉は出て来なくなった。
だったら、どうして母さんが出て行く時に止めなかったんだ。どうして俺を迎えに来てくれなかったんだ。黒くて子供染みた我儘が腹の中を混ぜ返す。
十七年生きて来て、平和路線に滑車を乗せてただの一度も外れたことがなかったから、時間経過と共に自分の行いを自覚し、裕司の服を握り締める手が段々と震えてくる。それでも、止める事が出来ない。誰にもぶつけたくないと思っていたのに、黒い感情が抑え切れなくなって体を裂いて綾太の中から出て来る。
「散々放っといて母さん死んで漸く父親ヅラかよ!」
叫び終わると元々綾太と裕司と顔面強男しか居ない空間から雑音が取り払われてシンと静まり返る。力を抜いたら全身がボロボロに崩れ落ちそうだった。
近付いて来た顔面強男に腕を掴まれ「はい、そこまで」と何かの試合が終了したかのように声を掛けられ、裕司の服から手を退けた。
「ゆーじい、コイツちょっと預かるわ」
顔面強男の声がする。手を掴まれ自分が預かられる「コイツ」であることを知る。
先程の発言でどれほどかでも傷付けることが出来ただろうか。気持ちは全く晴れない。それどころか口に出した事で益々気分が重くなる。裕司の顔は見れぬまま、顔面強男に腕を引かれて青果店から離れた。
連れて来られたのは「Clair 」と看板を掲げる店で、顔面強男が働いていると思われる店だった。何故ここが顔面強男の店であると推測出来たのかといえば、答えは至極簡単で、店に入った瞬間、顔面強男と同じ匂いがしたからだ。これは香水か、アロマオイルか、香りの発生源を辿ろうとしている割に気持ち的には何処から香っていようがどうでも良かった。
ただ、知っている匂いに包まれるのは昂った神経を落ち着けてくれた。
Clairは青果店と構造が違い、店内入ってすぐの場所に二階に続く緩やかな螺旋階段がある。しかし確認出来たのはそれだけで、綾太は店内を見渡す間もなく、店の奥に通されてバックヤードにある椅子に座らされ水のペットボトルを手渡された。
「それ飲んでゆっくりしてな」
顔面強男は告げて店内へと戻って行った。
青果店から顔面強男の店まで何軒分あったろうか。自分の足で歩いて来たはずなのにそんなこともまともに覚えていない。
暫くすると店の中から声が聞こえて来た。客が来たらしい。話し声を聞きながら綾太は立ち上がりバックヤードの隣の部屋へと向かう。勝手な行動をしているという罪の意識もなく、ふらっと薄暗い部屋へと足を踏み入れた。電気のスイッチを探して出入口の壁を見るとすぐにその存在を見つける。明かりが灯ると店内よりもやや狭い部屋には事務作業用のデスクとテーブル、やけに大きなソファー、奥の方には在庫と思われる段ボールが置かれ、ハンガーラックには売り物であろう洋服が掛かっていた。
店内に入った時のことを思い返す。雑貨類が目に入ったのでインテリア雑貨の店かと思っていたが、洋服等も扱うセレクトショップだったのか。
どちらでも構いはしないが、デスクの上に置かれた名刺で顔面強男の氏名は判明した。
「……紀咲岳 」
名の横にローマ字で「KISAKI GAKU」とあったからそのまま口に出してみる。
岳は何故自分の店に連れて来たのだろう。放っておいて殴り合いを始められても困るというのは分かるが、解決方法などあってないような親子喧嘩に関わるのは面倒なことこの上ないだろうに。
単に世話焼きなだけかもしれない。岳に許可も得ず、綾太はソファーに腰を下ろした。ベッドにもなりそうな大きさのソファーに凭れ、飾りに置かれたクッションを膝の上に引き寄せると岳の香りが漂う。
店内での話し声は子守歌のように聞こえ、綾太はいつの間にか両方の瞼を閉じていた。
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