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第3話

 ぐが、という音で目が覚めた。最初は何の音だか分からなかったが、すぐに自分の寝息であると分かって、誰に誤魔化すでもなく鼻を啜った。  ついでにだらしなく開いていた口を閉じて涎を垂らしていなかったかと確認のために手で口元を拭う。 「熟睡しすぎ。夜寝れてねぇの? 睡眠不足は成長を妨げ……いや十分育ってっか。身長何センチ? ゆーじいのがちょっと高い?」  綾太の起床に気付いてデスクに体を向けていた岳が椅子ごと移動してソファーに近付く。 目覚めてすぐに質問責めに合い、開いた瞼が重く感じる。 「百八十三っす……父さんの身長は知りません。聞いたこともないし、そもそもずっと会ってなかったんで」 「ふーん」  そっちから聞いて来たくせに興味がないような返事を貰って言葉に詰まる。会話を、何か言わなければと目を擦りながら口を開く。 「あ、えっと、俺、どんくらい寝てました?」 「二時間くらいかな」 「すんません、勝手にソファーで寝ちゃって」 「いいよ別に。商店街の連中も勝手に入って来るし。てか腹減んない? 夕飯には早ぇけど、なんか食お」 「あー……はい」  岳が椅子から立ち上がるのを見て、綾太もソファーに沈んだ体を動かす。母が亡くなってから睡眠不足の自覚はあったが、まさかあんなことがあったあとにぐっすり寝入ってしまうとは。余程脳が疲れていたのかもしれない。  岳に続いてバックヤードから店内へと出る。  入って来た時にはゆっくり眺める余裕もなかったが、店の中を移動しつつ見渡してみるとレジ横のショーケースにはアクセサリーや財布が並び、両サイドの壁側にはバッグやキャップ、香水、アロマオイルと思わしき品の良い小瓶が陳列され、天井から吊り下げられているハンガーラックにはTシャツ、ズボンなどの衣類が掛けられている。 「ここってなんの店――」  尋ねようとすると前を歩いていた岳が立ち止まって振り返るのでぶつかりそうになってその場に留まるために爪先で踏ん張る。 「そういやさ、ちゃんと謝ってない気ぃするから言っとくな。神社で賽銭ドロと勘違いしちゃってごめん」 「ああいや、俺の方こそ……イライラしてしまって、すんませんでした。あの時だけじゃなくて、さっき、昼間も。ほんと、ごめんなさい」  距離も計らず頭を下げると、岳の肩に前髪が触れてしまう。綾太が急いで顔を上げたら笑った彼と目が合った。 「お前、良い子だな」 「別に。良い子じゃない、と思います、けど」 「俺は良い子に弱いんだよー」 「人の話聞いてます?」 「右行ったら洋食屋、左行ったら中華料理屋。どっちにする? ちなみに右に行くとお前ん家に戻る」  再び歩き出した岳が店先に出てドアに鍵を掛けると人差し指を左右に振る。  裕司に出くわしそうな右には行きたくない。 「……中華料理で」 「だよなぁ~、俺も炒飯と餃子食いたかったとこよ。気ぃ合うね」  昼間もそんなに人通りがないのに、夜が近付くにつれて更にひと気は減って、ナハハ、と笑う岳の声がアーケードの中に響いた。 「ここ、来たことねぇ? ちっちぇー時とかに」  (りん)さん(えん)と書かれた看板の下の重たそうなドアを開けながら岳が言う。綾太は首を横に振る仕草だけで返事をした。  店頭ショーケースの中にある食品サンプルには埃が積もっている。  年季の入った店ということはつまり綾太が居た頃から営業していたのだろうけど、母と過ごした青果店の記憶は残っていても当時商店街にどんな店があったのかは殆ど記憶にない。 「あらー、岳ちゃん、いらっしゃい」 「今日は若い男連れて来たぜ、おばちゃん」 「まぁ、男前ねー」  岳が客を連れて来た時の決まり文句なのか適当な言葉を発せば、中年女性も綾太のことなど見ずに定型文のような言葉を返してくる。 「(はやし)のおばちゃんはおじちゃんと一緒にこの中華料理屋経営して三十うん年。ほら、おじちゃん、奥に居る。めちゃくちゃ無口だけど、料理はマジ美味い」  岳が調理場に向かって手を振ると、店主と見られる中年男性が手を挙げて応える。 綾太は「おばちゃんとおじちゃん」に一度ずつ頭を下げた。 「んで、こいつはゆーじいのとこの息子。綾太っつーの。これからよろしくな」 「えっ! あっ、あー! 来るって言ってたけど、ついに? まぁまぁ、そうなの、裕司くん、すっごい楽しみにしてたわよ」  男前ねー、の時は殆ど感情が込められていなかったのに、綾太が何者であるか明かされた途端に林のおばちゃんの口角が上がる。 「あんたが小さい頃にお母さんやら裕司さんやらと散歩しよんのよう見てたけどほんと可愛らしくってねぇ。あんな小さかったのにこんな大きくなって。今何センチあるん? 裕司くんもおっきいから遺伝やねぇ」  マシンガンのように発せられる言葉にどう反応して良いのか分からず綾太は愛想笑いし、代わりに岳が「百八十三だって」と答えてくれる。 「あの頃のあんた知ってるの、一銭焼き屋のおばちゃんと、回転焼き屋のおじちゃんくらいやないかな。今度聞いてみ、ちょこちょこ歩きで、覚えたての挨拶してくれたんほんとに可愛かったわ」  林のおばちゃんは両手に水を持っているものの話してばかりでいつまで経っても席に案内してくれない。岳もそう思っていたのか、勝手にテーブル席の椅子を引いて座ってしまう。綾太も向かい側に座ると、林のおばちゃんは漸く水を置いて「岳ちゃん、いつもの?」と注文を聞く。 「あ、じゃあ俺も一緒で」  好き嫌いはないので綾太も岳に合わせて料理を頼むと林のおばちゃんは厨房へと入って行った。  改めて店内を眺める。  狭いカウンターとギリギリ四人座れる程度のテーブル席が五席。天井、床共に油で光っていて、そこに経年の埃がくっ付いて黄ばんで見える。客は岳と綾太だけ。目だけを動かしていると頬杖を付いてニヤける岳が視界に入って来た。 「……なんすか」 「スカしてんじゃねぇよ。ちっちゃい時可愛かったくせに」  先程の林のおばちゃんとのやり取りのことを言っているのだろう。揶揄われているように感じて嫌そうに眉を寄せる。 「なんでそんな顔すんの。いいと思うけどな~」 「なにが良いんですか」 「子供が可愛がられてるっていいじゃん。それに息子と一緒に暮らせるってはしゃいで喜んでる父親も良いと思う。正直な反応だろ」  しっかりと目を合わされて言われ、綾太は眉を寄せた表情はそのままに視線を逸らす。 「な……んで、そんな、関わってくるんすか。どうでも良いでしょ、他人の家なんて」 「は? どうでも良くねぇし。俺、一応この商店街の協同組合会長だから。俺にとっては皆ファミリーなんでね。平和を乱したくねぇのよ。平和が一番じゃん」 「えっ!? 紀咲さんって何歳ですか」 「なんで名前知ってんの? 俺名乗ったっけ?」 「あ、いや、店で名刺見て」 「ああ、そう。紀咲じゃなくて岳で良いよ。歳は二十五」 「二十五……若いのに会長……」 「まぁ仕方ねぇのよ。この商店街もじいちゃんばあちゃんの割合高ぇし。俺と年近いのなんて木場にパン屋にコーヒー屋にハンバーガー屋くらいだもん。それになってみればそんな大変なこともねぇしな」 「イベントの企画運営とかあるんじゃないですか」  近隣に大型ショッピングモールなんかが出来るとそちらに客を取られた小さな商店街が町おこしも兼ねてイベントごとを企画し奮闘するというのはドキュメンタリー番組なんかでよく見る。  だから日ノ入り前商店街も当然の如くそのような努力をしているのだろうと思った。が、綾太の目の前に座る岳は首を傾げ頭上に疑問符を浮かべている。 「なにそれ、そんなんやってねぇよ」 「えー……どうりで客が少ないわけだよ」 「は、なんか言った?」 「いいえ、なにも」  話している内に料理が運ばれて来た。林のおばちゃんがトレーを岳の前に置く。  炒飯と餃子、サラダに中華スープというシンプルなセットだったが腹が減り始めていた綾太には炒飯の山のような盛り具合が輝いて見える。 「あいよ、お待ちどおさま」  綾太の料理を運んで来たのは林のおじちゃんで、トレーが目の前に置かれると小さく頭を下げた。立ち止まっている林のおじちゃんが「大きくなったな」と呟く。間違いなく綾太に向けられたもので、真正面に居る岳がまたしてもニヤけている。  もしかしたら林のおじちゃんにも可愛がられていたのかもしれない。それを忘れてしまっているのが申し訳なくて、綾太はお詫びをするみたいに料理に向かって手を合わせた。

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