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第6話
「木場さんは岳さんと付き合い長いんですか」
所用から戻って来た裕司と入れ替わりで店を出た。綾太が訪れた場所はRinoで、岳に言われた通り散髪しようと木場に頼んだら「普段は予約ないとぜってー切らねぇからな」と嫌な顔をされつつ全身鏡の前の椅子に案内された。
鏡越しに木場の姿を眺めていると見た目は全く違うのにどことなく岳に似た雰囲気を感じる。
類は友を呼ぶというか、もっと大雑把に言えばノリが一緒だと思ったから付き合いが長いのかと聞いてみたのだが鏡越しに見つめ返されて、うん、とだけ返事を貰った。
「いつ頃からの知り合いなんですか」
「中学から一緒。腐れ縁みたいなやつ」
「え、結構長い付き合いですね」
商店街繋がりで二人共若いし数年ほどの付き合いかと思えば想像以上の年数で声色に合わせて表情にも驚きが表れてしまう。
「じゃあ岳さんのことってなんでも知ってるんですか」
「はぁ? なんで? 岳のこと知りてぇの?」
「知りたいというか……さっきも苺一緒に食べて、楽しい人だなとは思うんですけど、俺の印象通りの人なのか、木場さんから見てどんな人なのかなって」
木場にストレートに聞かれてしまうと、自分は岳のことを知りたいと思っていたのだと認識させられてしどろもどろになってしまう。
綾太には血の繋がりのない妹が居る。
男女という性別を取っ払い、年下という守るべき存在である者にどう接すれば良いのかは解っている。けれど兄のような存在は初めてだった。綾太はそのような存在の登場に憧れを抱いているのだと自身の感情を判断していた。
コームで後ろ髪をしっかりと梳かれ、真ん中で分けてあった前髪も梳かれて幽霊のように目に髪が掛かると木場が「前髪作る?」と聞いて来るので「お任せします」と答える。
髪の毛を切りに来ているのに、髪型のことなどそっちのけで早く岳のことを教えて欲しくて、綾太は髪の隙間から木場を見つめる。視線に気付いたのか木場が前髪を分けてくれて、んー、と思案するように鼻を鳴らす。
「どんな人って、まんま、あの通りよ。老若男女問わず人との距離激近いし、あいつ基本オープンな主義だから隠し事もしないし、単純だし、付き合っていけばその内丸裸に出来んじゃないの」
「……丸裸」
「人となりはそんなもん。あとはー……あ、ゲイだ。中学ん時に女と付き合ったけどしっくりこなくて気付いたらしいよ。それも隠してねぇから本人に聞いてみ。でも別に男と見れば見境なく手ぇ出すわけじゃないし、ガキには興味ないって言ってたからそこは安心しろよ」
カットクロス越しに肩を叩かれる。
綾太は、はぁ、と相槌を打ったが、すぐに「はぁぁ!?」と声を上げる。けれど木場は気にもせず「あれー、ダッカールがねぇ」と髪留めを探して店内をうろつき始めた。
ゲイってあのゲイだよな、同性が好きってことだよな、と脳内で繰り返す。
木場が相手にしてくれなくなったので綾太は頭の中で何度もゲイという言葉と木場から聞いた岳の性的指向を照らし合わせては確認作業を行った。
カットの最中に木場が全体の長さや前髪について質問してくるが、もう目の前の鏡に映る自分の姿などどうでも良くなっていた。
数十分に渡るカットにより放置し過ぎてボリュームが出ていた髪は全体的にすっきりとして、前髪も作って貰い、木場からは「伸びる前に切りに来い。次の予約で時間ねぇからシャンプーは自分でしろよ。つーか次は絶対予約入れろ」と言われて店から放り出された。
何故か金を取られなかった。「お前見た目良いし、俺の店で切ったって高校で宣伝して客連れて来い」とのことだった。それでもカットモデルではないのだから無料はないだろうと思ったけれど、岳と同様、木場はぶっきらぼうなりに自分を可愛がってくれているのかもしれない。
木場に礼を言い、一歩、二歩、とRinoから遠ざかる。そうすると木場への感謝の気持ちは、先程聞いた岳がゲイであるという衝撃にどんどんと塗り潰されていく。
「……ゲイ」
呟いても全くしっくりこない。
迫られたわけではないから実感がないのは言うまでもないが、岳の恋愛関係を探ろうと木場に持ち掛けたわけでもなかったから突然思ってもみない方向から刃物を振り翳されて上手く避けることが出来なかったという感じだ。
間抜けにも刃物が刺さったまま、木場の店をあとにしてしまい、抜くタイミングが分からないでいる。
ふらふらと青果店まで戻ると裕司に髪型を褒められた。岳はもう店に居なくて何故かホッとしてしまう。
二階に上がり「銭湯セット」と名付けた(着替えとタオルが入ってるだけの)防水仕様のトートバッグを持ってすぐに一階に下りて「シャンプーしてないから風呂行ってくる」と裕司に告げて店を出た。
まだ、岳のことを考えている。ゲイという文字が頭の中に詰まり過ぎて、もうゲイが何なのか分からなくなってしまいそうだ。
これが世に言うゲシュタルト崩壊だろうかと思い至ったところで岳の店の前に差し掛かって急いで俯く。
一般的にみて自分の身長がそんなに低くないことは知っている。少しでも目立たないよう意識して岳の店の前を通り過ぎてから丸まった背を起こした。
「りょーた!」
伸びた背筋が名前を呼ばれたことで更に上向きに引き伸ばされる。振り返ると店のドアを開けて岳が顔を出していた。
「歩いてんの見えた。どっか行くん?」
「ああ、えっと、風呂に。髪切ったんですけど、俺が予約入れてなかったもんだからシャンプーして貰う時間なくて」
「そうなん。じゃ、俺も行く。ちょっと待ってろよ、そこ動くなよ」
「え、え? 店は? 大丈夫なんですか」
「誰も来ねぇし、閉めてりゃ平気」
それだけ言い残すとサッと店の中に戻ってしまった岳に何も返せずに綾太は足を止めた。待っていろと言われてしまうとじっと待つより他ないが、気持ちは逃げ出したくて堪らない。
おかしい。自分のものであるはずの感情が理解出来ない。父と母のことで我儘な思いを抱えていた時とはまた違う。良いのか悪いのかも分からない底なしの場所に引き摺り込まれてしまいそうで、というか自分から飛び込んでしまいそうで、もう間もなく踏ん張りがきかなくなりそうだ。
「はい、お待たせ。行こうぜ」
「いや、あの、俺、一人で行けるんで」
綾太と同じく銭湯セットを携えた岳に言うと、信じられないといったふうで顔を歪める。
「一緒に行った方が楽しいじゃん。ワイワイしてぇんだよ俺は」
前を歩き出した岳に続いて綾太は渋々足を動かし出す。ほんの数秒そうして後ろをついて歩いていたら、岳が「あっ」と声を上げた。
「もしかして木場からなんか聞いた?」
「なんか、とは」
「俺がゲイとか」
互いの抱える膨大な思考の中でどうしてそこをピンポイントで突くことが出来るのか。岳に言われて綾太は彼の背中を見つめることしか出来なかった。
「心配しなくてもガキに興味ねぇよ。意識すんな。俺はなぁ、風呂に行くって言ってる商店街の奴を見つけては一緒に行ってんだよ。一人より二人、二人より三人。寂しくなくていい。それだけ。俺がゲイだからとかそういうのは切り離して考えろ」
岳は振り返ることなく続ける。だから表情を確かめることは出来ない。綾太の態度などいつものように気にも留めていないかもしれない。
でも黙っているということが岳の一部を否定してしまいそうで、綾太は大股で横に並ぶと「別に、岳さんがゲイでも気にしてません」と隣にだけ届く声で伝えた。
岳からは穴が開きそうなほど見つめられ「お前やっぱ良い子だな」という褒め言葉を貰った。
商店街の中にあるわけではないのに「日ノ入り前ノ湯」と名の付いた銭湯の暖簾をくぐる。十数年前に改装した銭湯は以前は番台形式だったそうだが今や地平線に陽が沈む様子が描かれた絵が飾られる洒落たフロントに変わったと岳が靴を脱ぎながら教えてくれる。
男女共に共通の靴箱にサンダルを仕舞い、フロントで支払いをしようとしたら岳が奢ってやると言い出して木場の店同様綾太はここでも金が払えなかった。
商店街周辺での岳の顔は広く、フロントスタッフの男と楽し気に会話をしている。岳が異性愛者ではないと知ってしまったからには、もしかして、と良からぬ妄想をしてしまうが、岳がどんなタイプとどんな恋愛をしようが自分には関係のないことだと脳内に渦巻く淫らな映像をシャットアウトして、岳をフロントに残して綾太は男湯へと向かう。
改装したとはいえ、十数年前のことだからロッカーもカゴもそれなりに年季が入っている。着ていたスウェットを脱いで、ロンTから腕を抜くとそれも脱いでしまう。
「先に行くなよ」
「楽しそうに話してたんで」
「お客さんだしな」
「店のですか」
「そう。そんで俺も銭湯の客。ウィンウィンの関係」
岳が隣に並んで、ロッカーのカゴにビニール素材のバックを突っ込む。
綾太よりもあとで来たのに綾太よりも早く衣服を脱ぐさまを見ていると「ああ、そうか、全裸になるんだ」と今になって実感が湧く。ついでに木場の言っていた「その内丸裸に」という言葉が頭の中に浮かんで、断ち切るように瞬きをする。
「脱がねぇの?」
「脱ぎますよ。今途中です」
「チンコンプレックスでもあんのかと思ったわ」
「なんすかそれ」
「綾太、男はでかさじゃねぇ。どんだけ持つかが重要だ」
「だからなんですかそれ」
「分かんねぇならいいや。早く来いよ。俺長風呂出来ねぇからな」
あっという間に裸になった岳がフェイスタオルを持って浴場へと向かう。
完全に追い越されてしまった綾太だが、岳の後ろ姿を見つめて呆けてしまう。
隠す気のない下半身は毛が薄かった。
尻は白くて肉がついていない。尻だけじゃなく全体的に細く、腹部には薄っすらと筋肉の線が見えたがそれも腰を両手で掴んだら心許なく感じるだろう。
綾太も健全な男子高校生だ。
友人らに教えて貰ったいかがわしい動画を見ることもある。
岳は男だからそれらの動画で見ていた女体のどれとも一致しない。でも同性の自分とも違うように見える。
人間が違うのだから当たり前のことなのに、理解出来そうで出来ないものがあって、木場の店で食らった刃物がより深く身体の深部に刺さる気がする。もう抜けないとさえ思う。そのまま綾太の身体で溶けて一部になっていく感覚。何故そうなるのか考えようとすると僅かな恐怖心が湧き上がる。
知りたいような知りたくないような。知る必要などないほどにもう分かっているような。
乱暴に洋服を脱いでしまうと岳の待つ浴場に足を踏み鳴らして向かった。
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