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第7話

「かー! 風呂上がりのコーヒー牛乳ってなんでこんな美味いんだろ」  脱衣所を出て、フロント横にある小さな休憩スペースで岳が声を上げる。 「俺は水のが美味く感じますけどね」  綾太は無料で飲めるウォーターサーバーから紙コップに水を出すと岳の隣に腰掛けた。  喉に引っ掛からない冷たい水を飲み干すと岳の視線に気付く。 「飲みます?」 「うん。コーヒー牛乳って美味いけど口に残るよな」 「注いできます」 「紙コップそんままでいいから」  勿体ないから捨てずに使えと言われて、ほかほかに温まっていた心臓が不自然な動きをする。  男同士で間接キスなど意識する方がどうにかしているのだが、一度考えてしまうと捉われたかのようにウォーターサーバーの定位置で水を溜めていく紙コップを凝視してしまう。  一点を見つめているとズボンのポケットの中で振動するスマホの存在に気付いて、岳の元まで戻り紙コップを手渡してポケットからスマホを取り出す。  義妹からだった。 「あっ」 「なに? つかお前水入れ過ぎ。こんな飲んでゲップしたら胃からコーヒー牛乳戻ってくるわ」 「ゲップしなきゃいいでしょ。残しても良いですよ、俺飲むんで」 「あ、そ。で、なに?」 「はい?」 「スマホ見て声上げてたじゃん」 「あー、いや、大したことじゃないんで」 「隠すなよ。なに、女?」 「……女といえば女ですけど、妹です」 「ああ、向こうの?」 「はい」  余りにも自然にもう一つの家の話を口にした。短期間の内に綾太の生活に岳が馴染んでいる証拠だ。  木場は岳のことを人との距離が近いと言っていた。  綾太だけでなく他でもそうなのだろうと予想は付くがそれでも自分にとっての岳は一人しか居ないのでこんなふうに曝け出せる場所が在ることを有難く思った。 「向こうに残してた荷物を明日義父(とう)さんが運んで来てくれるんですけど、すっかり忘れてて妹からのメッセージで思い出しました」 「へえ。んじゃあ俺も手伝いに行ってやるよ」 「えっ、いいですよ。岳さん店あるでしょ。それに荷物って言っても段箱四箱くらいだし」 「店は平気だよ。客来そうになったら戻ればいいだけだし、綾太知らないかもだけど俺いっつもアーケードの中ふらふらしてるよ」  岳が言うのだから本当に商店街を遊び歩いているのだろうけど、先日の大泣きの一件もあって何となく気遣われている気がする。 「あの……岳さん。そんなに俺に構わなくても良いですよ。俺、大丈夫だから。岳さんのお陰で結構元気なので」 「気遣ってねぇよ。綾太の義理の父ちゃん見たいだけ」 「は?」 「年上好きなんだよ。男前?」  冗談だというのは何となく分かるが岳の満面の笑みに少しだけ腹が立つ。 「やっぱだめ。岳さん来ないで」  ジトッとした目で見つめても岳の笑顔は崩れることはなかった。  翌日、スマホの振動で目が覚めた。  妹からのメッセージと着信で埋まる画面を見て寝過ごしたことに気付く。急いで一階に下りると店の方から複数人の話し声が聞こえてくる。義父や妹、もしかしたら岳も居るかもしれないと、飛び出したい気持ちを必死に抑えて顔を洗い歯を磨いてから間仕切り暖簾をくぐった。 「お、ねぼすけが来た」  裕司が言って綾太は「ごめん」と謝る。思った通りに義父が居て、奥から出て来た綾太を見て笑みを浮かべていた。  綾太が起きて来るまでどれくらいの時間があったのだろう。その間、母が亡くなるまでそばに居た夫と看取る事の出来なかった元夫は何を話していたのか。  思うところがあっても笑顔で隠せてしまうのが大人というものなのかもしれない。  自分が遅くなったことにより発生した時間に反省もなくそんなことを考えていると妹がパジャマ代わりのトレーナーの裾を思いっ切り引っ張って来る。 「荷物、車」 「悪かったって。怒んなよ」 「お兄ちゃん、時間にルーズなとこ直した方がいいよ。てか今日のことも忘れてたでしょ。しっかりしてよ、もう高三になるのに」  大きな目で睨み付けられると一緒に暮らしていた頃を思い出して久し振りな感じがしない。 義妹の菜穂(なほ)は綾太の一つ下で、悪く言えばきつい、良く言えばしっかり者で母が健在な時からよく世話を焼かれた。 「さっさと段ボール運ぶよ! ほら、お兄ちゃんも、パパも、早く」  裕司から台車を借り義父が運転してきた車まで行くと、四箱あると思っていた段ボールは菜帆によって大き目の段ボール三箱とキャリーケース一個に纏められていた。  段ボールは台車に乗せ、キャリーケースは菜帆が手で引いてアーケードに戻ると青果店の前に岳の姿を認める。  綾太に対してはヨッと手を挙げるだけの軽い挨拶で、義父と菜帆にはよそ行きの顔で「商店街協同組合の会長してます、紀咲です」と丁寧なお辞儀を見せた。 「男手居るかと思ったけど台車があれば余裕だったな」 「いや問題はこっからなんで。この段箱二階まで運ばなきゃなんないから手伝って貰えると助かります」  昨日の銭湯では手伝いは要らないと言ったものの、本当に来て、義父に人好きのする笑顔で挨拶をする岳に自分勝手な不満を抱いてしまい素っ気ない態度を取ってしまう。 「お兄ちゃん! 手伝って貰うのにそんなぶっきらぼうじゃダメでしょ。すいません、紀咲さん。無愛想な兄ですが、悪い人ではないので」 「あー、ははっ。大丈夫ですよ。綾太くんが良い子なのは知ってます」  周囲に星を撒き散らすようなキラキラな笑顔で岳が言うと、今になってその顔の良さに気付いたのか菜帆が「紀咲さんて顔面強いですね」と呟く。血は繋がっていなくとも長らく生活を共にしただけのことはある。綾太が最初に岳を見て思ったことを菜帆は口に出して伝えた。 「女子高生に言われると間に受けちゃうな。まぁ、よく言われるけど」  ははは、と岳が笑うと菜帆もつられるように笑う。ついでに義父も裕司も笑っていて、一体何の空間が出来上がったのかと、綾太は呆れながら一抜けするつもりで段ボールを一箱抱える。 「あ、俺も手伝うわ」 「岳さんは奥まで段箱運んで貰っていいですか。二階には俺運ぶんで」 「いや、上まで手伝うって」 「階段から転がり落ちたりしたら大変ですよ」 「んなやわじゃねぇわ」  チラッと岳の姿を視界に入れると綾太に続いて段ボールを抱えている。そんな必要はないというのに昨日の岳の言葉が引っ掛かって、義父と引き離そうとしてしまい、岳が自分に付いて来ているかを確かめるため背中に意識を集中させてしまう。  バックヤードに入り、階段下まで来ると岳の後ろからは義父と菜帆が付いて来ていて全く引き離しに成功していないことに落胆する。 「義父さんはここまででいいよ。あとは俺と岳さんで運ぶから。菜帆もありがとう」  キャリーケースを菜帆の手から引き取ると、義父に向かい「仕事忙しいんじゃない? またそっちにも顔出すから」とここで全てを終わらせ別れを告げるかのように言う。すると岳が「おい」と言葉を挟んで来る。 「せっかく来てくれたんだから段箱運んだら飯でも食いに行けよ」  綾太の様子を見ていた岳は何か勘違いをしているようで仲を取り持つような言い方をする。推測だがまた綾太の幼稚な拗らせが始まったと思っているのではないか。  実際はそうではない。問題は家族関係ではなく、岳が居るから落ち着かないという本人からすれば不本意であろう理由だ。こうなったら認めるしかないが「あんたが義父を男として見るのが嫌だ」という説明をこの場でするわけにもいかない。 「そうだよ……もう一緒の家に帰らないんだから、ご飯くらい食べようよ」  岳のことで一杯な頭に菜帆の寂しそうな声色が入ってくる。  妹に申し訳ないことをしてしまった。今は家族に心寄せなければならない場面なのに。 悲しませるつもりはなかった。それでもまだ往生際悪く岳のことを考えてしまう。  二階に段ボール箱を運んでしまうと荷解きはあとにして、岳が言った通りに義父と菜帆と三人で食事をしようと林さん宴に向かった。  岳とは彼の店の前で別れ、菜帆が「あとで店寄りますね」と言っているのを聞いて、流石はしっかり者、社交辞令を使いこなしていると感心した。 「あらー、綾太くん、いらっしゃい」  まだ二度目だというのに林のおばちゃんは常連客のように出迎えてくれる。  紹介する必要はないかと一瞬迷ったが、別に隠しているわけでもないからおばちゃんには「義理の父と妹です」と伝えた。 「立派なお父様と可愛らしい妹さんだこと」  笑顔で言われてふと視線を感じると厨房に居るおじちゃんもおばちゃんと同じ笑みを浮かべていた。  綾太は照れ臭くなって、口元をふわふわとさせながら案内された席へと腰掛けた。 「まだここ来て一週間くらいでしょ。いつの間に常連になったのよ」  注文を済ませ、料理を待っている間に隣に座る菜帆が距離を詰めて小声で言う。 「俺の小さい頃を知ってたみたいで、それで良くしてくれるんだよ」 「ああ、そっか。お兄ちゃんちっちゃい時はこの商店街に居たんだもんね」 「結構古いお店だと覚えててくれる人が居てアーケード歩いてると声掛けられるよ」 「へー、愛されてんじゃん」  だよな、俺もそう思う、と綾太も心の中で大きく頷く。けれど、義父の手前菜帆の意見に同意していると思われるのは気まずい。だから「若いのが少ないからだろ」と素っ気なく返した。 「いいことじゃないか」  菜帆との会話の中、差し込まれた義父の声に視線を上げる。 「母さんが亡くなって綾太がここに戻りたいと言った時には正直家を出て欲しくないと思ったよ。父さんとしては家族として上手くやって来たつもりだったから何か綾太を不安にさせることがあったのかと心配だったけど、綾太を知っている人たちが居て、目を掛けてくれているなら離れて暮らしていても少しは安心出来る。だから可愛がられているのはいいことだと思うぞ、父さんは」  裕司との離婚後、実家に帰った母を追い出すための口実のように勧められた見合いでも、母はそれを受けて良かったなと義父を見て思う。  この人からぶつけられた言葉をきっかけに家を出ようと決意したけれど、それは恨んでいるわけでも、言葉を許せないわけでもない。  ただただ、綾太の中だけの問題だった。  母を失った義父を更に苦しめたいとは思っていないから、綾太は素直に頷き「そうだね」と穏やかに返事をした。 「ああ、それと、綾太にこれを渡しておかないと」 「なに?」  聞いても義父はすぐに答えず、着用しているジャケットの内ポケットを探ってハンカチを取り出し包んであったカプセルをテーブルに置く。 「母さんの骨。他の荷物に紛れちゃいけないと思って別にしてたんだ。本当は骨壺ごと綾太が持って行くのが良いんだろうけど、父さんは情けない男だからまだ母さんと離れられなくて。ごめんな」  目の前に座る義父が綾太の方へカプセルを寄せて来る。受け取る時には涙が零れそうになった。  岳の肩を借りて心中を吐露して以降、涙脆くなったのは気のせいではないだろう。 「……ママ、きっと嫌がってるわよ。パパったら生きてる時もべったりだったのにって。自由がないじゃない」  菜帆は笑って言うけど、その声は少し震えていた。

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