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第9話

 商店街の中にあるマエイツ青果店の二階に越して来て数週間後には春休みが来た。休みの期間中、店番をしつつ、合間に岳に呼ばれてClairでも手伝いをした。  綾太にとっては良い暇潰しだったが、岳にとっては検品や在庫整理の手伝いは相当助かったらしく、礼だと言っては飯を奢ってくれたり、銭湯の支払いをしてくれた。  そうして年度明けの四月、綾太は高校三年に進級した。 「客が来ねーな」  岳に頼まれてバックヤードでりんごを剥いていた綾太は手を止めて、聞こえて来た声に「土日の昼間はあんま来ないすね。朝夕のが多いですよ」と自店舗の客足について返事をした。 「ちげぇよ。俺の店」 「え、潰れそうなんですか?」 「売り上げは好調。客が来ないだけ」  客が来ないのに売り上げが好調とは、客単価が高いのかと小首を傾げる。 「客が来ないんじゃなくて岳さんが店に居ないだけでは?」 「ちゃんと居るよ! お前が学校行ってる時とか真面目に店番してますぅ」  岳は口をへの字にして鼻の穴を拡げて否定するが、気付けばいつも我が店に居て油を売っている印象しかない。  一度裕司に「岳さんは何でうちの店に入り浸るんだろう」と聞いたことがあるが、前はそんなに顔を見せなかったと言っていた。今も平日昼間は殆ど来ず、綾太の居る夕方や今日のように土日に頻繁に来ているから入り浸っているように見えるのだろうとも言われた。  理由はどうあれ、自分が居る時に来てくれるというのは嬉しいもので、今更来なくなってしまうのも嫌だからこの話は深く追求せずに綾太はりんごに視線を戻す。  皮を剥き始めるとシャリ、シャリ、と良い音が鳴る。それだけでも食欲が刺激されるので、岳も早く食べたいと思っているだろうなと包丁を動かす手付きを速める。  皿に並べて簡易テーブルの上に置くと岳の手がニュッと伸びて来る。 「フォーク出すんでちょっと待ってください」 「いいよ、面倒だから手で食う」  岳は綾太の気遣いを無視して指でりんごを掴む。しかし綾太も岳の言い分をスルーしてフォークを出して無理矢理に渡す。 「それにしても客が来ないのに売り上げ良いってすごいですね。岳さんの店、財布とかアクセは高いけど他はそんなびっくりするほど高くないのに」  青果店への入り浸りの件は置いておいてとりあえず話の続きをすると、りんごを食べている岳から返事が来る前に間仕切り暖簾が揺れる。 「通販が多いから客が来なくても売り上げ上がるんだろ。つーかちゃんと店番しろよ」  入って来るまで気付かなかったが店内には木場が居たようで、綾太たちに注意をすると皿のりんごを勝手に食べ始めた。 「はー、なるほど、通販」 「そそ、岳の店に入ってるブランド、人気あるから」  木場が話すとりんごを頬張った岳が首を上下に振る。 「デザイナーが俺らの同級生でさ、特別に少量オーダーでも許されてんの」  これにも岳は相槌で認める。 「通販でなんとかなるならいいじゃないですか。強みがあるならそこをもっと強化してみれば良いのでは? サイトをより良くするとかSNSの更新頻度を増やすとか」 「もうやってるよ~」  咀嚼したりんごを飲み込み終えた岳が答えてから溜息を吐く。浮かない表情が気に掛かる。 「今の話だと店が潰れる心配はなさそうなのに、なにがそんなに心配なんですか」 「商店街全体の心配してんだろ、岳は」  木場が代わりに返事をして、岳はその通りと言いたげな目をしている。 「一応、協同組合の会長だしな。良い店いっぱいあるからもっと人に知って欲しいんだけどなぁ。理想としてはそれぞれの店がもうちょい客呼べるようになるのが一番だけど、じいちゃんばあちゃんが店主の店も多いし、サイトだとかSNSとかに慣れてないから使いこなせないんだよ。だからまずは俺とか木場とか若い奴らの店に人が集まるようになったら商店街全体が昔みたいに活気付くかな~とか考えんだけど……特に良い案があるわけでもなく、今日も日ノ入り前商店街の陽は暮れていく」 「最後だけエモいな」  木場が茶化して岳と二人で笑い合う。  冗談みたいにしているが、岳が商店街の行く末を真剣に考えているのは確かだろう。でなければ会長職などという矢面に立たされる役職を引き受けるわけがない。  前に聞いた時、年配が多い為に渋々請け負ったという感じだったが、幾ら年配が多かろうが面倒事だと感じれば岳なら断るはずだ。 「つーかそうやって定期的に悩むくらいなら兄ちゃんに相談してみりゃ良いじゃん。岳の兄ちゃんなら何かパパッと案出して解決してくれんだろ」 「兄ちゃん? ああ、そういえば居るって言ってましたね」  りんごの白い肌にフォークを刺し木場の声に反応して岳に投げ掛けるも返事はない。仕方なくりんごを口に運ぶが噛む音が妙に大きく感じる。ちらりと岳を見ると彼は木場と目を合わせたままでいる。 「数少ない客が取り置き取りに来る時間だから店戻ろー。綾太、りんごありがとね。美味かったわ」 「あ、逃げたー」  さっさとバックヤードから出て行った岳に木場が棒読みで発する。  木場と二人きりになると綾太は段々と焦ってくる。明らかに岳の様子が変だった。何か悪い事を言っただろうか。りんごの皮剥きの辺りから己の言動を振り返っていると木場が鼻で笑う。 「気にすんなよ。あいつ兄ちゃんの話になるとすぐああなんの」 「え、ああ、お兄さんの話されたくなかったんすね」 「そう。出来が良いからやっかんでんのかねぇ」 「岳さんそういうタイプに見えないけどな」 「まぁなぁ。でもガキの頃から比べられてたらやなもんじゃない?」 「……いやでも比べられるような環境って……岳さん家ってお金持ちとかですか」  聞いても良いものか迷いながらも口にすると、木場は一度綾太と目を合わせてから「めちゃくちゃな」と頷いて見せた。 「家は出てるけど父親と揉めたとかいう話聞かねぇし、てことはいざとなったら実家に戻れるわけじゃん。商店街の事心配してんのはマジだと思うけど、自分の店はそんな心配してねぇと思うよ。あいつ店だけじゃねぇし、収入源」  そうなんだ、と心で思うが声には出さない。 「商店街周りの駐車場ほぼあいつん家の管轄だし、管理してんの岳だもん」  思った以上の実家の太さに綾太は目を見開く。 「だから岳が商店街の心配事口にする度に実家に相談してみればーって俺は言ってんの。なんか力になってくれっかもじゃん」 「なるほど。でも岳さんの反応見る限り実家には頼りたくなさそうすね」 「その原因が出来の良い兄ちゃんなんだろ」  木場の言葉で話が一周した気がして綾太は口を閉じた。  寝床にしている青果店の二階、布団の上に寝転びながら岳の事を考える。ここ最近日課のように彼の事を思うが、今日はまた意外な一面を知って脳内スクリーンに昼間の出来事を映し出す。  実家には頼りたくないけど、商店街の事は心配。人間らしい矛盾に少し前の自分を重ねてしまう。  実の父親には頼りたくないけど、母の作った居場所も居辛い。そう思っていた綾太を岳が救ってくれた。  自分も岳に何か返したい。  綾太は起き上がるとプライベート空間を守る為に簡易的に置いたパーテーションの方に顔を向ける。 「父さん、起きてる?」 「ん、うーん……」  眠そうな声が返って来るが綾太は気にせずに話を続ける。 「ここの商店街ってさ、年間通してイベントってやってないの?」  質問してからそういえば岳ともこんな話をしたな、と思い出す。あの時はイベントなどやっていないと言っていたが、本当にそうなのだろうか。 「三月と七月にやってるよ……えっと、雛祭りと七夕」  裕司から聞いて綾太はここにやって来た当初の事を思い返す。三月だったからひな祭りをやっていたはずだ――が、どんなに頭の中をひっくり返しても商店街に雛祭りの雰囲気が漂っていたという記憶が引っ掛かって来ない。 「……本当? 俺来た時雛祭りやってる感じしなかったけどな」 「あれ? いつもおばちゃん連中がやってんだけどなぁ。お前が来た頃はもう片付けてたんかな。いや、腰が痛いだのなんだの言ってたから今年はやんなかったのかな」 「なんだよそれ」  曖昧な事を言う裕司に呆れて寝転がるとスマホを引き寄せて検索する。  生きた人間の発言よりもスマホ検索の方が正しいなんて虚しい事を思いたくないが裕司の言い分が信用出来ない今、ネットに頼る他ない。  商店街の名とイベントで検索をすると市のホームページがヒットした。  五年前に市長が雛祭りに訪れた様子が載っていて「アーケードの途中途中で雛人形の飾りつけがあり、他にも市内の幼稚園児が描いたお内裏様とお雛様の絵を休憩スペースに飾っている」とあった。  更には七月の七夕祭りにも触れ「笹竹に市内の幼稚園児と商店街の店主らの書いた短冊が飾られている」と紹介されていた。  市内の幼稚園児に頼り過ぎな内容に何とも言えない気持ちになる。 「イベントって本当にこれだけか……」  大して小さくもない独り言に裕司からの反応はなく、返って来るのはやや迷惑な鼾だけだった。

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