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第14話

 紀咲純也(きさきじゅんや)と名乗った男は皺一つないスーツ姿で「普段はもっとラフなんだけど午前中ちょっとかしこまった場所に顔出したから。堅苦しい恰好でごめんね」と言い、綾太と倉本を不動産事務所の中へと招き入れた。  別室に通され、飲み物を用意するからと純也が席を外した瞬間に倉本が「紀咲さんの弟さんが商店街でお店を経営してるらしくてそれで協力して貰えないか頼んだんです。矢敷くん、弟さんのお店知ってますか? 紀咲って名字だけじゃ分からないですかね」と小声で話し掛けてくる。  知り合いどころかイベント発案に至る動機となった人だ。  返事をする前に純也が客用のコーヒーカップと共に戻って来たので綾太は質問に答えずに済んだ。  倉本が電話で一通り話をしていたようで綾太が長々とイベントの趣旨を説明する必要もなく「地域活性化のために商店街でイベントをというのは前々から考えていた。だけどなかなか実行に移せなかった。君たちが名乗りを上げてくれて助かる。若い力でこの企画を引っ張ってくれたら嬉しい。市議としても市民としても惜しみなく協力したい」と純也は語った。  地域活性化に取り組む市議会議員としてこれまでも商店街を活気付かせるべく様々な案を考えたが実現出来なかったと知って綾太の中で憶測が生まれた。  原因は岳ではないか。  木場から聞かされたことが正しかったとして、岳が兄を良く思っていないのだとしたらイベントに純也が関わってくるのを嫌がるだろう。だから、そういう話が出る度にイベントが実現しないよう真剣に取り合わなかったのではないだろうか。  目の前の清廉潔白を絵に描いたような人は綾太から見ればこうなりたいと思える大人の姿だが、兄弟の岳から見れば劣等感を煽るだけの存在だったのだろうか。  自分はとんでもないことをしてしまった。  岳を喜ばせたいという一心で慣れないことまでしたが、全て余計なお世話だったのだ。そればかりか綾太の自分勝手な行いが今後岳を苦しませるかもしれない。  純也と倉本の和やかな会話に混じる気持ちになれずに綾太は最後まで大した発言をしなかった。  次の予定があるという純也に見送られ不動産事務所を出て倉本と別れたら綾太は商店街への道を急いで走った。  純也にイベントの話が伝わっているのなら商店街協同組合会長の岳の方にも話が行っているだろう。  サプライズ的に知られる喜ばしい話であれば得意げな顔で岳の反応を待っていればいいが、今回はどう考えても岳にとって嬉しくない話だ。  気が急くばかりで足が縺れる。一度通った道を戻り、駅を抜けて南口から商店街を目指して走る。 「あれー、りょーたじゃん。そんな急いでどこ行くん?」  アーケードの出入口に木場が立っていて、綾太は急ブレーキのち足踏みをしながら「岳さん探してて。店に居ますかね」と尋ねる。 「岳? さっき店に行ったら真面目に店番してたよ」 「そうすか。ちょっと行ってきます」 「あ、そういや商店街でイベント? だっけ? 聞いたよ」 「え、誰から」 「岳」  木場が笑っている。どういう類の笑みだろうか。確認したいけれどその時間が惜しい。綾太は「あ゙あ゙っ」と汚い声を残して再び走り出す。  岳がもう知っている。木場の笑顔を見るに恐らく純也が関わることも既に耳に入っているのではないか。  スクールバッグが肩からずり落ちてくると邪魔くさくなってその辺に放り捨ててしまいたくなる。それでも抱えて走る。気付きつつある煩わしいこの想いを捨てられずにいるみたいに。 「岳さん!」  名前を呼んでから客が居るかもしれないと店の中を見回す。平日の商店街のひと気のなさに今だけは感謝しながら誰も居ない店内で息を吐くと奥から岳が現れる。 「なにー? 息上げてどした?」  いつも通りの岳だった。でも安心は出来なくて「俺の話を聞いてください」と岳の体をバックヤードに押し戻す勢いで詰め寄る。 「聞いてんじゃん。なに?」 「すいません! ごめんなさい! まさかこうなるとは思わなくて」  思い切り頭を下げたら上から「は? なんだよ、どうした」と岳の声が降ってくる。直後に「ああ」と思い付いたような声が上がり、綾太はギュッと目を閉じた。 「イベントのこと? それとも兄ちゃんのこと?」  やけにさっぱりとした声色だった。  岳の兄の職業を知らなかったとはいえ、イベントに純也が関わることになったのは綾太の提案が発端だ。面倒事を持って来た張本人に対して嫌な態度や悪態を吐いても不思議ではないのに岳はあっけらかんとしている。  もしや木場から聞いた二人の関係性に誤りがあったのではないか。岳が兄の事を良く思っていないというのは木場の勘違いなのかもしれない。 「木場が余計な事言ったみたいだけど気にすんなよ」  心の内を読まれたようで綾太は肩を揺らす。 「……岳さんとお兄さんは仲が悪いんですか」 「悪くないよ。俺が苦手なだけで向こうはなんとも思ってねぇだろうし」  そっと上半身を起こしかけた綾太の胃が痛む。木場が言っていたのは何かの間違えだったのではという淡い期待は消え去った。やはり岳は純也に苦手意識を抱いている。 「岳さんがお兄さんの事苦手だっていうのは木場さんから聞いてたんですけど、お兄さんが市議だとは知らなくて、しかも提案したイベントに絡んでくるなんて想像もしてなかったです……ほんとすいませんでした」 「だからいいって。それに俺が商店街が活気付かねぇかなぁって言ったからお前頑張ってくれたんでしょ」  岳の言葉でさっき痛んだ胃がじわりと温かくなる。 「それにさ今までも兄ちゃんに頼る事、考えなかったわけじゃねぇのよ。商店街が今のまんまならいつかは協力してって泣きついてただろうし、お前が動いてくれた今がその時だったってだけだよ。……いや、お前が居なかったら一生意地張って兄ちゃんに頼ってなかったかもしんない。寧ろ俺が礼言うべきじゃんな」  ありがとな、と付け加えて岳の手が綾太の頭を撫でた。 「お前の頑張り無駄にしないように商店街の代表として頑張るわ」 「……でも、お兄さんとのこと無理しないでください」 「んー? 無理して疲れたら癒してよ」 「俺なんでもやります。岳さんのためなら」  本気でそう思ったから口から零して岳の事を見つめる。  意識して熱を込め岳に視線を送っていると、冗談だよと笑われた。

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