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第16話

「えっ、パン屋の息子!?」 「そう、パン屋の息子」  綾太が驚くと岳が同じ台詞を返してくる。  イベント打ち合わせをアーケード内のワーキングスペースで行った帰り、謎の青年の身元が岳の口から明かされた。青年は日ノ入り前商店街にあるパン屋「(ゆい)」の経営者の息子だった。  名前は加見結(かみゆい)洋臣(ひろおみ)。年齢は岳の一つ下、中高同じで学生時代の先輩後輩の仲だという。 「あいつん家のパン屋、ここだけじゃなくて市内にもう一店舗あんだよ。洋臣はそっちに居る事が多い」 「なるほど」  普段商店街で洋臣を見掛けなかった理由は分かった。  ただ、最初の好青年のイメージは崩れて、初見の人間は皆敵とばかりに噛み付く犬といった印象になった。 「思い込み激しくて騒がしいけど素直な良い奴だから」  あれだけ懐かれていれば岳も悪い気はしないだろう。  岳が洋臣を擁護するのは面白くない。が、牙を剥かれた側の綾太も洋臣を評する岳の言葉を否定出来ないでいる。洋臣が自分に重なって見えたからだ。  彼の失礼な態度は最初に岳に接した時の綾太そのものだった。でも岳は綾太を「青果店の反抗期の馬鹿息子」と切り捨てなかった。内面を見てくれた。ここに居ていいのだと思わせてくれた。  だから綾太も洋臣に文句を言う気はない。岳と付き合いの長い人物ならば悪い人ではないだろうし、何より、人の振り見て我が振り直せと改めて身が引き締まる思いだ。 「寄ってくだろ」  唐突に聞かれて我に返る。岳と共にワーキングスペースを出て、当然の流れのように一緒にClairに帰って来てしまった。綾太はまだ制服姿だ。  どの段階で夕飯もしくは風呂に誘おうかと迷うが、焦らずに店の奥で話せば良いかと岳に続いて店内へと入った。 「なんか飲んで良いですか」 「いいよ。俺にも取って」 「なんにします?」 「アイスティー」  バックヤードに置いてある冷蔵庫を開けて中からアイスティーと炭酸飲料を取り出すとソファーのある隣の部屋に移動する。  岳はもうデスクの椅子に腰掛けていてアイスティーを渡すと軽く礼を言って来た。  綾太はペットボトルの蓋を開けながらソファーに腰掛ける。 「お客さん来ないすね」 「平日だしな」 「……お兄さんから連絡あったりしました?」 「あったよ、電話が。イベントに協力出来るの嬉しいって。なんでも言ってくれってさ」 「嫌な気持ちになりませんでした?」 「別に」  パソコンの起動音以外は静かなもので、そこに岳の溜息が混じる。 「前も言ったと思うけどそんな気ぃ遣わなくて良いって。別に兄ちゃんの事嫌いなわけじゃないし。なんつーか……お前も会ったんだろ? なら分かると思うけど人に好かれる人生しか送ってないあの爽やかな感じ。あれで性格が悪いっていうならまだ良いのに、中身も見た目まんまの良い人だからさ」 「だから苦手なんですか。良い人過ぎて逆にみたいな?」 「……まぁ、そう」  また静かになる。パソコンから漏れる小さな機械音だけが耳に入って来るが綾太自身は静けさに気まずさを感じる事はない。だが岳は違ったようで純也の話のあとの静寂に耐えられなかったのか息を吐き出したと同時に「前にさ」と話し始める。 「言ったの覚えてない? 母ちゃんが死んで兄ちゃんに慰められたって。それで立ち直れたのは確かで、だからああいう人になりたいなって……尊敬してる。だから嫌いとかそういうんじゃない。しいて言えば俺の問題」 「そんな事言って本当は嫌いなんだろとか思ってないですよ。岳さんの言葉まんまに受け取ってます」 「……そ、じゃあ良い」  やけに念を押して嫌悪感を抱いているわけじゃないと主張してくる。綾太に一方的な感情を植え付けない為にそうしているのは明白で、岳の言い分だけを聞いて純也を苦手に思ってくれるなと言われているようだ。  岳らしいといえば岳らしい配慮だが、そこまで気にするだろうか。綾太は岳に嫌な思いをして欲しくないから気遣っているのは確かだが、綾太が純也をネガティブな目で見ているなんて言った事はないし岳の気にし過ぎではないか。 「岳さん」  名前を呼んですぐに店のドアが開く音が聞こえた。客が来たのかもしれない。  岳の耳には名を呼ぶ声も店からの音も両方届いたようで椅子から立ち上がると一度綾太の方へ目を向けた。  視線を交わしたままで岳が小首を傾げる。どうした? と言いたげな目線に綾太が首を横に振ると岳は隣のバックヤードに移動してそれから店内へと出た。  綾太が居る部屋とバックヤードを繋ぐドアが音を立てる。岳の手が触れたのだろう、ドアが閉まり掛けた状態で揺れている。  岳との会話が途切れた時と同じ静けさがもたらされ、綾太は途端に暇を持て余す。  制服のズボンのポケットからスマホを取り出し、ゲームでもしていようとアプリをタップする。  それで岳が戻って来たら夕飯に誘って、良ければ銭湯も一緒に行こう。頭の中でこの先の過ごし方を考えているとドアの向こうから物音が聞こえた。 「……なんだ?」  一度ドアを見るが独り言だけを吐いてスマホ画面に目を戻す。 ――っ、や、めろ。  綾太は再び顔を上げて周りを見渡す。  声がした。  アーケード内を歩く人のものだろうか。いやそれにしてはやけに近くに感じた。 板一枚隔てたくらいの籠った感じ――。  綾太は殆ど閉まっているドアを見る。まさか、岳の声か?  ふいに聞こえた声を思い返そうとしても、そうだったような気もするし、違うようにも思うという曖昧な結果しか出ない。 ――ばかっ、離せ、耳、やめっ。  また聞こえて、綾太はソファーから立ち上がりドアに近付く。今のは岳の声に近い気がする。自分で指令を出しているつもりはないのに足は自然に動いて、僅かに開いたドアの隙間から向こうを覗く。  岳の後ろ姿が見えた。それにもう一人。岳が動くとその人物の顔が見えて、綾太は顔を歪める。  洋臣が居た。綾太に悪態を吐くくらい岳に執着しているのだから、店に来ても不思議はない。けれど目の前の状況は何だ。隙見の判断でしかないが洋臣が岳を無理矢理抱き締めているように見える。 ――ん、ぁ、耳、舐めんな。  近くで岳の声が聞こえた。今までの声も全て岳であると確信すると体が勝手に動いて、綾太はドアを開きバックヤードに踏み込んだ。  洋臣が驚いた顔でこちらを見る。やはり岳を抱き締めていて、それだけではなく洋臣の手は岳の尻をがっちりと掴んでいた。  カッと頭の芯が熱くなる。  洋臣の腕を掴んで払うと彼と岳の間に立つ。「綾太」と呼ぶ岳の声は聞こえているけれど、どこか遠い。 「なんだよ、ガキが邪魔すんな」 「同意の上ではないですよね」 「俺とがっくんの仲だからいいの。分かる? 大人の関係」 「んな関係じゃねぇわ」  後ろに隠した岳が声を上げるが、出て来ないように綾太は後ろ手に岳の体を押さえる。 「どんな関係すか。岳さんは違うって言ってるけど。無理矢理なら犯罪すよ」 「は、犯罪じゃねぇよ。俺とがっくんは付き合ってたの! 元カレ!」  洋臣の言葉に岳が「付き合ってねーよ」と反論する。 「付き合ってたじゃん。三日間だけ!」 「中学の頃の三日間とかノーカンだろ! 手も繋いでねぇのに元カレ面すんな!」 「な、なんでそんな言い方すんの、いつもはもっと優しいじゃん。がっくん俺のこと嫌いになったの?」 「強引なお前はやだ。人の話全然聞かねぇんだもん」 「え、ごめん、ごめん、もう元カレとか言わないから、嫌いになるのだけは勘弁して」  途中からこの場の主導権を握った岳は「今日みたいなことしねぇって誓えるか?」と綾太の後ろから顔を覗かせる。 「……もうしない」 「許可なく俺に触らないって誓えよ」 「がっくんに許可なく触りません」 「よし! 言質取った。綾太も聞いたよな」  岳を守るつもりで前に出たのにいつの間にか証人にさせられていて、パシッと肩を叩かれたら綾太は頭を上下させるほかなかった。

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