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第21話
「なんで菜帆ちゃん見送りに行って兄貴連れてくんだよ。どこでどうなったらそうなんの」
岳は綾太の前では純也のことを「兄ちゃん」と呼ぶのに、本人の前では「兄貴」と言う。
いつもの岳とは違いやけに冷たいというか線を引いているように感じる。
これが岳の「苦手」の表現方法なのかもしれない。
「岳に会いに来たら偶然矢敷くんに会ったんだ。な、矢敷くん」
「はい、その通りです」
岳を前に純也の様子も変わる。綾太と会った時とはまた違う、必死で兄で居ようとするような演技染みた堅さが見える。
とはいえ兄が兄なら岳も岳で、いつもよりツンとして弟ぶっているのだからどっちもどっちだ。
「しかもメロンと包丁ってなに? 怖ぇんだけど」
「メロンは俺からの差し入れです。包丁は岳さんの店ないでしょう? だから持って来ました。一緒に食べましょう、甘いすよ」
小振りながらもズシッとした重さのメロンを掲げて見せると岳は渋々ながら奥に通してくれた。
「まな板とかねぇぞ」
「チラシがあるんでその上でいいですよ。包丁洗ってきます」
水道を使う為純也を残して裏口に向かおうとするとか細い声で「矢敷くん」と声がする。
岳と二人きりになることに気まずさがあるのだろう、潤滑剤の役目を果たす綾太が居なくなることに敏感に反応する純也に目を向ける。
しかしこればかりはどうしようもないから綾太はすぐに戻って来ますの意を込めてコクッと頭を上下させ、ささっと裏口から出て水道を使い包丁を水に潜らせる。
残して来た純也と岳の様子が伺えるよう裏口のドアは開けたままにして、包丁に十分な水が掛かると蛇口を閉める。
外から中を見れば何かしらの会話をしているようでソファーに腰掛けた純也と椅子に座った岳は互いに体を向け合っている。
安堵して奥の部屋に戻ると早速テーブルの上にチラシを拡げてメロンを切った。
縦半分にしたらビニール袋に種を捨て、更に半分、また半分と切り分けて八等分にし、食べやすいよう皮と果肉の間に包丁を入れて一口大にカットする。
「はいどうぞ」
皿があることは分かっていたので岳に準備して貰い、メロンを乗せて純也に渡す。
次に岳の分も用意をして渡すと皆に行き渡るまで待っている純也とは違い、岳は素早い手付きでメロンを口に運ぶ。
「あまっ、うまっ」
旬の果物を食べた時のいつも通りのリアクションに安心する。
綾太は自ら買って出て純也と共に岳を訪ねて来たが、二人の間に立つという責任を自覚なく感じていたようだ。でも岳の笑顔を見ると肩の力が抜けていく。
「ああ、本当だ。矢敷くん、美味いよ」
「綾太ん家の果物はどれも美味いよ。ゆーじいの目が肥えてんだろうね」
「ゆーじい?」
「あ、俺の父です。裕司って言うんですけど岳さんはゆーじいって呼んでて」
「裕司プラスおじさんの略でゆーじい」
「岳、人様の家のお父さんにそれはないだろ」
「ジジイになっても使えるからいいじゃん。てかこのメロンまじ美味いな。兄貴、父さんに買ってってやんなよ」
会話はスムーズに続く。気付けば綾太の顔には自然に笑みが浮かぶようになっていて、二人を眺めているのが楽しくなる。
「やっぱ男兄弟っていいなぁ」
心から出た言葉だったが、岳は興味なさげにスルーして視線をメロンに落としたままで、純也だけが「そう?」と反応する。
「矢敷くんは一人っ子?」
「いえ、妹が居ます。勿論妹も可愛いんですけど、男子と女子じゃ遊び方も全然違うし、俺はサッカーして遊びたいのに妹がままごとが良いっていうから強制参加させられたり、見たいアニメもやりたいゲームも全く合わないし、男兄弟だったらその辺もっと合うのかなぁとか。ないものねだりですかね」
「兄弟っつっても人間同士だから合う合わないあんじゃねぇの」
この会話には参加してこないだろうと思っていた岳が口を挟む。言い方に含みがあるのは綾太の気のせいではないだろう。
「俺たちのこと言ってる?」
純也がそう言うのも無理はない。
綾太がヒヤッとしながら声の主に目を遣ると純也は寂し気に笑みを浮かべていた。でも、Clairに来る前のような迷いは消えているようで穏やかな雰囲気を纏ったまま再び純也が口を開く。
「岳はどうか分からないけど俺は岳が弟で良かったと思ってる。合う、合わないじゃなくて、そういう判断が付かないほど離れた場所に居ても元気で居て欲しい、幸せであって欲しいと思うくらいには大切に思ってるよ」
「が……岳さんもそう思ってますよ。ね、岳さん」
思わず綾太の方が身を乗り出して答えてしまう。話を振っても岳は反応し切れず、唇が僅かに開いているだけ。
岳だって純也のことを嫌っているわけではない。確かにそう言っていた。だから、合う、合わないはあれど、純也と同じようなことを思っているはずだ。
性格の不一致等様々な理由から心の距離が出来たとしても、互いの幸せを願い合っている兄弟が存在するというのは今後岳が生きていく上で心の支えになるのではないか。そう思うと無関係は承知の上でついつい口を出してしまう。
「岳さん言ってました。お母さんが亡くなった時にお兄さんが慰めてくれて、それで少しずつ立ち直ったって」
伝えてはならないことだとは思わなかった。岳を見てもバツの悪そうな表情をするだけで綾太の言葉を止めようとはしない。
「……岳が? ほんとに?」
「だからお兄さんと同じ気持ちですよ。岳さんもお兄さんを大切に思ってます」
岳さん、ごめん、と心の中で謝りながらこの耳で聞いたことを純也に伝える。
綾太は二人に擦れ違ったままで居て欲しくなかった。自分と裕司のようにわだかまりを溶かし切らなくとも家族として生きて行くことは出来る。
岳が自分にしてくれたように自分も岳のためになりたい。綾太はこの一心だった。
「矢敷くん、今日はありがとう。帰りに店に寄らせて貰って果物買って帰るよ」
Clairの店先で純也はそう言って議員らしく握手を求めてくる。
そんなに長く笑みを湛え続けて頬が引き攣らないのかと心配になってしまうくらいニコニコとしている。
「じゃあまた。イベントも頑張ろうね」
手を振って帰って行く純也に応えて綾太もぺこっと頭を下げる。
「あー……あの機嫌の良さじゃまたすぐ来るぞ。明日にも来るかも。つか毎日来そう」
純也を見送ったあとで岳がこめかみに手を当てながら溜息を吐く。
綾太は「いいじゃないですか」と呟く。
「お兄さんが岳さんのことどう思ってるか知れて俺はすげぇ嬉しかったすよ。弟として大事にされてて安心しました」
「弟として、ね……まぁ、そうだよな、弟としてなら俺がいくら懐いても大歓迎だろうな兄ちゃんは」
純也の姿が見えなくなっても帰って行った方向から目を離さなかった岳が誰に聞かせるでもなく言って店の中に戻っていく。
「岳さん?」
様子の変わった岳の後ろ姿を追い掛けて同じように店内に入る。
「綾太はさぁ、兄ちゃんと俺が仲良くしてくれたらいいなって思ってんだろうけど、やっぱ無理だわ。ごめんな。ある程度の距離がないと……俺が困る」
「……さっき岳さんも言ってたけど、人間だから合う合わないってありますもんね」
「それもそうなんだけど、根本的に違うんだよ」
客の居ない店内で岳が振り返る。話は終わっていないようで、岳の整った唇が動こうとしている。
いつも飄々としている岳が真剣な眼差しで自分を見ていることに綾太は困惑した。
「成人してすぐ家出たのは兄ちゃんの弟をやめたかったからなんだよ。でもそれは性格が合う合わないとか、出来の良い兄を妬んでるとか嫌いだったからとかじゃない」
逆だよ、と岳が笑みを作る。明るさはなく、諦めの付いた温かみのない笑みだった。
「好きだった、兄ちゃんのこと。どうしようもないくらい」
岳の言葉はすぐに理解出来た。
今の口振りを見るに、兄弟仲を取り持とうと必死な綾太に分からせる為に仕方なく打ち明けたという感じだった。
どうしてその可能性を考えなかったのだろう。綾太は自分の能天気さを呪うが、今になってそんなことを後悔してみても遅い。
「だけど男同士じゃん。つかその前に家族じゃん? それでも自分じゃ止められないんだよ。誰と付き合っても、誰と遊んでも兄ちゃんのことばっか考える。このままじゃ感情ぶつけちゃいそうだから家を出て連絡も出来るだけ取らないようにした。そうするしかなかった。今日見てて分かったろ? 兄ちゃんは俺に弟であって欲しいんだよ。弟の俺だからああやって興味持ってくれる。だから俺が出来ることは我慢してなにも伝えず距離を取る、以上。でもそうすっと周りから見れば嫌ってるようにも見えるわな。だから親戚は皆『岳は純也を嫌ってる』って思ってる。でもそっちの方が良いんだよ。弟がゲイで兄貴に恋愛感情抱いてるって話よりよっぽど健全だろ」
「……俺、めちゃくちゃ余計なことしましたね」
「別に。知らなかったんだから仕方ねぇよ。一生誰にも言うつもりなかったんだけどな。綾太には言っちゃった」
岳が乾いた笑い声を発する。
綾太にも合わせて笑って欲しかったのかもしれないけれど、笑顔どころか取り繕う言葉の一つも出て来ない。
岳の話を聞いて、立っている感覚が無くなった。
音もなく地面が割れて下に落ちていく。血の気は引き、眩暈を覚えた。
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