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第22話

 六月から降り続いた雨も七月に入ると晴れ間が続く日も増えて来た。  例年よりも早い梅雨明け宣言が期待される七月初旬、商店街で文化祭のプレイベントの最後の打ち合わせが行われた。  最初の頃に比べると随分とスムーズに進行し、イベント準備の方もアーケード内の分は殆ど終わり、話す事といえば当日のスケジュールを商店街側と共に確認するという簡単なもので済んだ。 「では皆さん、来週末どうぞよろしくお願いします」  生徒代表として倉本が挨拶をし、隣に座っていた綾太も立ち上がって礼をする。  頭を上げると岳と目が合って、離せずにそのままで居ると笑みをくれた。  一ヶ月と少し前から続く後ろめたさを拭えずにいる綾太とは違い、岳は吹っ切れたように明るい。  この差は綾太が子供で、岳が大人だからだろうか。  締めの挨拶を終えて座った倉本に続き、岳からの笑みで痛み始めた胸を知らぬ振りして綾太もまた椅子に腰掛けた。  あの日からもうずっと反省の日々だった。  岳のためになったら良いなと行動してみたら岳が苦手だという兄の純也が市議会議員という立場でイベントに関わるようになり、しかし実のところ岳は純也を嫌っているわけではない、尊敬しているというのが分かり、成り行きとはいえ自らの意思で二人の間に立って意見をしたら思いがけず岳が隠し続けた秘密を知ることになった。  岳は兄の純也のことが好きだった。  その気持ちを抱え切れなくなって、自分の想いで純也に迷惑を掛ける前に実家を出た――。  本当に余計なことをした。岳に何度迷惑を掛けたら済むのか。  本来ならば愛想を尽かされても仕方がないというのに、よくもまぁ呆れずに笑い掛けてくれるものだ。  思考は留まらずに水のように流れて行く。痛んでいた綾太の胸の内は岳への想いで熱くなる。  岳は今も純也のことが好き、かもしれない。それでも綾太の気持ちは変わらない。  岳が綾太を救ってくれたように、兄に対する感情に怯えて暮らしていた当時の岳を実家から連れ出してやりたい。そんな叶いもしないことを妄想してしまう。  岳の気持ちが綾太に向くことがないとしても側に居たい、出来れば気持ちを伝えてこれから先もずっと想い続けていくことを時間を掛けて証明したい。  またもや岳に迷惑を掛けそうな事を性懲りもなく考える。 「矢敷くん、なにボーッとしてるんですか! もう解散ですよ!」  大き目に発せられた倉本の声でハッとする。  時間が来たので打ち合わせに使わせて貰ったワーキングスペースから出なければならない。それなのにいつまで経っても座ったまま動かない綾太に痺れを切らしたように「今からここ使うみたいなので早く出ましょう」と倉本が催促する。  肩にスクールバッグを掛け帰宅準備が整った倉本を見て綾太は焦って机の上に拡げた資料や筆記用具を纏める。 「綾太ぁ、帰るんだったら一緒に帰ろ」  倉本から注意を受けた段階でもう誰も残っていないかと思っていたから前方から声が掛かって驚く。  岳だった。 「では僕はお先に」  バトンタッチするかのように岳に頭を下げて倉本がワーキングスペースから出て行く。 「別に三人で帰っても良かったのに、あの子真面目だな~」 「倉本くんですか。あの人真面目だけどすごい面白いですよ」  教室に迎えに行くといつもこうですから、と歩き方を真似して見せると岳が笑う。 「仲良いのな。中学が一緒とか?」 「いや、中学も別だし、高校でも三年間一度も同じクラスなったことなくて。だから最近ですね、このイベント企画してから絡むようになったんで」 「ふーん……お前ってああいうのがタイプ? 女でも男でも」 「え?」 「眼鏡の黒髪の真面目ちゃん」 「……タイプとか、考えたこともなかったです」 「ふーん」 「なんでそんなこと聞くんですか」  岳が突拍子もないことを言い出すのは珍しいことではない。そんなやり取りに慣れたと思っていても色恋の話となると綾太も動揺を隠せず僅かに声が上擦る。 「俺とは真逆だなと思ってな」  心臓が掴まれたようにくっと締まる。  先程岳に伝えた通り、これまで自分の好みなど真剣に考えた事はなかった。だが綾太の想い人は岳であるからそれでいうなら岳は真逆どころかタイプのど真ん中だと言える。  言ってしまおうか。好きだと。  ワーキングスペースの二階部分から一階に下りる階段を一緒に下りながら告白文句を考えて胸を高鳴らせる。こんなことならいつでも言えるように頭の中に文章を叩き込んでおくべきだった。  一段一段下りて行っても思考は纏まらない。最終的には思っていること全部伝えてしまえば良いじゃないかとやけになって口を開こうとしたら前を行く岳の「あっ」という声で掻き集めていた勇気が空に散ってしまった。 「また兄ちゃん来てるわ」  平坦な岳の声色の先に純也の姿が見えた。  機嫌を良くして帰ったあの日以来、商店街で頻繁に純也の姿を見掛けるようになった。 「最近ほんとに良く見ますね、お兄さん」 「だから言ったろ。毎日来そうって」  純也がこちらに気付いて手を振っている。爽やかな白のTシャツが眩しい。  綾太は会釈を返しながらも小声で会話を続ける。 「……岳さん、大丈夫ですか」 「俺? ……それがさ、なんか、平気。ふつーに兄弟出来てる」 「まじですか……俺、やらかしちゃったから気になってて」 「まだそんなこと言ってんのかよ。俺の問題なんだから綾太が気にすることねぇだろ」 「いや俺ほんと考えなしだったんで。もう絶対余計なことしません」 「もういいって。そんな反省されたらこっちが気ぃ遣うわ。……でもなんでだろな。あんな不安だったのに。お前のせいなんかじゃなくて寧ろお前のおかげかも」  純也との距離が近くなってもコソコソと話し続けて岳の言葉のあとで綾太は隣に目を向ける。岳と目が合って、微笑まれて、地面に突っ伏したくなった。  期待しても思い通りになるという保証など何処にもないのに、笑顔を向けられると無理矢理にでも自分の願望通りにしてしまいたくなる。  岳の言っていた、どうしようもないくらいに好きというのはこういうことなのかと身を以て知る。  綾太は洋臣のことを思い出して「犯罪はいけない」と昂る感情を抑え付けた。 「今日はなんの用だよ、兄ちゃん」 「夕飯一緒にどうかと思ってさ」 「それ二日前も言ってた。他に口実ねぇのかよ」  岳と純也の会話を聞きながら、綾太は口から湿度を含まない小さな笑い声を零す。岳の気持ちを知ってしまった今、綾太が純也に向ける感情は嫉妬に近い羨望だった。 「矢敷くんも一緒にどう?」 「お兄さんの奢りなら行くって言え、綾太」 「あ、木場くんも誘おうか」 「平日は暇だし誘えば来そうだな」  岳がスマホを操作し出した。木場に連絡を取るのだろう。そうしながら綾太に「お前どうする? 行くならゆーじいに連絡しな」と言う。  何人居ても岳と純也が揃っているならその輪の中で平気で居られる自信がない。綾太は「今日はやめときます」と精一杯明るい声で答えた。  青果店への帰り道、綾太は歯を食いしばっていることに気付いてふと力を抜く。頭が痛むのは噛み締めの影響だろう。  脳内では途中になっていた岳への告白文句が流れ続けるが「好きです」以外のフレーズが何も思い浮かばずそればかりがリピートされている。  振られることは怖くない。振られてもきっと好きなままだから、それで良いのだけれど、岳の負担になるのは嫌だ。  だから勢いだけで気持ちをぶつけようとしたさっきの自分と大反省大会しながら家路を歩く。  自分の想いで兄に迷惑を掛けるかもしれないと考えていたような人に、それを知っているのに綾太の気持ちを押し付けることは果たして正しいと言えるのだろうか。  そもそも、普通に兄弟として接することが出来ているというのが強がりだったらどうする。そんな状況で好きだなんて伝えれば純也との交流で混乱の最中に在る岳に更なる重荷を背負わすことになる。  では諦めようか。  岳のことが好きだというのは綾太だけの秘密にして一生隠して生きる。岳がそうしたように。 「……はぁ」  隠し通すことは可能でも、岳のことを好きじゃなくなる日は来ないだろうと確信めいたものがある。  とんでもなく大きな溜息が出る。それがもう誰ともすれ違うことのない日の暮れたアーケードの中に溶けていく。  また知らず知らずの内に奥歯に力を込めていた。

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