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第30話

「準備した?」  平日の午後、二階から一階に下りると綾太は父の裕司に声を掛けた。  裕司は黒いTシャツの上から半袖シャツを羽織り、テーパードパンツを穿いて「どうだろ?」と見せてくる。 「暑くない?」 「麻のシャツだから暑くない」  普段はオーバーサイズのTシャツに短パン姿で店名の入った前掛けエプロンを身に着けている姿しか見ないから、綺麗めなジャストサイズのTシャツで筋肉が強調された父親の姿には違和感しかない。  裕司も落ち着かないのか青果店のバックヤードを行ったり来たりしている。 「長くても三十分ぐらいだから、三者面談」 「そうか……緊張するな」 「なんで父さんが緊張すんの」 「初めてだから、子供の三者面談なんて」 「最初で最後だね」  綾太が笑うと裕司が申し訳なさそうな顔をする。これまで参観日や三者面談に来てくれなかった事は気にもしていないが、親の立場からすればそういう問題ではないようだ。 「ちょっと早いけど行こっか」  気まずくなる前に言うと裕司が店を留守にしている間だけ働いて貰っているパートさんに挨拶をして青果店を出た。  高校では夏休みを前に三者面談が行われる。  面談の時間により学校で待機する生徒も居るが、綾太は一度下校して順番が来る時間に合わせて裕司と共に学校に向かった。 「……大学行くの、本当はやなんじゃない?」  商店街でのイベント後にバタバタと進路を決め、裕司には相談というよりも「こうしたいです」とだけ報告をした。裕司は反対することなく聞き入れてくれた。 「嫌じゃないさ。綾太が決めたんだから好きにすれば良い」 「店、継いで欲しいんじゃないの?」 「そりゃ、母さんのために作った店だからな。いずれは綾太が継いでくれればと思ったこともある。でも今はそんなことより綾太がやりたいこと見つけてそれに向かって頑張ってくれた方が父さんは嬉しい。母さんもきっとそうだ」 「そっか……あ、あのさ――」  綾太は言うか言うまいか迷って言葉に詰まる。隣を歩く裕司が綾太を見て首を傾げている。 「あ、あり、がとう。俺、父さんと母さんの子供で良かった」  もごもごしている間に学校に着いてしまいそうで、綾太は気恥ずかしさを押し込めて無理矢理に感謝の言葉を口にした。最初の方はロボットみたいだった声も出してみるとすんなりと空気に乗ってくれた。  裕司からの返事はなく、けれど目の端には何度も頷く姿が映った。鼻を啜るような音も耳に入って来たけれど、それはもう聞こえぬ振りをした。  無事に三者面談を終えて店の前で裕司と別れるとその足でClairに向かった。  店先からガラス扉の中を覗くと客はおらず、岳がレジ横のショーケースの前に立っているのが見えた。 「岳さん」 「おお、学校帰り?」 「三者面談あってその帰りです」 「ゆーじいも行ったんだ。緊張してたろ」 「え、なんで分かるんですか」 「だって前に綾太の三者面談に出るのが夢っつってた」 「はは、夢ちっちゃ過ぎ」 「まぁまぁそう言いなさんな。離れてた分だけそういう妄想は膨らむもんよ」  岳はショーケースの上に拡げていたオーダー表を仕舞い、奥に引っ込む。一緒においでの意味が含まれていると理解して綾太も後ろに付いて中へと入った。 「三者面談っつーことは進路かぁ。綾太は就職ってことになんの? 店継ぐんだろ」  ペットボトルに入った炭酸飲料を手渡されて当然のように言われる。まぁ、皆そう思うだろう。 「うーん、どうだろう……父さんは別に好きなことして良いって言ってるし」  綾太は誤魔化すように答えるが、進路はもう決めている。いずれは岳にも話すつもりでいるが、それは今ではないので濁した言い方をすると岳は意外そうな表情をした。 「えっ、家出んの?」  言い終わると不満げにむうっと唇を結ぶ。  イベント後、店内で抱き合ったあの日から岳の様子が少し変わった。元より表情豊かな人で、思ったことは伝えるタイプだったが、この頃は若干の我儘というか甘えを混ぜて来るようになった。しかも見ている限り綾太限定で。  今の「家を出る気なのか」という言葉の裏にも「近くに居ろよ」という岳の本音が見え隠れしている。表情に出ているので案外分かりやすい。  もしかしなくとも自分たちは「そういう仲」になったのかもしれない。  あの日、岳の背を押して純也の元に行くよう促したが岳はすぐに戻って来た。  純也に会えなかったのかと思っていたらどうやらそうではなかったようで、話はしたと言う。けれど、告白はしなかった。今も好きならば伝えたが、そうではないから言わなかったと岳は語った。  抱き締めた体と岳からの視線。綾太に向けられた瞳には、期待するなという方が無理なくらいに熱が籠っていた。  だからもしかしたら岳も自分のことを――。 「なぁ、家出んの? って聞いてんだけど。答えろよ」 「えっ? あっ、あー……考え中です」 「んだそりゃ。決まったらぜってー教えろよ」  ソファーに座って、はい、と頷く。  今でも十分幸せではある。けれど自分が高校を卒業する前に「もしかしたら」を確認出来たらどんなに良いか知れない。  綾太は何をしにClairに来たかを思い出して、手に持ったオーダー表に目を落とす岳を見る。 「忙しそうですね」 「おかげさまで。イベントのおかげだわ」 「じゃあ暇とかないすかね」 「暇? 飯とか風呂なら行けるよ」 「そうじゃなくて一日時間作れないかなと思って」  岳がきょとんとした顔を向けてくる。 「ほらっ、あの、お礼したいって言ってくれたじゃないですか! 俺、なんも要らないって答えたけど、あれがまだ有効なら、夏休みの間に一日遊んで欲しいです」 「……まぁ、ちゃんと礼はしなきゃとは思ってたけど、遊ぶとかそんなんで良いん?」 「はい、岳さんに遊んで欲しいです」 「お前が良いならいいけど……じゃあ行きたいとこ考えといて」  ちょっとばかり強引な誘い方になって断られるのではないかと焦ったが岳が予定を合わせるためにスマホでスケジュールを確認し出して綾太はほっと息を吐いた。

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