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第31話
七月下旬に夏休みに入って菜帆が居る実家の方へ泊りに行ったり青果店の手伝いや夏期講習で忙しく過ごしている内に八月に入った。
瞬きする間に岳との約束の日を迎え、青果店が開く時刻よりも前にシャッターをくぐってアーケードの出入口を目指して走る。遅刻しているわけではないが心が逸って足が勝手に動いてしまう。
商店街から出るとすぐ目の前にあるのは駅のロータリーで、周囲を見回しているとゆっくりと車が移動して来て綾太の前に停まった。
「はよー」
コンパクトなSUVの窓が開くとサングラスを掛けた岳が朝の挨拶をしてくる。いつもとは違う状況に胸が高鳴って岳に見惚れていると「乗んな」と催促されて慌てて車内に飛び込む。
「朝から暑ぃな」
「ほんと、夏全開って感じですね。お盆が過ぎたら涼しくなるかな」
「さぁなぁ、最近年中暑いもんな」
老夫婦のような落ち着いた会話を済ませると車が動き出す。行き先は事前に決めて綾太が岳に提案した。岳は最初から綾太に合わせるつもりでいたようで、文句も言わずに車を出してくれた。
「岳さんが運転してんの見るの新鮮」
「そう? 大抵店に居るけど、マンション帰ったりする日もあるしたまに乗ってるよ。やっぱ車はあると便利だもんな。綾太は免許取らないの?」
「取るつもりですけど、今はまだ」
「ふーん。免許取ったら隣乗せてよ」
「一番に乗せますね」
「いやそこはゆーじい乗せたれ」
商店街の店舗の中で二人きりになることはもう慣れたけれど、車の中という狭い空間ではどうだろうかと予定が決まった時から想像しては緊張していたが、会話は途切れることなく、また車内を流れる音楽にも助けられて気まずさを感じる事はない。
途中コンビニやチェーン展開しているコーヒーショップに寄りながら車を走らせること一時間弱、目的地としていた水族館に到着した。
「まさか綾太が水族館行きたいとはね」
「どこ提案されると思ってたんですか」
「夏だしフェスとか」
「岳さんとはぐれて揉みくちゃにされそう」
第一駐車場は満車で、第二駐車場に回されるもこちらも満車で、少しばかり歩くことになるが第三駐車場に車を停めた岳が「夏休みの水族館も混雑具合は変わらなくね」と言ってサングラスを外し、スマホを操作して画面に電子チケットを表示させる。
綾太はシートベルトを外すと笑いながら岳の顔を覗き込んだ。
「じゃあはぐれないようにしなきゃすね」
「はは……手でも繋ぐか」
「え、いいんですか」
「……バカ、本気にすんな」
「えー、岳さんから言い出したのに」
「誰が見てっか分かんねぇのに……困んのは綾太の方だろ」
学生という立場の綾太を気遣っての発言だろうが、綾太としては誰に知られようとも全く構わない。というか今の口振りだと誰にも見られない場所ならば手を繋ぐことを許して貰えるということだろうか。
例えば、今。車内ならば覗き込まれない限りは誰かに見られることはない。
「ほら、行くぞ」
どこまで許して貰えるのか試したいという気持ちはあったけれど岳がさっさと外に出て行ってしまった為、綾太は何も言えず、何も出来ず、彼に続いて車から降りた。
「この水族館子供の時振りに来た」
「俺も。一回改修工事してるみたいだけど、なんか変わってるすかね」
「魚が増えたとかそんなんじゃね?」
「岳さん適当すぎ」
水族館の入口は二階で、今日の日付が書かれた看板を持つペンギンのオブジェに出迎えられ、家族連れやカップルが列を成して写真を撮っている。その横を素通りして、岳がキョロキョロと辺りを見渡す。
「あっちに順路書いてますね」
「あ、ほんとだ」
奥の壁を指差すと岳が一人で歩いて行くから綾太も小走りであとを追う。
順路の最初は近海の生物で、水族館の隣には海があるからそこで生育している生き物が展示されている。
近海生物のコーナーを通り過ぎると次に大水槽が現れた。建物全体を貫くように作られていて、二階と一階からでは見え方や泳いでいる魚の種類も違う、と案内板に書いてある。
これより更に奥に進むと実際に生物に触ることの出来るタッチエリアがあるようで皆そこを目指しているのか大水槽の前を足早に過ぎて行き、岳と綾太が立っている場所にはぽつぽつと人が居るのみだ。
綾太は分厚いガラスに近付く。
「定番なこと言ってい?」
「なんですか」
「寿司食いたくなんない?」
「なりますね」
「晩飯寿司にするか」
「やった! 寿司久々」
回遊する魚を見ながら笑顔を作ると岳が隣に並んで来る。水槽の中が良く見えるよう館内は薄暗く、綾太と岳がどれだけ距離近く居ようが誰も気に留めない。
岳の腕が当たるほど近付くと綾太はわざと腕がぶつかるよう自分から動かす。岳は嫌がらずに止まったままで居てくれる。それだけのことなのに嬉しくて堪らない。
気付けば泳ぐ魚よりも触れた肌の方に意識が集中してしまい、ここにずっと居たいと思ってしまう。
けれど次々に人が流れて来るのにいつまでも水槽前に留まっているわけにもいかず、岳に腕を引かれて次の順路へと進んだ。
展示エリアで足を止める度に入口で貰った水族館の案内を開き、イルカやアシカのショーの時間に間に合わせるにはどう館内を回り昼食を済ませれば良いかを考え、その通りに過ごしていたらあっという間に時間が過ぎた。
「あんま遅くなってもな。綾太未成年だし、俺連れ回しで捕まっちゃう」
岳が言い、晩御飯は寿司と決めて急遽ネットで探した寿司屋まで三十分は掛かりそうだからと夕方には館内を出た。
それでも一日中遊ぶことが出来て、木場や裕司、菜帆に純也にと土産物も買えて二人して両手に荷物を持った状態に幸福感を覚える。
あとは最後に一つだけ――。
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