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第32話

 綾太は歩きながらふと海を見つめる。 「……岳さん、まだ時間大丈夫? 俺、海見たい」 「いいよ。座ろっか」  昼間ならばカップルに占領されていたであろうベンチは何処も空いていて、夕方という時間帯もあり人もまばらだ。  岳がベンチに座り、綾太は岳の隣に荷物だけを置いて落下防止用のフェンスに近付く。 季節柄、夕方でもまだ陽は高い。休むことなく揺れる水面に陽光が反射してキラキラと輝いている。 「来年は海行きたいすね」 「今年行けばいいじゃん」 「今年はちょっと勉強しなきゃなんないから、一日中遊べるのは今日が最後かも」  後ろに居る岳ではなく海に向かって言うと足音が近付いて来る。  岳から何を言われるか大方の予想は付いている。フェンスに手を掛けこちらを向く岳が目の端に映って、応えるように彼に顔を向けた。 「就職しないで学生すんだ?」 「はい、大学行きます。だから卒業したら商店街離れます」 「……そっか。頑張れよ。応援してる」 「俺が居なくなんの寂しくないですか」 「は? 自意識過剰。綾太が商店街に居た期間なんてちょっとじゃん。寂しいとかねぇよ」  岳が人差し指と親指で隙間を作って僅かな時間であったことを表現する。  そう言われるだろうなと思っていたから綾太が小さく笑うも、岳は時が止まったかのように自分の指を見つめたまま動かない。 「岳さん?」  目線を合わそうと岳の顔を覗き込むと見開かれた大きな目から前触れなくぼろっと涙が零れた。  わっ、とたじろいで、どうにかしようと考えるも何の術も浮かばずとにかく周囲から隠さねばと岳の体を引き寄せて自分の腕で覆う。  抱き締めると少しばかり抵抗を見せたが、もぞもぞとしている内に収まりが良くなったのか岳は大人しく抱かれたままとなった。 「……なにこれ」 「泣いてるからびっくりして」 「びっくりしたらこうなんのかよ! 菜帆ちゃんにもすんのかよ!」  岳がその場で地団駄を踏む。素足にサンダルの綾太の足を岳の穿くスニーカーが掠めていくのを感じながらも、彼の体を離すことは出来ずに抱き締めた腕に一層力を込める。 「しませんよ、岳さんだけです」 「……それってさ、どういう意味?」 「抱き締めたいのは岳さんだけって意味です」 「ちゃんと言えって」  腕の中で岳が左右に体を揺らす。  綾太は一度大きく息を吸う。  岳の匂いで胸を一杯にしてから話し始めるのに必要な程度、溜めた息を吐いた。 「岳さんのことが好きです」 「……あのさ……ちょっと我儘なこと言ってい? 俺のこと好きなのになんで離れんの? そばに居るって言ったじゃん」 「好きだから、ずっとそばに居るために離れるんです」 「意味分かんねぇ」 「イベントの日、俺気付いちゃったんです。最初は岳さんや商店街のためにやってたけど、最終的には自分のためだったって。沢山の人の表情見て、俺、皆に喜んで欲しかったんだなって分かって。だから大学行ってイベントとか経営の勉強しようと思ってます。それなら人を楽しませながら堂々と岳さんのそばに居て、岳さんの喜ぶこと提案出来る男になれるでしょ」  一石二鳥だなって、と締め括ると岳が綾太の胸の中で笑い出す。 「皆のこと楽しませて、俺のことも幸せにするとか壮大過ぎん」 「そうなれるように精一杯頑張ります。だから俺のこと振らないで、岳さん」  返事はまだ貰っていない。  綾太は腕の力を緩めると、岳との間にちょっとだけ空間を作る。 「俺のこと、好きだって言ってください」  視線を落として見つめると、光で透かされて薄茶色だった岳の目が意思を持ったように濃く色付く。 「……ん、俺も。綾太が、好き」 「え!? ほんとに!?」 「声でけぇ。そんな驚く? 分かんだろ、なんとなく」 「すんません、嬉しくて……じゃあ、岳さんの彼氏にして貰えますか」 「そうなると俺も綾太の彼氏になんだけどな」 「あ、そっか……えっと、俺の恋人になってください」  頷いた岳の指が綾太の指に触れてくる。既に涙の線が跡になっている頬を繋いでいない方の手で撫でると岳も甘えて顔を寄せてくる。 「……あの、キ、スしても良いですか」 「ダメだろ。外だし、お前未成年だし。ゆーじいの顔浮かんで申し訳なくなる」 「え、父さんは関係ないでしょ。真面目に付き合うんだし、俺これからまた夏期講習で忙しくなるし、頑張れのキス欲しいです」 「なんだよ頑張れのキスって。とにかくダメなもんはダメ。お前が高校卒業してからな」  繋いでいた手が離されてしまうと岳がベンチに戻ろうとする。綾太は焦って岳の肩を掴む。  視界に映る範囲に人が居ないことを確認してから勢いだけで彼の唇に自分の唇を押し付けた。  初めてのキスを渡して、驚いている岳から口を離す。 「大好き、岳さん。これで俺受験乗り切れます」 「お前……っ!」  夕陽の色が映っているのかそれとも照れているのか岳が真っ赤な顔をして怒るからそれが可愛くてもう一度、今度は頬にキスをした。

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