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第1章 いつもと変わらない日常だったはずなのに……2

 そうして淡々と準備をしていれば開店時刻になった。  マスターもやってきて、常連客である会社員のお客様たちがいつものようにコーヒーとトースト、目玉焼きとサラダのセットやオムレツを頼んでいく。  八時半過ぎになって小休憩の時間に入る。  朝食用に目玉焼きとサラダのセットを作り、焼き立てのトーストにバターを塗って口へ運んだ。サクッと軽やかな音がするとパンの甘みとバターのまろやかなしょっぱさが広がる。  今日もおいしいものを食べられて幸せだ。  そんなことを思いながら夢中になっていれば皿は、あっという間に空になる。食後の一服とスマホを取り出し、蜜にLIME(ライム)を送る。 「おはよう。次のデートいつにする?」  まめな性格をしている彼は、よく即レスしてくれるし、他愛もないメッセージを送ってくれた。  だけど、ここ最近は返信もなければ、向こうからの連絡も来ない。送った内容が既読になるのも三日後や一週間後と遅い。  まあ、向こうは営業マンだから、きっと仕事が忙しいのだろう。本を閉じるかのように紺色のスマホケースを閉じ、机の上へ置いた。  歯磨きをして仕事に戻ろうとしたら、マスターが、まるで断頭台で死を待つ死刑囚のように深刻そうな顔をして唇を開いた。 「社(やしろ)くん、悪いけど、ちょっといいかな」 「はい、なんでしょう?」 「お客様がきみを呼んでいるよ。少し行ってきてくれないかな」  まさか髪の毛やビニールがお食事に異物混入したのだろうか?  何かやらかしたのではないかと焦りを感じ、スッタフルームを出る。ホールスタッフが教えてくれた八番席へと足を進める。 「お待たせいたしました」 「どうも。社律くん、だよね?」  そこには黒髪をオールバックにし、三連ピアスをした男がいた。ヒョウ柄のワイシャツを着て黒のスラックスを穿(は)いた彼は、まるでナンバーワンホストのように堂々とした出で立ちだ。足を組み、タバコをぷかぷかふかし、おいしそうに吸っている。  しかし、ごついシルバーの指輪を何本もしている手や腕には、龍の鱗(うろこ)らしき入れ墨が入っていた。  その向かい側には恰(かっ)幅(ぷく)のいい眼鏡をかけたスキンヘッドの男と、イチョウみたいに頭が黄色く風に吹かれたら飛んでいってしまいそうな細身の男が座っていた。 「そうですけど……大変恐れ入りますが、ご要件はなんでしょう?」  男が柳眉をピクリと一度上げた。 「そのぶんじゃ両親からの連絡はなし、ってことか」  家族の話題に振れられ、妙な胸騒ぎを覚える。思わず眉をしかめた。 「申し訳ありませんが、両親とは高校卒業を機に縁切りをしたも同然です。何かあったのでしたら弟に聞いていただけませんか」  その場を立ち去ろうとしたら、男ふたりが立ち上がりる。素早く動き、僕の前へ立ちふさがった。  わずらわしさを感じながら、どうしようと考えていれば「まあ、座れよ」とヒョウ柄シャツの男の声がかかる。「込み入った話があるんだ。コーヒーでも一杯飲んで気を落ち着かせてくれ」  有無を言わさぬ様子に気圧され、おとなしく男ふたりが座っていた席——赤いビロード生地のソファ——へと腰を下ろす。男ふたりは命令を待つ忠犬のように僕と男の横につく。後ろ手に手を組み、とおせんぼになる。  日勤をしているホールスタッフの高卒女子が、まるで最初から用意していたかのようにアイスコーヒーを僕の前へ置いた。 「柳(やなぎ)田(だ)だ。これからは、しょっちゅう顔を合わせることになるだろうから、よろしくな」  そう言って男は胸ポケットから革製の名刺入れを取り出した。手の中に収まる長方形の白い紙を渡される。手の中の名刺と、『不思議の国のアリス』に出てくるチェシャ猫のような不気味な笑みを浮かべる男の顔を交互に見る。  たばこの灰を金属のポケット灰皿へ落としながら、男は天井に向かって白い息を吐いた。 「おまえの両親が借金をこさえた」 「えっ?」  いやな予感が的中する。  いったいどれだけの額になるのだろうかと頭を働かせていると、男が右手をパーにして広げた。 「……五千万?」 「いいや、違う。五億だ」 「五億ですか?」 「そっ、おまえの両親がこさえた借金の額な」  短くなったタバコの火を消し、新しいタバコを口にくわえる。黒いジッポのライターを使い、火をつけた。  名前も知らないジャズ音楽に耳を傾けながら、味のしないアイスコーヒーをからからに渇いたのどへ流し込んだ。  男が口角を上げ、目をギラつかせながら微笑する。 「親父さんは新規事業を行おうとして失敗した。傲慢な性格で金遣いも荒い。銀行の融資や資金援助を得られず、闇金に手をつけたんだ」 「だとしても僕には関係ない話です。先ほども言いましたが家族とは、すでに縁を切っています」 「さて、それはどうかな」  サングラス越しに男は、目を三日月みたいに細めた。黒皮のカバンから白い紙を取り出し、机の上に載せる。  妙な胸騒ぎを覚えながら紙を手に取る。そこには、両親の借金を長男である僕が肩代わりする内容が書かれ、署名捺(なつ)印(いん)があった。 「おまえの親は、サインを済ませるなり、大切な子どもと、おまえの元彼を連れて海外へ高飛びしたんだ。だから金を払うのは、おまえの役目になる」 「は?」

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