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第9章 甘い夢と悪夢1

 ——蜜と出会ったのは、たまたま偶然だった。  その日は新人のホールがひとりで配膳の対応をしていた。チェーン店でお目にかかる配膳ロボットも個人店だから使用されておらず、店長や先輩たちもいなくて、てんてこまい。キッチン担当の僕も料理を作りながら配膳を担当していた。 「ねえ、これ、もしかして全部きみが作ったの?」  お昼の時間帯を過ぎ、お客の波のピークが落ち着いた頃。  だし巻き玉子とさんまの開き定食を食べに来ていた蜜のお盆を下げがデザートに頼んだ抹茶ロールが載った白い皿をテーブルに置いたのだ。彼は、皿を指差しながら突然、話しかけてきた。 「そうですが、何でしょうか」  クレームをつけられるのかと身構えていたら……「すごいね!」  彼は目をらんらんと輝かせながら感嘆したのである。 「全部、おいしかったです。おふくろの味っていうのかな? なんていうかな……食べていて、ほっと安心する味。俺、ここへ来たのは今日が初めてですけど、すごく気に入った!」  なじみのお客様以外から、褒めてもらえたのはこれが初めてで、すごくうれしくて胸の奥と頬がじんわりと熱くなった。  それをどう表現していいかわからず、いつもの堅苦しい言葉を口にしたのを今でも覚えている。 「お口に合ったのなら、何よりでございます。お褒めいただき光栄です」 「きみ、俺と同年代くらいなのに、しっかりしているんですね。何歳? 二十代前半?」  営業でコミュニケーション能力抜群の蜜に尋ねられて僕は「十九になります」と答えた。 「えっ、若っ! 十代なのに、すごいね」 「いえ、それほどでも」 「俺なんて二十三だけど、先輩に『軽口叩くなって』怒られたりしてるからね、もっと胸張りなよ。名前は遠(とお)山(やま)蜜って言います」 「えっ、律?」  蜜を律と聞きかじった僕の反応を前にして、蜜は苦笑した。 「甘い蜜とか、はちみつの蜜です。男にしては、めずらしいでしょ? 今みたいに『リツ』って、よく訊き返されるんですよね」 「あっ、それは申し訳ありませんでした」 「いえいえ、それより、きみの名前は? 教えてくれますか?」 「社です。社律。己を律するの律です」  すると蜜は目を細めて破顔したのだ。 「そっか、律くんって言うんだ! 律って名前の人と会ったの、これが初めて」 「へえ、そうなんですか」 「うん! なんか、あれだね。俺たち名前の語感とか似てて、おもしろくない? ねえ、またここに来てもいいかな!?」 「はい、そうしていただけると、とてもうれしいです」  二度と会えないかもしれない相手へ愛想を口にした。それが蜜との出会いだった。  彼は、お店の常連さんとして週に一度金曜日のお昼にやってくるようになった。  最初の一ヵ月はぜんぜん会わなくて、翌月コロナにかかり四十度の熱を出したホールの代わりにレジ打ちをしていたら、彼と顔を合わせたんだ。 「今日も大繁盛だね、社くん。久しぶり! 元気してた?」 「遠山さん、お久しぶりです。この通り、元気にしています」 「なかなか会えないから、どうしたのかな? って心配してたんだよ」と彼は唇を軽く尖らせ、眉を寄せた。 「すみません。料理担当なので表にはあまり出ないんですよ」 「そっか。そうなると、なかなか会えないよね」 「そうなりますね」  何か思いついたのか彼はスーツの胸ポケットから茶色い革製の名刺入れを、カバンから青い色をしたボールペンを取り出したのだ。ささっと慣れた手つきで名刺の裏にペンを走らせる。何か書き終わると「はい」と手のひらに収まる長方形の紙を手渡される。 「俺のLIME(ライム)のIDと私用の電話番号」 「えっ?」  下級Ωとして生きてきた十九年間、人からうとまれ、後ろ指を指されることは多々あったものの個人情報のやりとりをした経験は零(ゼロ)だった。まばたきを繰り返しながら手の中にある紙と笑顔でいる蜜を何度も交互に見た。 「……もしかして迷惑、だったかな?」 「いえ、そんなことはないです! ただ、こんなビックリして」 「そうだったんだ。いやがられてないのなら、よかった。安心したよ」 「えっと、どうして、これを僕に……?」 「んー」とうなりながら蜜は右頬を人差し指の先で掻いた。「社くんと仲よくなりたい、もっと話したいと思ったからです」  そんな言葉を人からかけてもらうなんて、それも中級αに声をかけられるなんて夢みたいな奇跡が起き、ただ呆然とするしかなかった。宝くじでお札があたり、「やった!」と喜ぶ人の気持ちが少し理解できた気になる。 「もしよければなんですけど——今度一緒にどこかでお茶でもしませんか?」 「はっ、はい……ぜひ」  心臓がドキドキして口から飛び出しそうな状態になりながら勘定を済ませたのだった。  夕方、家へ帰宅して第一にやったのが蜜へメッセージを送ることだった。  ——社です。本日はご来店いただき、ありがとうございました。よろしくお願いします。  数秒後、既読の文字がつき、なじみのないポコンという音をスマホが鳴らした。  ——遠山です いえいえ! また来週も食べに行きます  そして、「よろしくお願いします」と頭を下げるくまのスタンプが送られてきた。

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