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1 サント・ジーリオ孤児院(3)

 火曜日の朝、アレクサンドラは疲れきっていた。  悪趣味なロココ風のお仕着せに着替えるのも億劫で、昼に食堂へ呼ばれるまで裸のままベッドの上でぐったりと横になっていた。  ゆうべの(マスター)はイギリス人だった。アレクサンドラに対して何かというと語尾に「サー」をつけさせたがってうるさかった。この孤児院での公用語は英語なのである。  三十歳程度の精力の強い男で、結局、夜が開けるまでその長大な男根で幾度となく貫かれ、痛みと苦しさにアレクサンドラは幾度か失神した。 (目つきがかなりイカレていたよな)  思い出すと苦々しく舌打ちが出る。全身相当なダメージをくらった。しっかり休ませなければ次の客が来る金曜日までこの痛手を引きずってしまうだろう。  次はどんな客が来るだろう。あまり痛いことをしない奴だといい。ゆうべの男のようなのは絶対にごめんだ――――アレクサンドラは寝返りを打ち、「はあーっ」と吐息した。  こんなふうに次の心配するくらいがチャイルドにできる唯一のことだ。それでもそんな最低限の希望すら、聞き届けられない。こんな日常を何年も続けていれば、神様なんていないと思えるようになっても仕方がないと思う。  いっそ今、目の前に開けている大きな窓から飛び出し、バルコニーから地上へと飛び降りて固いコンクリートに頭を打ちつければ、楽になれるだろう。実際、三か月に一度はそうやってこの世を見限るチャイルドがいる。 (もし俺ではなく、ここにアンディが連れてこられていたら、どうなっていただろう)  そう空想することはちょっとした気晴らしになる。絶えず追い詰めてくる苦しみと不安を忘れるための、ちょうどいい慰めでもあった。 (繊細なあいつのことだ。とっくに気が狂って、飛び降りてたかもしれないぜ)  歪んだ唇から冷笑が漏れた。自分とそっくりな目が生きた色を失い、その顔が強い陽光の下で血まみれになって倒れているさまはなかなか痛快な光景だ。  しかし現実は違う。この地獄にいるのはアンドレアではなく自分だ。いるかいないか分からない神様は、才能を彼「だけ」に与えた。せめて平等に与えてくれれば、離れずに二人で同じ道を歩めたものを。 (不公平もここまで徹底されると、笑えるぜ)  この世は不平等だ。平等なんてものは幻。夢物語に過ぎない。  なまじ絵が巧いことでアンドレアは八歳で優しい養父母のもとから引き離され、寮生活を強いられた。その養父母もアンドレアが出ていった後、二年足らずで交通事故で死んだ。以来、アレクサンドラは天涯孤独だ。  養父母に多額の借金があったのには、さすがにショックを受けた。  養父母の葬儀が終わると債権者の代理なる男たちが来て、二人が負っていた多額の借金についてアレクサンドラに説明したのだ。それでも養父母が死の寸前まで一生懸命に働いていたことを間近で見て知っていたアレクサンドラは、彼らを恨む気持ちになれなかった。  本来ならばその借金は双子の兄であるアンドレアも等分に担うべきだが、アンドレアは世界的な画家を目指して修行している。その邪魔をしたくなくて、アレクサンドラは一人背負うことを決め、男たちにそう告げた。  フィレンツェから列車(ユーロスター)でローマに連れていかれ、この島へ渡るときは目隠しをされた。よほど島の位置を推測されたくなかったのだろう。  初めての船旅で、船酔いで苦しんだ。  以降は囚われの身だ。週に二回は客を取らされて身を売るのが日常となった。  俺にはアンドレアのような才能がない。  俺は空高く飛翔する大鷲ではない。  踏みつけられるさだめの虫けらだ。  だからこうなっても仕方がない。生まれながらの宿命だ。  幾度となくそう己へ言い聞かせた。そう考えて耐えるしかなかった。  神も運命も不平等で不公平だ。ある者には才能を与え、ある者には苦役を与える。  そんなのは当たり前すぎて、人権どうこうの前に、自然の理として受け入れるしかなかった。  だからアレクサンドラがアンドレアを憎む理由は、そんなつまらないルサンチマンによってではない。断じてそんなつまらないもののためではない。  許せていない理由はただ一つ。アンドレアが養父母の葬儀に出てこなかったことだ。  二人の事故死はすぐに工房へ知らせた。アンドレアは知った上で、葬儀に出てこなかったのである。  いくら修行中の身でも、世話になった優しい養父母の葬儀くらいは出席できたはずだと、アレクサンドラはそう考えると今になっても(はらわた)が煮えくり返る。 (あいつは悔やみの一言もよこさなかった)  裸のままベッドの上で背を丸め、頭を腕で抱えた。 「くそ…っ、あのバカ野郎…!」  眼を固く閉じ、怒りを喉の奥に閉じ込めるようにして悪態をつく。 (今度会ったら、殴ってやる)  できればもう一度会いたいという兄弟としての慕情もむろんある。一方で、どうしでも許せない憤怒とのはざまでアレクサンドラは時折、こうして一人で悶々と苦悩するのだった。

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