6 / 12

1 サント・ジーリオ孤児院(5)

「お前にそれをするのは、いつも同じ(マスター)か?」  マリエッタに太客がいるとは耳にしている。マリエッタを独り占めしたいあまりに他の客をとらせないよう、ティーチャーらに賄賂を渡している、とも。それをアレクサンドラに耳打ちしたのは、トトであった。 「私を買ってくれるようなマスターは、あの人しかいないもの。私は醜いから」  どうして。こんなに美しい子なのに――――。  アレクサンドラは悔しさに拳を握り締め、ぐっと唇を噛んだ。大人達によって己が醜いと思い込まされている少女が不憫でならなかった。 「お前は、綺麗だよ、マリエッタ」  しかしそんな誉め言葉も今のマリエッタには呪いでしかないように思われ、言ってすぐに後悔した。  マリエッタも力なく首を振る。  どうしたらマリエッタを救えるのだろうかと、自分の不甲斐なさに苛々する。  トトならばうまく慰めることもできるのだろうが、いかんせん自分は性格が無骨すぎるのだ。この哀れな少女の心を軽くするような上手い励ましの言葉一つ、思い浮かばなかった。 「アレクサンドラ?」  マリエッタが視線を流してくる。 「なんだ」  表情のない二人の視線が重なった。 「首を吊ったら、死ねるの?」  あまりに率直すぎる質問にアレクサンドラは戸惑った。「ああ」と答えればマリエッタはすぐにも行動に移しそうだ。  チャイルドの部屋には各々、隠しカメラと盗聴器が仕掛けられている。この会話もティーチャーが耳を(そばだ)てて聞いているに違いない。答えようによっては自分は自殺ほう助の罪を被ってしまう。 「この間読んだ本でね、首を吊って女が死んだの。私も同じことをしたら、死ねる?」  真剣に問い重ねる。  幼い少女が発した悲劇的な問いかけはあまりに絶望的で、アレクサンドラは即答できない。  このまま生きていてもつらいだけだと考えてしまうマリエッタの気持ちは、痛いほど分かる。しかし生きていれば、もしかしたらここから抜け出せる日が来るかもしれないのだ。マリエッタが卒業する前には、この孤児院が社会問題となって世間の目に晒され、閉鎖されるかもしれない。そんな希望も今は捨てるべきではない。 「無理だ。お前じゃ、首吊りなんて無理だよ」  「――そう……」  がっくりと肩を落としたような、深い諦念を帯びた声になる。アレクサンドラはせめてと思って元気よく続けた。 「それより、いっぱいメシを食えよ。旨いだろ? 食えば少しは気分がマシになる。俺が一緒に食ってやろうか?」 「うん……」  マリエッタが静かに頷く。食事が美味なことだけが、この孤児院の唯一のとりえだ。そしてトトがいなくなってからの一人ぼっちの食事が、彼女は寂しかったのかもしれなかった。 「痛いところをドクターにちゃんと診てもらってさ。金曜までゆっくり休め。いいな?」 「分かったわ……」  それでもまだ抑揚のない声だった。  なんとなく手持無沙汰のような気分になる。  ふと外に目をやれば、沈む夕日がぎらりと光線を送ってくる。今日の一日がもう終わってしまうのだ。  太陽は安全な場所から悲劇を覗き見てほくそ笑んでいるような、意地悪な老婆みたいに醜く見える。  霞がかったオレンジ色の大気の中でマリエッタの身体が小さく震えた。  マリエッタの瞼からまた一滴、涙が零れた。  廊下に忙しない気配がして、アレクサンドラは薄く目を開けた。小走りしている音もして、酷く慌てた様子が感じられる。  壁時計を確認すると朝の四時を少し回ったところだ。島の夜明けは早く、すでに大気は白々として明るかった。開け放たれている窓からは爽やかな潮風が入り、シルクの白いカーテンを途切れることなく揺らしている。  昨夜は客が来る日ではなかったから、ほとんどのチャイルドはまだ眠っている時間だった。こんな時間に一体なんの騒ぎかと、アレクアンドラは首をひねった。と同時に、なんともいえぬ妙な胸騒ぎが興る。 「…首を吊っただと?」  そんな一言が耳に飛びこんだ。  アレクサンドラははっとして目を見開き、ベッドで横たわったままじっと聞き耳をたてた。 「お前、気づかなかったのか」  責め立てるような声が続く。 「カーテンが引かれていたので――――暗くて。ゆうべは、月明かりもありませんでしたでしょう」  アレクサンドラの部屋の傍で話は進行しているようだ。小声のひそひそ話だが、耳を澄ますと内容が聞き取れた。 「あのガキ……! こんな思いきったことをするなんて」  悔しそうな舌打ちの音がした。 「各部屋にも常夜灯が必要だな」 「金がかかる。また院長の小言を食らうぞ」 「今回のはその程度の話じゃない。まずいな、彼女は。院長直々の手付きだったのに」  ――院長の、手付き。  その一言をアレクサンドラはしっかりと胸にしまった。 「チャイルドには病死ということにしておく」 「騒ぎになると面倒だからな」 「早朝に見つけられたのは、不幸中の幸いでしたね」  彼らが遠ざかってゆく気配があった。 (まさか……マリエッタ――――?)  アレクサンドラがマリエッタの部屋に呼ばれたのは、おとといのことだ。  首を吊ったら死ねるのかという問いかけに、アレクサンドラは「無理だ」と答えた。  だが。  彼女の口からあんな問いかけを聞かなければ、これがマリエッタの出来事だとは思わなかっただろう。けれどおそらく、首を吊ったのはマリエッタだ。病死にしておくというティーチャーたちの言葉からして、助からなかったのだろう。ついに彼女は、自らその短い人生に終止符を打ってしまったのだ。  この島が人道から外れているのは、知っている。  だがマリエッタを自殺に追いやった人物は、なんというか、人として絶対にしてはならない一線を越えていた。しかも今の話から察するに、毎回そのような仕打ちをマリエッタにしていたのは、ここの院長なのだ。この悪趣味な孤児院にふさわしい、人でなしだった。  マリエッタの死の報せは、昼食後の皆が大広間に集まっている時に行われた。  心臓発作による急死とされた。  チャイルドは一様にショックを隠せない様子だったし、「どうせまた自殺だろ」と、ポロリと真実を穿つ年長者もいた。

ともだちにシェアしよう!