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3 悩ましい関係(2)

「たまにだけど壁画も見に行くよ。壁画はやはり、何か、特別なものを感じるね。ともかく大きいし」  画集に視線を留めながら静かに語る。アンドレアは神妙な心持ちで頷いた。  アンドレアに壁画の道へ進む後押しをしてくれたのは、プローディーだ。  医師であるプローディーに世話になっていた当時、工房に籠らずに仕事ができる道はあるのかと訊ねられたから、壁画なら自分にもできそうだとアンドレアは答えた。 「じゃあ、そういう道に進むのもいいんじゃないかな。きみのような人が狭い場所に囲われるのは、あまり良くない気がする」  その後押しに引きずられたわけではないのだが、結局、アンドレアは壁画の道に進むことになった。  じっくりと画集を眺めるプローディーを前に、アンドレアは再度、目を窓の外へ移した。  雨に濡れそぼつ街はすでに濃紺の絹布に包まれている。ぽうぽうと浮かぶ明かりは星雲のようで、こんなふうに婀娜めく色に変化してゆく夜の街を眺めるのがアンドレアは好きだった。工房に籠っているだけではなかなかお目にかかれない風景だった。  そんな景色をぼんやりと眺めているうちに、プローディーと出会った頃が思い出された。 (あれから三年か…)  二歳年上のドノ・アベリから買い物に行こうと誘われて、真夏のルッフィーニ公園で「好きだ」と告白されたのは、アンドレアが十六歳の時だった。  相手が同性だったことも、それまでそう親しくない相手であったことも、全てが思いがけなかった。まさに青天の霹靂で、「今は絵の勉強に集中したい」と断った。それで逆恨みを買うとは、露ほども疑わずに。  アベリは人並み以上に自尊心の強い、ナイーブな男だったのだ。  以降、悪友を誘っては、しばしばアンドレアに対して殴る蹴るなどの(いじ)めを行うようになった。  アンドレアは元々誰かとつるむような性格ではなかったので、一人でいることが多かった。周囲にも誰もいない時を見計らって、彼らはアンドレアを大型工具を置いてある倉庫へ連れていき、暴行した。  シャワーを浴びて寝床に着いたところで、叩き起こされて連れていかれたこともある。あの頃のアンドレアはまだ個室を与えられておらずに四人部屋で寝起きしていたが、同室の者達はアベリの復讐を恐れてか、嫌々連れて行かれるアンドレアにかまう者などいなかった。  アベリたちの虐めがレイプへと進行するのにもそう時間はかからなかった。  いったん(たが)が外れてからは、数日おきにアベリを含む数人からレイプを受けるようになった。アベリの仲間はいずれもアンドレアよりも二歳から三歳年上だった。  性欲盛りの男たちから猛々しく激しいレイプを受けて気を失うことも珍しくなかった。倒れているところをに誰かに見つけられ、プローディーの勤務する病院へ運ばれる。そんな日々が続いた。  もっとも、アンドレアが性的な標的になったのはあれが初めてではなかった。近年になって工房にも女性が入ってくるようになったが、それでもせいぜい二割程度で、まだまだ男社会なのだ。似たような被害はしばしばアンドレアに限らず起こっていた。  アンドレア自身、工房に入りたての頃から年長者に悪戯をされ、ひとけのない場所に連れ込まれては幼さの残る性器をまさぐられたものだった。十歳になる前から口淫や手淫の手解きを受け、男のペニスがどのように勃起して射精するのか、アンドレアは己のものよりも先に他人のそれで知った。  お前の顔が悪いと言われた。  男を誘っているようなその顔がいけないのだ、と。  むろん、誘っているつもりなど毛頭ない。相手が勝手な言い分でアンドレアのせいにしているだけだ。  それでもアンドレアは加害者の名を言えなかったし、誰かに相談することもできなかった。工房内に波風を立ててはならない、大なり小なり人間トラブルは皆が我慢していることなのだ――――そのような不文律が当時の工房内にあったからだった。  ただでさえアンドレアの属する美術工房には、閉鎖的だの前世期的だのと社会からの批判があった。だからアンドレア自身、これ以上に世間の注目を浴びてもいいことなど一つもないと思っていた。  そんなふうにアンドレアが諦めていたところに、事の重大さを認識して工房長に改善を訴えた人物が現れた。マエストロとして着任したばかりのカスト・フィオーリである。  フィオーリは名門美術大学の出だった。  三十代後半の彼は、その若さですでに油彩画の世界で名が知れ渡っている大家であった。  工房育ちではない彼は、工房に対してさほどの忠誠心も愛社精神もなかった。だからこそアンドレアの性被害を見過ごさずに警察へ相談して、加害者を糾弾したのである。工房の品位を貶めたという理由で、アベリ達は工房から追放された。

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