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3 悩ましい関係(6)

 昼食にしては遅い時間のため、食堂に人はまばらだった。  製作に夢中になっていると食事を忘れる。そうでなくてもつい時間が押しがちなアンドレアは。ほとんどの食事を単独ですることが多かった。  キッシュの最後の一口を頬張る。  工房の食事は美味なのでありがたい。堪能しながら手元の新聞をめくった。浮世離れした場所(ここ)にいると世事に疎くなりがちなので、せめて新聞くらいは毎日目を通しておこうとアンドレアは心がけていた。 「キミがアンドレア・サンティ?」  正面から凛とした声があった。  すらりと背の高い女性が仄かな微笑を湛えて立っている。ウェーブがかった艶やかな栗色の髪を背に垂らし、豊かなバストとほっそりしたボディラインが強調されるクリーム色のニットを着て、デニムのミニスカートの下には、ストッキングの履いていない綺麗な素足があった。  ボタンを閉めずに白衣をはおっているためか、学生寮に迷い込んだ研究者のようにも見える。いや、実際、彼女は工房では、そんな存在に近かった。  ラウラ・シュッティである。首からさげられたネームプレートを確認するまでもなく、アンドレアは彼女を知っていた。  イタリア屈指の美術専門工房サバニ・ボッテーガ。  数世紀にわたってモンテ・ムシネの山麓に広大な敷地を持つこの大工房は、芽のある少年少女を国中から集めて義務教育を施しながら寮生活をさせ、一流の芸術家にすることを大義としている。  シュッティはその中で働く腕のいい修復職人だ。若干二十五歳で男社会の工房内で修復班の主任を務めているのだから、その実力はたいしたものだった。  水際立った美しい容姿の持ち主でもあり、男性寮ではマドンナと呼ばれている。秘かな恋心を抱いている者も少なくない。  アンドレアはそんな彼女を見あげながら頷いた。 「そうですが?」 「今、少し話せる?」  なんとなく固い声音だった。 「ええ」  ちょうど食べ終わったところだ。もしかしたら見計られていたのかもしれないとも思う。 「あそこのベンチで待っているわ、来て」  顎で外を示し、ぞんざいな口調で告げる。  有無を言わせない強引さにアンドレアは呆気にとられながら、すたすたと去るその背中を見つめた。  失礼に感じられたが、相手は教員でもあるので無視できない。彼女から直に教わったことはないが、いつか世話になるのも確定の相手だ。不愉快に任せて無碍にするわけにはいかないだろうと、理性を働かせた。  新聞を棚へ戻して配膳用トレーを片付けた。食堂からは通用口を使って直接中庭へ出られる。  外は晴れていて、初冬にもかかわらずあたたかで春のような陽気だった。  花壇横にあるベンチでシュッティはこちらに背を向ける形で座っている。アンドレアはゆっくりと彼女に近寄った。 「なんの御用でしょうか」 「まあ、座ってよ。ゆっくり話したいから」  薄笑いを浮かべ、顎で自分の隣を示す。アンドレアはシュッティと少しの間をとって腰かけた。スタンド式の灰皿があるので胸ポケットから煙草の箱を取りだす。こういう時、つい煙草に手が出るのは悪い癖だと自分でも思う。  シュッティが綺麗な足を無造作に組み直した。 「吸いますか」  一本を半分出して訊いてみた。 「禁煙中なの」 「そう――ですか? 昨日、吸っているのを見かけましたが」 「うん。今、始めたところ」  冗談だか本気だか知れない。  一息吸って吐き出すとシュッティが見つめてきた。おもむろに、組んだ膝の上に肘をついた姿勢になったので、胸元が強調されてなんとなく婀娜っぽく見える。 「ほんとにキレイな顔してるわねえ、キミ」  しみじみとしながらもなんとなく挑発するような言い方だったので、アンドレアは聞き流した。そもそも、これほどの美人に言われる筋合いではない。 「ゆうべもフィオーリとは、あっつ~い夜を過ごしたんでしょ」  ところが急に可笑しそうに続けられたセリフに、ギョッとする。顔に出てしまったらしく、シュッティは肩を揺らして笑う。 「意外とわかりやすいんだー」  アンドレアは深く煙を吐いた。 「――――なんなんですか…シュッティさん……」  悪戯に成功した子供のようなシュッティに、羞恥や腹立ちを通り越して呆然としてしまう。アンドレアは窘めるようにその名を口にした。  別に隠す必要もないが、フィオーリとの関係は周囲に公言していない。一緒にいるところを見られたとしても、それイコール恋人とも見えないだろうから、実際に感付いている者は少ないはずだ。いずれにせよ、こんなふうにからかわれる(いわ)れはない。 「別に恥ずかしがる必要はないでしょ?」  遊ばれているだけなのか。アンドレアは面白くなかった。 「恥ずかしくなんかありませんよ。ただ、人の好奇心のネタになるのは御免なんです」  フフフと笑ったシュッティは、不意を突くかのようにあっけらかんと打ち明ける。 「そう怒らないで。だって私達は同志なのよ? 私もカストに抱かれてるから」  アンドレアは一瞬、煙草を挟んだ手を宙に置きながら呼吸を忘れたように固まった。それからもう一度吐息すると、脱力して答えた。 「そうですか。僕にはどうでもいい話ですが」 「あら。つまらない。意外と淡泊ね。もっとショックを受けた顔が見たかったのに」  心底、残念そうな顔をする。

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