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4 仇討ち(1)
早朝にチヴィタヴェッキア湾を出港してから五時間ばかりが経った。
水面に均等な漣を作りながら、ソアーヴェらを乗せた大型クルーザーは低いエンジン音をたてて軽快に地中海を西に進む。
マッシモが所有するこの豪華な海の別荘には、今、マッシモとアレックス、ソアーヴェとレンツィらの護衛が五人、給仕が数人乗っているだけだ。少人数だがこれから「戦争」をしかけに行くには充分なメンツである。
バーカウンターのミネラルウォーターで喉の渇きを潤したリベリオ・ソアーヴェは、アレックスの様子を見にデッキへ出た。
ドアを開けた途端に塩気を含んだ風が横から吹いてきて、ソアーヴェはその心地よさに思わず目を閉じた。田舎の漁村に生まれ育ったリベリオにとって、戯れかかるような海風は子供時代の楽しい思い出とワンセットなのだ。こんな強風にすら郷愁を誘われた心持ちだった。
風が落ち着くと厨房から芳しい香りが漂ってくる。ビーフをトマトソースで煮込んだスペッツァティーノだ。これを得意料理とするシェフを連れてきて大正解だったと、腹が空いてきたのもあってか、あらためて溜飲が下がる思いがする。
潮風に長い髪をなびかせながら、リベリオは蒼穹を仰いだ。
水晶玉をひっくり返したような快晴の空には微かな雲が塗り忘れたかのように残っているだけで、全面が澄み渡る碧である。
視線を横に流すと、庇の下でアレックスがリクライニングチェアで寝ころがっていた。白いTシャツにブルージーンズといったカジュアルな格好だ。
マッシモはいつでも彼に格調高いハイブランドの格好をさせたがるが、アレックスはスラム街でうろつくハイティーンのようなラフな服装を好む。
それでも大人びた濃い色のサングラスをかけて腕枕をし、のんびりと寛いで足を組んでいる今の彼は、それこそちょっとしたバカンスを楽しむセレブの青年そのものに見える。Tシャツがシャネルであることと、顔立ちに気品が滲んでいるせいもあろう。
(背もずいぶん伸びたな)
アレックスの背は元から低くなかったが、ファミリーに入ってからの三年でイタリア人男性の平均を越えるソアーヴェよりもさらに高くなった。余計な肉が削ぎ落された肉体も細身ながら逞しいものだった。
ソアーヴェは不意にしみじみとした感慨に襲われた。己に子供はいないが、彼らの成長というものはこうかもしれない。いつの間にかその成長に驚かされ、感動させられるのだ。
この三年というもの、アレックスには傷とあざが絶えなかった。射撃と護身術を毎日のように叩きこまれたからだ。
アレックスは真面目な性格で、与えられた課題にしっかり取り組む姿勢もあって、今では護身術の教師であるレンツィと肩を並べるほど強くなった。ソアーヴェは射撃を教えたが、ピストルもライフルももう教えることはない。それほどアレックスの成長は著しかった。
リクライニングチェアのアレックスは心地よさそうだ。
眼の良いソアーヴェには、サングラスの下のアレックスの眸が閉じられているのがわかる。
眠っているのかいないのかは知らないが、生死をかけた戦いに行く前とはとうてい思えない長閑な様子に、あまたの戦闘を経験したソアーヴェも感心しないわけにはいかなかった。
アレックスは肝の座り方が違うのだ。初めての殺しの時も緊張した面持ちを少しも見せずに見事にやってのけた。マッシモが彼を特別に気に入って目にかけるのは、無理ないことだと思う。
アレックスの髪がさわさわと潮風に揺れる。知りあった頃は短かったが今では肩を覆うほどだ。少しウェーブがかっていて中性的な魅力がある。まなざしにはやや野性味があるが、相貌は凛々しくて掛け値なく美しい。普通に生活をしていればさぞ女達の憧れの的となるに違いない。
だが実際の彼はおそらくマッシモに恋をしている。そう考える時、決まってソアーヴェの心にはチリチリとヒリつくものがあった。
自分に向けられる切なげな視線、マッシモに向けられる熱のこもったまなざしが、全てを物語っていた。
見ているこっちが反応に窮するくらい、アレックスは思ったことが顔に出る。まるで初心 な少女のようにマッシモの前で彼は落ち着かなくなる。そのもどかしい表情からは、気持ちを伝えたいのに伝えられない苦しさが滲み出ている。
そんな恋の苦悩をごまかすためだろうか。
いつの頃からかアレックスはファミリー内で男遊びをするようになった。美形好きのゲイとはほとんど寝ているという噂だ。
あのマッシモがアレックスの気持ちに気づいていないはずはない。
だが当のマッシモは冷たいもので、完全にアレックスの想いを無視している。
(マッシモも人が悪い…)
まわりくどいことが嫌いなソアーヴェは、一度だけマッシモへ単刀直入に訊ねたことがある。「アレックスの気持ちに気づいていますか」――――と。
冷淡なあの男は「ああ」と認めた。
「どうなさるおつもりです?」
「どうって?」
何を尋ねられているのか本気で分かっていないような顔で訊ね返してきた。
「想いに答えてあげるつもりはあるんですか」
マッシモは軽く笑って首をすくめた。
「おいおい、私は奴を跡継ぎにするために手に入れたのだぞ。抱くためではない。あいつはあいつで、よろしくやっているようじゃないか。いまさら私が加わっても相手がたくさんでは、あいつも大変だろう」
冗談交じりに答えていた。
もともと薄情な上に誰かからの好意など慣れきっている男だ。
ソアーヴェという恋人がいながら、気に入った青年が見つかればすぐにベッドに連れ込む神経の太さもある。複数人でのプレイも平気だ。今さら信奉者が一人や二人増えたからとて、どうでもいいのだろう。それがたとえ後継者に選んだ貴重な青年であっても、だ。
(あんな酷薄な男を好きになって、不幸な奴だ)
赤の他人だし放っておけば良いのだが、かつての自分と境遇が似ているせいか、どうしてもアレックスへの同情を捨てきれない。
ソアーヴェがコジモ・ファミリーに拾われたのもちょうど同じくらいの年齢だった。自分も受け身のゲイであったし、ありがたいことに見てくれも良かった。組織ではいろんな男に遊ばれたし、こちらも楽しんだ。
二十歳で、マッシモの父親にあたる前のカポから、マッシモの筆おろしの相手に任じられた。マッシモは十五歳だった。
セックスの回数を重ねるうちに、先に本気になったのはマッシモだ。
マッシモは気分次第で誰でも抱いたが、ソアーヴェが他の男と寝ると腹をたてて鞭で罰した。
ソアーヴェが心の中で愛していたのはマッシモの父親だった。だがそのカポは十年前ほど前に死に、手の届かない身近な相手を好きになる胸の痛みを嫌というほど味わった。
そんなソアーヴェにとって、今のアレクサンドラはまるで自分を映す鏡のようで、すっかり他人のようには思えないのだった。
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