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5 守るべきもの(1)
ダブルベッドの上でアンドレアは朦朧としていた。
激しいセックスの余韻で寝返りを打つ余力もなく、裸のままでぐったりと横になっていた。
「なんだと…! なぜだ――――!」
不意に、背後のフィオーリが噛み含むような唸り声を発した。思いがけない激昂にアンドレアは眠りかけていた眸を開け、何事かと気になって重い寝返りを打った。
フィオーリはアンドレアの横で寝ころんだままの姿勢で、手にしていたスマートフォンを少し離れたソファへと放り投げる。険しいまなざしで天井を睨んだかと思うと、まもなくムッツリとその眸は閉じられた。フィオーリは機嫌の良い時のほうがレアだが、ここまで不機嫌になるのも珍しいかもしれない。
「どうしたんです?」
アンドレアは腕をのばし、フィオーリの逞しい胸板を一撫でして宥めようとした。その手をぞんざいに払われ、寝返りを打たれて、背中を向けられる。
この男はよくこんなふうになる。
八つ当たりに近い冷たい挙動には、今も馴れずに傷つくのだが…。
フィオーリを背後から抱いてみたが、腕で頭を抱えるようにしている彼はすっかり心を閉ざしてしまっているようだった。
「何があったんです…」
心配になって訊いたものの、黙したままのフィオーリにそれ以上の返事は期待できず、再度寝返りを打ったアンドレアは吐息交じりに目を閉じた。
そのうちいつもみたいに機嫌も直るだろう、そう諦めて眠ろうとした時だった。背後から強く抱き掬われ、その勢いに驚いて目を開けた。
フィオーリは溺れる者が救いを求めるかのように激しく掻き抱いてくる。
(本当にしようのない人だ)
自分勝手で、傲慢で。
人を振り回すことになんのためらいもない。
それでも嫌いになれないのが惚れた弱みだ。
アンドレアは再度吐息した。
しようがないのは実のところ、そんな自分のほうだろう。己のほうが多く愛してしまっているから分が悪いのは仕方がない。どのみちこの油彩画の天才を自分は手放せない。別れを切り出されない限りずるずるとこの関係は続くだろう、そう予感した。
アンドレアは自嘲とも自己嫌悪ともつかない微笑を口元に浮かべ、己を包みこむフィオーリの腕に手を置いた。再び固くなりかけている陽物が尻にあたって甘い気分になった。
「どうしたんです」
「殺される」
ぽつりと言う声がした。アンドレアはきょとんとする。
「冗談を言っているんですか」
ずいぶんこの状況にそぐわない冗談だと思う。
「そんなわけないだろう、本当だ――――くそ…っ」
歯の隙間から絞り出すような声は、冗談にはまったく聞こえない。
「いったい、どういう…?」
甘い気分も一気に吹き飛んでしまう。どういう事情があるのか。突如として聞かされた物騒な言葉に心を乱された。
振り向こうとする体をぎゅっと制される。
今は顔を見られたくないという強い意思が伝わってきて、おとなしくするしかない。
(カストは自分の弱さを人に見られるのが、何より嫌いだから――――)
「何があったんです。教えてください、カスト」
言いようのない不安に駆られてアンドレアは問い続けた。この男の命が危いなど、考えたくもない。
「…頼みたいことがあったんだ、アンドレア」
ようやく答えてくれる気になったのだと、ほっとする。
「ええ、なんだってしますよ、あなたのためなら」
この男の頼みとあれば自分は言いなりになる。死ねと言われれば死ぬだろう。
「僕にできることなら、なんでもします。何か困りごとがあるなら、教えてください」
逸 るアンドレアに対し、しばしためらうような沈黙が落ちる。不意にフィオーリが苦しそうに言葉を発した。
耳元で囁かれた一言を、アンドレアはすぐに理解できなかった。
「すみません、もう一度……」
心臓が鼓動を速めた。聞き間違いで欲しいと思った。
今度は明瞭な声だった。ただ、そこには、黒い澱みに似たおぞましい苦悩が滲んでいた。
「贋作を、描いてほしいのだ、アンドレア」
愕然として振り返ると、フィオーリの蒼褪めた相貌が間近にある。
アンドレアの目をまっすぐに見つめている、その鬼気迫った様子から、本心であることが分かった。
「冗…談、やめてください――――、」
何かの間違いだろうと思った。
一流の絵描きであるフィオーリがそんなことを言うはずがない。むしろ、最も憎悪する行為のはずだ。
一縷の望みをもって呟くと、フィオーリが自嘲気味に喉を鳴らす。
「冗談で済ませられるなら、どんなにいいか」
冷や水を浴びたような衝撃にアンドレアの全身がわななく。
悪夢だろうか。だとしたら、まだ目覚めていないのならば目覚めたい。
いや、違う。
これは侮辱だ。許しがたい現実だった。
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