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5 守るべきもの(5)

 アンドレアは以前から製作を頼まれていたここの仕事を前倒しにして、ミラノへとやってきた。  フィオーリとの気まずさから逃げたい気持ちも正直あったが、むしろそれよりは、一つでも多くの壁画を描いて後世に残したいという新たに湧きおこった野望に背中を押されたのだ。  確かにあの打ち明け以来、本当にフィオーリが殺されてしまうのではないか、自分も殺されるのではないかと不安で、夜も眠れなかったのは事実だ。  しかし存外、フィオーリは元気そうに過ごしていたし、アンドレアに危害が及びそうな雰囲気もなかった。  フィオーリが贋作を描いていることを、アンドレアが誰かに告発などしないだろうと、フィオーリは信じたのだろう。それくらいに、まだ己がアンドレアから愛されているという自信があったのかもしれない。  彼が恐れていたマフィアともうまく折り合いをつけられたに違いない、そう楽観的にアンドレアは考えた。  そう、楽観視したかったのかもしれない。  もし、あの時に自分が他の行動をとっていたら、あるいはフィオーリは殺されずにすんでいたのかもしれないが……。 「サンティ」  茫然と立ち尽くすアンドレアに、シュッティがあらためて声をかける。  アンドレアはゆっくりとシュッティに焦点を合わせた。それだけのことに酷くエネルギーが要った。 「カストはある男と通じていて、大きなトラブルを抱えていたと言われているの。キミは何か、カストからそれらしいことを聞いていない? 死んだ彼の部屋からはすべてのデバイスが消えているのよ。スマートフォンも、タブレットも、パソコンも。犯人によって持ち去られたに違いないわ。おそらく、そこに犯人とのやりとりの跡があった……そう考えられる。彼から何か、トラブルに巻き込まれていたようなことを聞かされていない?」  アンドレアは目を凝らした。  工房で良く知っているはずの教員なのに、まるで初対面のように思える。 「例えばどんなことですか」  アンドレアは慎重に問い質した。シュッティもまた言葉を選ぶように答える。 「例えば、何か、すごく秘密めいたこと。彼が何者かから罠を掛けられて、脅迫されていた――――とか。そうね、例えば、贋作づくりに携わっていた、とか。キミは何か、重大なことを彼から聞かされていなかった?」  贋作。  脅迫。  アンドレアの喉がゴクリと上下する。シュッティの強いまなざしはそんな反応一つ見逃していないように感じられた。  彼女はフィオーリが贋作事業に携わっていたことを知っているのだろうか。アンドレアは、シュッティの本心を見逃すまいとじっと視線で射貫きながら小さく頷いた。 「ありますよ」  あからさまにシュッティが瞠目する。 「やっぱり」  アンドレアはすかさず問い返した。 「それがなんなのです? あなたは警官ではないでしょう。あなたがそんなことを僕に訊く理由はなんですか。あなたは、いったい何者ですか」  執拗な質問にシュッティが肩をすくめる。 「意外と勘がいいのね、キミ」  焦れて顔を顰めたアンドレアに、シュッティが首を振る。 「そうね教えてあげる。本当に、ただの修復家よ。でも今は、一時的にここに協力しているの」  スーツの内ポケットから何やら手帳を取り出す。ひらりと開かれたそこには、イギリス秘密情報部の刻印があった。アンドレアは驚いて穴が空きそうなほどそれを見つめた。 「スパイ、なんですか」 「嫌ね。そんなダサい呼ばれ方」  真っ赤な唇を尖らせて拗ねた顔をする。それから真剣な表情に戻った。 「今から話すことは、誰にも聞かれたくないの。たとえ通りすがりの人間にも。だからここで話したかった。キミは作業する間は人払いをするでしょう?」  それも込みの訪問というわけだ。  それほど重大な秘密なのかと、アンドレアに緊張が走る。 「簡単に経緯を説明するとね」  シュッティは訥々と話し始めた。  イギリスで美術品の贋作について本格的な捜査が始まったのは、数年前からだという。シュッティが美術大学の博士課程で修復の研究をしていた一昨年の秋、突然、イタリアでの捜査官としてMI6から指名がかかった。シュッティの父がイタリア人であるため、母国語である英語のみならずイタリア語も流暢だったからだ。そう話す彼女のイタリア語は、確かにどう聞いても遜色のないものであった。 「MI6はすでに、インターポールと協力しながら世界で暗躍している画商をひとつひとつ潰していたの。近年では、大富豪であるファウスト・タッソという名の男がリストにあがっていた。MI6は、そのタッソの使っていた画家のリストからカストに辿りついたわ。――ところが一昨年の夏頃、タッソが行方不明になった。それで捜査が行き詰まってしまったの。それで美術に精通していて、イタリア語も流暢な私に白羽の矢が立ったわけよ」  シュッティが真剣なまなざしをアンドレアへと縫い留める。アンドレアはあまりの衝撃に相槌さえ打てなかった。 「カストからタッソの情報を聞き出すために、私は彼に近付いた。でもあの人、口が堅くてね。セックスはするくせに、プライベートなことはなんにも話してくれなかった。だから、キミに教えて欲しいの。カストはキミの前で、その男――――ファウスト・タッソという名を口にしなかった? どこにいるのか、とか、何をしているのか、とか……あら、サンティ? ねえ、サンティ! 大丈夫?」  膝の力が抜けて思わずしゃがみこんだ。その肩を掴まれる。

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