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6 暗殺対象(3)

 アレクサンドラから「会って話がしたい」との手紙を受け取ったアンドレアは、驚きのあまり何度も差出人の名前を確認した。  何かの間違いではないかと思ったのだ。  ほとんど初めてという理由だけではなかった。なぜ、自分が今トリノの工房ではなく出張先のミラノにいることを知っているのか、それが不思議だった。  手紙には差出人の名前はあっても住所が記されておらず、待ち合わせの日時と場所が書いてあるだけで、都合の良し悪しの返答のしようもなかった。指定された場所に行くことが返事になる、そんな一方的なやり方だった。  指定された場所は修道院からほどない市民公園だ。待ち合わせ時間は朝六時という早朝だが、それでも他ならぬアレクサンドラに会えるのだと迷うことなく行くことを決めた。  当日は、運よく晴れ渡った空だった。  緑の多い園内は、早朝のためか、ランニングや犬の散歩をさせている者がちらほらといるだけで閑散としている。  アンドレアは池のほとりの指定されたベンチに座り、朝陽をまばゆく反射させている水面をなんとなく眺めながらアレクサンドラを待った。  まさか、こんなふうにアレクサンドラを待つ日がこようとは。  もう一度、胸のポケットから手紙を出して確認し直す。  一生会うことはできないのではないかと思っていたから、唐突に訪れたまたとない機会にアンドレアは胸を高鳴らせていた。 「おはようございます、サンティさん――――」  不意に、目の前で足を止めて声をかけてくる者があった。アンドレアは顔をあげて相手を確認した。  仕立ての良い紺色のスーツに身を包んだすらりとした男だった。初めて見る顔だ。腰まである長いストレートヘアを首の後ろで括り、相貌はかなり美しい。 「…おはようございます」  なぜ声を掛けられたのかと戸惑うアンドレアへと、男は和やかな笑顔を見せる。 「アレクサンドラとそっくりなので、すぐに分かりました。私はリベリオ・ソアーヴェ。残念ながらアレクサンドラが来られなくなりましたので、代わりに参りました」  アンドレアは呆気にとられた。と同時に、アレクサンドラに会えないことに深い失望を覚えた。 「隣に座ってもよろしいですか?」  そう問う声は、穏やかな心地よいテノールだった。 「どうぞ」  困惑するアンドレアを気遣うかのように、男はまた、にっこりと微笑む。  コートを汚したくないのか、ソアーヴェはポケットから取り出したハンカチをベンチに広げ、ゆっくりと腰掛ける。アンドレアは神経質そうな動作の一つ一つを見守った。 「アレクサンドラとは、どういうご関係なのでしょうか」  ソアーヴェが落ち着いた頃にアンドレアが訊ねると、明るい表情で答える。 「長年の友人でもありますし、仕事の同僚でもあります」 「そうなんですね。アレクサンドラは元気ですか」  友人で同僚という言葉に愁眉を開いたアンドレアは、続けて尋ねた。 「元気すぎるくらいに元気ですよ。ただ、今日はちょっと体調を崩しまして」  どれほどの病気なのかと不安になったアンドレアは、急き込んで尋ねた。 「どれくらい酷いのでしょうか?」 「ご心配なく、ただの風邪です」  その程度ならと胸を撫でおろした。  短い沈黙の後で、先に話の本筋に入ったのはソアーヴェだった。 「アレクサンドラからの手紙で、話があると書かれてありましたでしょう?」 「はい」 「あれは実を言うと、私が書いたのです。少々込み入った話をあなたとしたくて。アレクサンドラの名を借りてあなたをここへ誘いだしました。あなたを騙したことには、心よりお詫びを申し上げます」 「――え…?」  急に、話が見えてこなくなった。  つまり、自分をここに誘い出したのはアレクサンドラではなく、元からこの男だったというのか。  急に頭が真っ白になる。 「どういうことでしょう?」 「カスト・フィオーリをご存じですね」  単刀直入に尋ねられて、アンドレアは唖然とする。男の声が一段低くなった。 「画家のカスト・フィオーリです。ご存じでしょう?」  畳みかけられて息を呑んだ。なんのためにこんな質問を受けるのか、訳が分からない。 「――彼は、工房での教師でしたから」  慎重に答えたアンドレアへと、いやいや…と、ソアーヴェは立てた人差し指を苦笑交じりに振る。 「個人的に、です。あなたは彼と個人的な付き合いがあった。それも深い付き合いです」 「……」  これまで面識もなかったこの男は、誰からを聞いたというのか。その声にはどこか挑発するような響きもあり、不審のあまりアンドレアは返答するのをやめた。  男はかまわない様子で続ける。 「彼はつい最近、何者かに殺されましたね。彼と親しかったあなたは何か、個人的な秘密や悩みを打ち明けられたことがあったのではありませんか」  悶々とした感情が込みあがってくる。  (また、カストか――――)   この間はシュッティだった。  そして今、見知らぬ男がアレクサンドラの名を騙ってアンドレアを誘い出し、同じような質問を投げかけてくる。この男も、シュッティのようにフィオーリの関わっていた贋作について調べているのか。  アンドレアはソアーヴェの横顔の上で視線をさまよわせた。張り付けたような微笑を口元に刻んでいる。自分とフィオーリの関係をどこで知り得て、こんな質問を投げかけてくるのか、それも気になった。

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