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推しが鬼軍曹だった件

 公文書庫の管理官というのは、前世で言うところの窓際職とも言える。  各部署から保管に回された公文書を整理し、目録を作成し、求めに応じて必要な文書を探して閲覧や写しを許可する。また、保管期限を過ぎた文書の廃棄を指示するのも、仕事の一つだった。  ほとんど考えることなく、慣例通りに動いていれば片付いていく。仕事が遅れたからと言って、誰かに文句を言われるわけでもない。第3王子に形ばかりの肩書きを与えるための閑職であることは明らかだ。  おかげで、考える時間だけはたっぷりあった。  舞踏会の一件以来、暇を見つけては前世の記憶を手繰り寄せ、『王太子に婚約破棄されたら、弟殿下の独占愛に囚われました』の内容も、おおよそ一通り思い出すことができた。  そこには、12年前の事件が大きく関わってくる。  第三王子である俺には今の王太子以外に、もう一人、兄がいた。母親違いの兄で、当時の王妃が産んだ第一王子である彼が、当時の王太子だった。けれど、12年前に、その兄は亡くなっている。  毒殺だと言われていて、第一王子の側近だったカインの実父――ノヴァリオ侯爵が、毒殺の首謀者として処刑された。動機は、たしか王太子宮の経費を横領していて、そのことを王太子に咎められたからだった。  王太子弑逆は、本人だけでなく妻子にまで死罪が及ぶほどの大罪だった。  地方の所領で暮らしていたカインの母親は、夫の罪と、自分たちにも処罰が及ぶことを知り、カインのことを夫の親友だったアルベール公爵に託す遺書を残して、自ら毒を飲んだ。  当時12歳だったカインは貴族としての身分を失い、修道院に入れられるはずだったが、彼の精神状態を心配したアルベール公は彼を自身の屋敷に引き取り、病死した子供を身代わりにして彼も毒を飲んで死んだことにした。  事件のほとぼりが冷めた頃に自身の養子として戸籍に登録した。ただ、素性を勘繰られないために、世間的にはかつての使用人が産んだ自身の子ということにしてある。  そんな彼の生い立ちを思い出し鬱々とした気分で日々を過ごしていたところ、舞踏会からきっかり一週間後に、希望が通り、カインが剣術指南役として出仕してきた。 「……力を抜いてください。肩に余計な力が入っています」  背後に立ったカインが後ろから俺の肘を持ち上げ、木剣を正しい位置へと導く。 「剣先が震えていますよ。どうして真っすぐ剣を構えることもできないのですか?」  口調は慇懃だが、声は冷ややかで厳しい。  背中と胸、お尻と腰が触れる程に距離が近く、耳介を吐息に擽られ、彼の体温を背中に感じる。マントの中の密談以来の急接近に、最初こそ動揺したが、すぐにそれどころではなくなった。  本より重い物を持ったことのない俺にとって、木剣を構えることは拷問にも等しい。ぷるぷると震える筋肉に必死に力を込め、姿勢を保持するだけで精一杯だ。 「話をするだけなら、人払いして部屋で話せばよかったんじゃないか?」 「私が剣術指南を拝命したのに殿下がまともに剣を構えることもできないのでは、陛下に申し訳が立ちません」  渾身の泣き言は、にべもなく一蹴された。  舞踏会の夜、カインを剣術指南役に指名することを思いついたときは、妙案だと思った。彼と会う口実ができるし、小説の展開を考えたら俺も剣術を身につけておいたほうがよい。けれど、まさか彼がこれほど鬼軍曹だったとは。 (くっそー。小説には書いてなかったよな? 俺が覚えてないだけなのか?)  読みこんだはずの小説に裏設定があったことを、死んで初めて知ることとなった。 「では続いて中段の構え(プフルーク)。……切っ先を下げてどうするんですか。殿下は剣で中庭を耕すつもりですか?」 「なわけないだろう!?」  カインがこんな嫌味なキャラだということも、小説からは読み取れなかった。 「それだけ大きな声が出せるのなら、まだ大丈夫ですね。ほら。腰が引けていますよ。腹に力を入れて」  両側から腰を支えられ、下腹部を押される。  前世なら、「セクハラ!」と叫んだところだが、ここは前世の常識の通じない異世界だ。  王宮の奥まったところにあるこの中庭は、庭というより四方を城壁に囲まれた袋小路のようなスペースで、入り口が一つで人目につきにくい。日当たりが悪く雑草さえほとんど生えておらず、硬い土の地面が露出している。  子供の頃、図書室の窓から外を見下ろして、この場所を知った。ここなら、護衛の兵を入り口に待たせておけば、話し声は届かない。剣の稽古をしながら密談もできると思ったのだが、考えが甘かった。 「ちょっと待って。これ以上は本気で無理。一旦休憩……」  言った傍からついに腕が耐えきれなくなり、剣先がぐらりと下がる。その重みでバランスを崩しふらついた身体を、咄嗟に伸びてきた腕に支えられた。 「倒れる前に言ってください」 「倒れるつもりはなかったんだよ。ちょっとよろめいただけだ」    虚勢を張ったものの、カインは俺の背中から手を離さず、ゆっくりと地面に座らせようとする。 「あ、ちょっとお待ちください」  途中で動きを止め、自身のマントの留め具を外してマントを脱ぎ、地面に敷いた。 「この上にお座りください」 「馬鹿! 騎士のマントの上に座れるか!」 「殿下の衣を汚すわけにいきません」 「衣は洗えばよい」 「マントも洗えばよいです」 (あーーーもう! ああ言えばこう言う!) 「とにかく、王子命令だ! そのマントを退けろ!」 「では、殿下が座れる場所は私の膝の上しかありませんが、それでよろしいですか?」 (いいわけないだろーーー!!)  近くに護衛の兵がいなければ、絶叫していただろう。  俺はカインの腕を振りほどき、マントの敷かれていない地面に自ら尻を落ち着けた。  これでどうだ! と言わんばかりのドヤ顔で見上げると、切れ長の目が一瞬丸くなる。  はぁ、とこれみよがしに嘆息されたが、マントに座らせることは諦めてくれたようだ。 「急に体が冷えると風邪を引きますので、これをかけていてください」  マントを拾い上げ、俺の肩に羽織らせる。 「あ、ありがとう」  今度は素直に礼を言った。  目元をわずかにやわらげ、膝が触れ合うほどの近さにカインも腰を下ろした。距離が近いのは、話をしようとする俺の意図を察したからだろう。  稽古の間は忘れていた緊張がぶり返してくる。それを悟られぬよう、腰に提げていた手巾で汗を拭い、呼吸が落ち着くのを待った。  中庭の入り口に立つ二人の護衛兵は、侵入者を警戒して二人とも外を向いていて、こちらには気を留めていない。ぐるりと周囲の城壁を見回したが、窓に人影もないようだ。   「先日の話……、信じてくれたか?」  潜めた声で、話を切り出した。 「殿下がお生まれになる前の世界で……、という話ですよね? 正直、全てを信じたわけではないですが……、舞踏会の夜に、殿下が我が妹のレモン水をいきなり取り上げたことは、やむにやまれぬ事情があってのことと信じましょう。冷静になって思い返してみても、あの一件で殿下の得になることは何も思い浮かびませんでしたので」  立てた両膝に視線を落とす横顔は、稽古中の鬼軍曹とは打って変わって、葛藤が垣間見えた。 『信じましょう』とは言ってくれたが、未だ疑念のほうが強そうだ。想定内のため、落ち込みはしなかった。 「それを信じてくれただけでもありがたい。だが……、俺はあれで終わりではないと思っている。今回は媚薬だったが、12年前に第一王子を弑した黒幕がクラウス伯爵なら、セレナ様が兄上の婚約者でいる限り、今後は命を狙われる可能性が高い」  不穏な話題に、カインは顔を上げ、探るような視線を向けた。 「俺が前世で得た知識では、舞踏会でセレナ様があのレモン水を飲んでいた場合、ヴィオラの陰謀によって兄上との婚約を破棄されるんだ。その後はヴィオラが兄上の婚約者になった。ただ、そのお陰で、セレナ様はそれからしばらくは命を狙われずにすんだ」 「『しばらくは』というと、結局は命を狙われるのですか?」  少なくとも興味は持ってくれたようだ。想定していた質問に、来たか――と秘かに気を引き締める。  首を少し傾け、見上げる角度で彼の目を見据えた。 「ヴィオラが兄上の婚約者になった後、クラウス伯爵は王太子妃の父親という立場を嵩に着て、宮廷や軍部で力を持つようになった。公爵に爵位が上がり、最終的に国務卿にまで昇りつめたんだ。そして隣国、カスパラーダへの進軍を主張し始めた。俺とセレナ様はそれを阻止するために、伯爵の不正の証拠を集めて断罪しようとした。しかし、それに気づいた伯爵に命を狙われることになった」  カインがセレナを庇って命を落とすことは悟られぬようにしたい。カインの名を出さないよう注意を払って喋りながら、カイン自身のことを訊かれないか気を揉んでいた。  すぐに信じられるような話ではない。カインはしばらくの間、口を噤み、何事か考え込んでいた。  やがて重々しく口を開く。 「12年前の論争でも……、クラウス伯爵は主戦派の筆頭だったと義父(ちち)から聞いています」  その話は、議会の記録を調べて俺も多少の知識は得ている。  12年前、隣国の王が病に倒れ、跡目争いが内乱に発展した。その混乱に乗じて、戦争を仕掛けようとする動きがあった。農耕と牧畜を主産業とする隣国には、手つかずの鉱山が豊富に残っている。その鉱山資源や他国民を奴隷にすることを目的に、侵略を画策する宮廷官僚は、昔から一定数存在する。  結局は俺の母親違いの兄である当時の王太子が毒殺されたことで、喪に服すために主戦論は立ち消えになったらしい。 「もし、その話が本当で、伯爵が王太子の外戚となり権力を持ち得たなら、12年前の論争が繰り返されただろうことは想像できます。……ですが、本当に、殿下が伯爵の断罪のために奔走されたのですか?」  セレナの名前を出さず、『殿下が(・・・)』と限定したのは、俺がそんなことをしそうなキャラには到底見えないからだろう。  訝しむ気持ちはよくわかる。俺も、小説の内容を思い出したときは、「あのエドワードが俺!?」と頭を抱えたから。 「俺だけど、俺じゃない」 「――は?」  矛盾した答えに、カインが片眉を吊り上げ、表情を険しくする。 「あ、いや、えっと……。うーーーん」  どう説明したものか。横髪を両手でガシガシ掻く。 「前世で俺が知ったこの世界に関する知識は……。おそらく、俺が生まれ変わる前の世界なんだ。だから、その中の俺は、俺であって俺じゃない。そのときのエドワードは今の俺とは違って、もっと正義感が強く、男気があって、剣の腕も今よりはずっとマシだったんじゃないかな……」 「……はい?」  全く意味が分からない、といった表情を返される。まぁ、そりゃそうだよな。  言うほど、俺も小説の中のエドワードについては、あまり覚えていないのだ。なんせカインが推しで、カインを主人公にした二次小説を書きまくっていたから、小説の内容と妄想もごっちゃになってしまっている。  ただ、婚約破棄された令嬢に手を差し伸べて、宮廷に巣食う梟雄(きゅうゆう)と対峙し、最後は兄までも失脚させて王太子に取って代わった人間が、自分と同一人物とは到底思えないだけだ。 「その辺はどういうシステムになっているのか俺もよくわかんないから、『元エドワード』と『今エドワード』で区別して考えてもらっていいよ。ただ、少なくとも俺が前世で知ったこの世界では、元エドワードが伯爵の断罪のために奔走したことは確かだ」 「はぁ……」  首を捻り、カインは曖昧に相槌を打った。 「――で、俺が一番言いたいのは、今回は舞踏会でのヴィオラの陰謀を阻止し、婚約破棄されなかったことで、セレナ様の身に危険が迫っているってことだ。それで、提案なんだが……、クラウス伯爵を断罪するまでは、セレナ様に王宮で過ごしてもらってはどうだろうか……」  アルベール家は名門貴族だが、都の治安が良いため、他の貴族同様、屋敷に常駐させている護衛はそう多くないだろう。王太子が毒殺されて以降、王族の警護や毒見はかなり強化されているため、実家にいるよりは王宮のほうが遥かに安全と言える。  兄も母もおおらかな性格なので、婚約者であるセレナに身の危険があると言えば、許可してくれるはずだ。  返事はなく、俺は声のトーンを落とし言葉を畳みかけた。 「気持ちはわかるよ。愛する人を他の男の元には預けたくないよね。でも、今は緊急事態だから。俺たちが協力し合って、12年前の王太子暗殺の黒幕がクラウス伯爵だと証明できたら、君は実父であるノヴァリオ侯爵の爵位を継げる。父上も褒美として君の望みを叶えてくれるはずだ」  カインがアルベール家の庶子のままでは、彼とセレナは半分血の繋がった兄妹のため、婚姻はできない。カインの実父の冤罪を晴らせば、彼が処刑されたノヴァリオ公の実子であったことを明らかにして、侯爵家であるノヴァリオ家を再興できる。セレナに求婚できる地位を得るわけだ。  そして、王太子毒殺の首謀者を突き止めたことをカインの功績にして、彼が長年、セレナに思いを寄せていたことを兄の耳に入れる。きっと優しい兄のことだから、彼の功績への褒美として、セレナとの婚約を解消してくれるのではないだろうか。もちろんその前に、セレナの気持ちを確認する必要はあるけれども。  そのようなことをほのめかしたつもりだった。――しかし。 「私は爵位に興味はありませんし、特に望みもありませんが」  今度は若干迷惑そうな顔で、即答だった。……うん。照れ隠しかな? 「あー。そっか。そうだった。君はそういう人だったね」  小説の中で、カインがセレナを庇い、命を落とす間際に言った言葉を久々に思い出した。 『我が命より大切なお前を守れたのだから、本望だ』  条件反射で目頭が熱くなる。  そうだ。彼が望んでいるのは、愛する人の無事だけだ。血が繋がらない事実を明かして義理の妹を妻にしようなどとは、微塵も思わない人だった。例え秘かな願望を抱いていたとしても、王太子の弟である俺に言えるはずがない。 「望みについては、無事に伯爵を断罪できた後でじっくり考えたらいい。父上も兄上も、無碍にはしないはずだから」  訳知り顔で彼の肩をぽんぽんと叩き、俺は「それはともかく……」と話題を変えた。 「二人きりのときは敬語はやめてくれないか? 君の方が年上なんだし。呼び方も、『エド』でいい。俺も、カインと呼ばせてもらう」  唐突すぎたのか、カインは面食らった顔をしている。――いや、思い返せば、先程の「爵位に興味はありません」くらいから、既に話についていけてない様子だった。 「い、いや……、何故? 何故、私が殿下を愛称でお呼びし、対等な口をきかねばならないのですか?」  推しに敬語で話されるのがどうにも落ち着かないというのが理由だが。『推し』と言ったところで意味がわからないだろう。と、瞬時に判断し、苦し紛れの言い訳を口にする。 「と……友達になってほしいんだ。俺、今まで、友と呼べるような人がいなかったから……。友なら、愛称で呼び合うし、対等な口をきくだろう?」  前世でも言ったことのない台詞だ。実際口にするとめちゃくちゃ恥ずかしい。顔が赤くなるのがわかる。 「友…………ですか…………」  困惑した様子で、カインは顎を指でさする。 「二人きりのときだけでいいから……駄目かな?」  上目遣いで懇願すると、たっぷり時間をかけて、最後は「わかりました」と渋々頷いてくれた。 「それで……、どうやってクラウス伯爵を断罪するのです……するんだ? 12年前の事件の黒幕が伯爵だとして、証拠はあるので……あるのか?」  無理にタメ口で話そうとする所為か、カインの口調がしどろもどろになる。笑いを噛み殺して答えた。 「今はない。ないから探さなければいけない」  「どうやって?」と視線で問われる。 「12年前の事件について、俺も書庫で宮廷裁判の記録を探したんだ。だが、何故か兄上の暗殺に関する文書だけがきれいに消えてしまっていた。管理する役人に訊いたが、なんせ12年も前のことだから、いつ無くなったのかもわからないという。君は、あの事件について、アルベールの御父君から何か聞いていないか?」  「いや――」とカインは首を横に振り、顔をそっと正面へ向けた。 「事件のことは……両親の死のショックが強く、よく覚えていない。ただ、どうしても父上がそのような大罪を犯すとは思えなくて、これまで何度か義父に真相を訊ねたことがある。だが、そのたびに、あの事件のことは忘れろとしか言われなかった……」  中庭の入り口を見つめる横顔には、先程まではなかった暗い翳りが差している。  父親が大逆罪で処刑され、母親はその前に自ら毒を煽って亡くなっているのだ。二人の死が彼の心に深い傷痕を残していることは、容易に想像できた。  それ以上見ていられなくなり、彼の視線の先へと目を向けた。 「前世で得た知識によると、第一王子は、教育係のノヴァリオ侯爵と自室に二人きりでいるときに、突然嘔吐しはじめ、侍医が駆けつけたときには呼吸が止まっていたようだ。当時、王太子付きの近衛隊長であったクラウス伯爵が近くにいて、騒ぎを聞きつけて衛兵と共に駆けつけた。兄上を診察した侍医が、「おそらく毒が原因です」と発言したため、伯爵はノヴァリオ侯爵の身柄を拘束した」  相槌はなかった。息づかいから緊張が伝わってくる。  俺はなるべく感情を込めずに、淡々と話を続けた。  ノヴァリオ侯爵が犯人とされた決め手は、捕らえられた侯爵のポーチから出てきた小瓶だった。残っていた少量の液が毒と判明したことから、それが決定的な証拠となった。それと時を同じくして、第一王子の名前で王家の財産が横領されていた事実が発覚した。その結果、侯爵が王家の財産を横領していて、第一王子にそれを知られたことで毒殺に至った、という筋書きが出来上がった。  前世の記憶を手繰り寄せて得たそれらの情報を、要点をかいつまんで説明した。  当時の俺は8才で、母親の異なる長兄のことはほとんど記憶にない。ただ、いつも穏やかで優しい人だったことは、なんとなく覚えている。古株の侍女に訊いても、決して人から恨まれるような人ではなかったと言っていた。 「俺の前世の知識が正しければ、毒殺事件の関係者のうち、お茶を運んだメイドと衛兵の一人は既に亡くなっているはずだ。おそらくそいつらが、毒を仕込んだ犯人と騒ぎに乗じて侯爵のポーチに毒瓶を忍び込ませた犯人と見て間違いないだろう。二人は事件の後にクラウス伯爵から金を受け取っている。確かメイドのほうは、娘の嫁入りの持参金にして、衛兵のほうは、妹が重い病で、その薬代にしたはず。事件の直後に事件関係者の家族がクラウス伯爵から金を得ていた証拠を掴めれば、伯爵を疑う材料になる」  これは小説の中で、エドワードとセレナが調べていた記憶がある。  メイドと衛兵の名前までは思い出せなかったが、この一週間の間に信用のおける侍女を使って調べてもらったところ、兄の事件の直後に宮廷を去ったメイドについては、身元が判明した。衛兵のほうも、カインに宮廷騎士団の名簿を調べてもらえば、該当する人物を拾い上げることは可能だろう。 「それで、そのメイドが娘を預けていた教会があるから、近いうちにそこに話を聞きに行こうと思うんだ。一緒に行ってもらってもいいかな? 気が進まないなら、俺だけで行くけど」  その瞬間、カインがバッと音がするほどの勢いでこちらを見て、目を剥いた。 「話を聞きに行くって……、まさかお忍びで城外に出かけるということか?」 「うん。元エドワードもそうしてたし」 「それで命を狙われることになったんだよな?」 「それは表立って行動してたからだよ。フードをかぶって顔がわからないようにして、衛兵に見つからないようにこっそり王城から抜け出せば、大丈夫だ」 「大丈夫なわけあるか! 王子の身に何かあったらどうする!? 話は俺が聞きに行くから、殿下……エドは王宮にいてくれ」  思わぬ反対に合い、ぐぬぬと唇を噛む。  カインの言うことはもっともだが、前世の記憶を取り戻してからというもの、城の外に出てみたいという欲求が高まっていた。  せっかくこの世界に生まれ変わったのだから、王宮だけでなく、都の様子や庶民の暮らしも見てみたい。陰謀の証拠探しは、どちらかというとお忍びで外出する口実に過ぎない。 「えっと……、それでは意味がないんだ。俺は前世で、この世界に関して何か大事な情報を知っていた可能性がある。関係者から俺が直接話を聞くことで、色々思い出せるかもしれない」  カインは暫く押し黙っていたが、やがて諦めたように、はぁ、と深い溜め息をついた。 「ならば、まずは陛下の許しを得てくれ。あと、必ず、俺以外にも、腕利きの護衛を3人はつけること。それから……」 「まだあるのか?」  鼻白んで口を挟む。 「せめて防御の型は取得してくれ。外出はそれからだ」 「ぼ、防御の型……?」  思わず頬が引き攣った。  聞いただけで何かヤバそうな予感がする。 「相手の攻撃を横に弾くパリィ。刃で受け流すハンギングガード。はたき落とすビート。それから、身体を引いたり、横に避けて攻撃を回避する……」 「わかった! もうわかったから……」  指を折りながら説明するカインの話を、途中で遮った。 「やればいいんだろ!」  やけくそで若干涙目になっている自覚がある。 「こちとら、推しの誕生日に間に合わせるために、日中仕事しながら3日徹夜で5万字の中編小説書いたことだってあるんだぞ! 防御の型がなんだってんだよ!」  ヤケになり過ぎて、前世のしょうもないオタクエピソードを披露してしまった。  目を白黒させていた男が、次の瞬間、ぷっと吹き出す。  声を堪えて肩を震わせ始めた推しに、今度は俺の方が、呆気に取られる番だった。 (カインって、こんなふうに笑うんだ……。というか、笑われる要素って、何かあったか?) 「ちょっと、なに笑ってんの!?」 「いや……、舞踏会のときも思ったけど……。殿下……エドって……、王子のくせに猪突猛進すぎると思って……」  もしや彼の言う「猛進」は、「盲進」に近いのではないだろうか。自分でも、闇雲に突っ走っている自覚はある。舞踏会の夜も、何の策もないままセレナに突撃してしまった。 「別に……今まで剣の稽古をサボり過ぎてたから、たまには真面目に頑張ろうと思っただけだよ。それに、普段はおとなしく本を読んでるのがテンプレだ」 「推しとかテンプレとか、それも、前世で覚えた言葉なのか?」  笑いの波の引いたカインは、それでも、目元にやわらかさを残していた。  初めて見る優しい表情に、それはそれで気恥ずかしさを覚える。  そっぽを向いて、「そうだよ」と答えた。  『推し』の意味を訊かれたらどう説明しよう。と内心ドキドキしていたが、それは杞憂に終わった。 「エド……。一つだけ、約束してほしい」  打って変わって真剣な声に、視線を引き戻される。 「とにかく、絶対に危ないことはするな。もし、実の父が冤罪だとして、甘んじて処罰を受けたのは、王太子殿下を守りきれなかったことに責任を感じたからだと思う。この上、その弟君に何かあれば、俺は死んで詫びても父に許してもらえない」 「大丈夫だよ。俺を殺したところで得をする人間はいない」 「だが、もし、お前さんがクラウス伯爵を断罪できる証拠を掴んだら、話が変わってくるだろう? 本当に第一王子殺害の黒幕が伯爵なら、相手が王子だからと容赦はしないはずだ」 「俺は怖がりだし自分が一番可愛いから。危ないことはしないよ」  それでも彼が憂い顔を崩さないので、俺は片方の手を上げ、小指を立てた。 「俺が生まれる前にいた世界では、約束するとき、小指を絡めるんだ」  戸惑うそぶりを見せつつも、視線に促され、カインがおずおずと小指を絡める。 「必ず、生きて推しの幸せを見届けると約束する」  またそれか、と呆れた顔をする男に、ふふっ、と笑って見せ、前世の記憶にある懐かしい歌を口ずさんだ。

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