6 / 13

吉と出るか凶と出るか

 自室に戻ると、まずはヴィオラに手紙を書いた。  『詳しくは記せぬが』と前置きし、カインが任務で辺境に行くことになったため、見聞を広げるべく同行することにしたことや、御父君と共に道中の安全を願っていてほしい、といった内容をしたためた。  そうすれば、俺がカインに同行していることは伯爵に伝わるはずだ。  従者には、「昨日のうちに届けるよう命じられていたが、忙しくしていて、つい今日になってしまったと伝えよ」と言い含め、クラウス伯爵邸へ手紙を届けるよう命じた。  その後、厨房へ行き、日持ちのする食料とクルミの殻を麻袋に詰め、急ぎ旅支度を整えた。  近頃は二日に一度の頻度で、学院から帰った後、乗馬の練習のために王宮の麓にある騎士団の牧場へ通っていた。門衛ともすっかり顔見知りだ。日は既に西の空に傾きつつあったが、特に不審がることもなく城門を通してくれた。  牧場で馬を借り、日が落ちるまで駆け続け、その夜は王都の宿に逗留することとなった。  生まれて初めての旅路に同行しているのは、兄上が選んでくれた五人の〈影〉だ。  五人とも武術の才を見出されただけあって、体格に恵まれている。一堂に会せば、かなり物々しい。俺だけが浮いてしまい、「身分の高い人物とその護衛」という構図が際立ってしまう。そのため、リーダー格の一人とだけ行動を共にすることにし、他の者たちはたまたま同じ方向へ向かう無関係の旅人として、付かず離れずに動いてもらうことにした。  リーダー格の男は、名をセルペンスという。  もっとも、それは本名ではなく、〈影〉に入隊後に与えられたコードネームのようなものらしい。〈影〉は孤児や身寄りのない者たちで構成されており、在籍中は本名を名乗ることを許されず、外部との接触も完全に断たれる。あたかも実体のない影のような存在であることから、その名がつけられたのかもしれない。  セルペンスは五人の中でも最も線が細く、東洋風の顔立ちをしており、癖のないダークブラウンの髪を後ろで一つに束ねている。黒のチュニックに、剣を隠すための質素なマントを纏った姿は、学者風に見えなくもない。宿で何か尋ねられたときは、「故郷へ里帰り中の学院の教師とその従者」と名乗るよう、事前に打ち合わせていた。  それ以外の〈影〉の者たちも、商人や護衛に扮しており、それらの旅装は急ぎセレナが用意してくれたものだった。  出立を決めてからずっと慌ただしく、セルペンスと腰を落ち着けて話ができたのは、宿に入り、遅めの夕食を食べ始めたときだった。 「セルペンス、君も北方出身なのだろう? 生まれは北方のどの辺りなんだ?」  毒見のためにセルペンスが先に試食するのを待つ間、手持無沙汰に訊ねた。宿の食堂は酒盛りをする泊り客で賑やかで、小声で会話をする分には誰かに聞かれる心配はない。  彼は毒や薬草の知識に長けており、それが今回の護衛隊のリーダーに選ばれた最大の理由だった。  毒見はいらないと言ったのだが、確認するまで待つように言われて、蛇のような鋭い眼差しに逆らえなかった。毒でなくとも、俺のような温室育ちの人間が食せば腹を壊すような食事が、巷にはあるらしい。 「私は、ヴァルトシュタイン辺境伯領の国境近くの村の出身です」  ライ麦パンに豆と野菜のスープ、羊と思われる煮込み肉。それらを全て試食してから、セルペンスは落ち着いた口調で答えた。「どうぞ」と促され、俺もスプーンを手に取る。 「なぜ、『影』に入ることになったのだ?」  続く質問に、セルペンスは食事の手を止め、顔を上げた。 「任務以外の余計なことは話すなと教えられております」  確かに、〈影〉の者たちは、表舞台で活動する騎士たちに輪をかけて、必要最低限の言葉しか発しない。  城にいたときも常時二人が俺の護衛についていたが、常に一定の距離を取り、目につかない場所に控えているため、名前すら知らなかった。 「任務に関することだ。俺はヴァルトシュタイン辺境伯領について、ほとんど何も知らない。事前に知っておけば、この先何か役に立つこともあるかもしれない。君が知っていることがあれば、何でもいいから教えてほしい」  生まれ変わってなお、俺は物語の世界が好きな引きこもりで、学院で習う以上のことに興味を持つことはなかった。  ルヴァール帝国の台頭も、〈影〉が孤児や身寄りのない者たちで構成されていたことも、兄上から聞いて初めて知った。選挙で投票するくらいしか政治と関わることのなかった前世と違い、王子がただの二次オタでは駄目なのだと、今は思い始めている。 「私が生まれ育った村は、ヴァルトシュタイン辺境伯領の北の端にあり、先祖は代々土地を耕し暮らしていたと聞いております。 しかし、度々、ルヴァール帝国から傭兵が押し寄せ、それらが盗賊化して村を襲うようになったため、田畑は荒れ果て、私が幼い頃には、もっぱら山で狩りをし、木の実や草の根を口にする日々を送っておりました。薬草を採って街に売りに行っていたので、毒や薬草の知識はその頃に覚えたものです」 「そうだったのか……」    訥々と語られる言葉からは、悲壮感や恨み言は一切感じられなかった。  それでも、後ろめたさから、俺は手元のスープに視線を落とした。  これまで、我が国は戦のない平和な国で、民は皆、平穏に暮らしていることを疑うこともなく、王宮でのうのうと贅沢な暮らしをしていた。現状を知ろうともせず、虚構の世界に生きられたらいいなどとよく言えたものだと、今は恥ずかしく思っている。  父が兵士に取られていなくなり、まもなくして、母も病で亡くなり、セルペンスは空腹のあまり山を降り街をさ迷っていたところを保護され、教会の孤児院で暮らすことになったそうだ。  山での暮らしより多少はマシだったが、孤児院も、決して人が生きるのに適した場所とは言えなかった。大きな戦でなくとも、国境では絶えずルヴァール帝国の傭兵や盗賊との小競り合いが続いている。戦は人だけでなく金も必要とする。  今回初めて知ったのだが、ヴァルトシュタイン辺境伯領に常駐している第七騎士団は、騎士たちの俸給は国から支給されるが、食料やその他の軍営の維持費は、ヴァルトシュタイン辺境伯が負担しているらしい。  戦が激しくなるほど、戦で両親を亡くしたり、貧しさから路頭に迷って孤児になる子供たちは増える。かと言って孤児院の予算は限られているため、毎日、食事は奪い合いに近かったそうだ。 「幸いにも、私は孤児院の子供たちの中では、物覚えがよく、俊敏なほうでしたから。ヤーゲル様に見出していただき、『影』に入ることができました。『影』の訓練も決して楽ではありませんでしたが、食べるものに困らないだけ、教会にいた頃よりは人間らしい暮らしができておりました」 「ちょっと待て。今、ヤーゲルと言ったか?」  聞き捨てならない言葉を耳にし、思わず顔を上げた。  ヤーゲルと聞いて思い浮かぶのは、獅子のような目をしたあの男だ。ニコラス・アウフ・ヤーゲル。 「ヤーゲルとは、今の王太子付きの近衛隊長のことか?」 「あ、はい。今は男爵になられましたから、ヤーゲル公とお呼びしなければいけませんでしたね。当時は第七騎士団の副団長をしておられました」  セルペンスは、俺が「ヤーゲル」の名前に食いついたことを、特に気に留める様子はなかった。 「何故、ヤーゲル公がお前を見出したのだ?」 「私も、そこの事情は存じておりません。ただ、北方出身で『影』に入った者のほとんどが、ヤーゲル公から推薦状や旅費をもらって、『影』の試験を受けております。公自身も、両親を早くに亡くし、貴族の下働きをしていたところをクラウス伯爵に見出されて騎士団に入られたため、同じことをなさっているのではないでしょうか」 「そう……なのか……。だが、そうすると……、お前たちはヤーゲル公の息がかかっているということか?」  動揺のあまり、つい軽率な発言をしてしまった。  息がかかっている者が、「息がかかっています」と言うはずがないのに。  セルペンスは、わずかにムッとした顔をし、蛇のような眼差しを一層強めた。 「もちろん、ヤーゲル公には感謝しておりますが、公のために我々が動くことはありません。我々が忠誠を誓うのは、国王陛下のみです。『影』の隊費は、陛下の財産から賄われていると聞いております。死んだほうがマシな暮らしをしているときに手を差し伸べてくださった方への恩義を、一生忘れることはありません」  セルペンスの力強い言葉に、ホッとしつつ、一方で、苦々しいものが胸に広がっていくのを感じていた。  ニコラスも、きっと彼らと同じなのだろう。死んだほうがマシな暮らしをしているときに手を差し伸べてくれた人への恩義を、一生忘れることはない。  その話を聞いて、小説の内容で一つ思い出したことがあった。  ヴィオラがセレナに媚薬を盛って、彼女を襲わせようとしていた地方の男爵。その男爵というのも、ニコラスのことだった。  翌朝は夜明けと共に宿を出るつもりだったが、想定外の問題に直面した。 「エドワード様。いいかげん諦めてお乗りになってください」  宿の前の路上には、二人乗りの二輪馬車が止まっている。一頭引きで、昨日、俺が乗っていた馬に馬車が繋がれ、荷台に座ったセルペンスがげんなりした顔で手綱を握っていた。 「今日中に追いつけなくてもよいのなら、それでもいいですが」  突き放すような声に追い打ちをかけられ、俺は渋々足台に乗り、馬車へと乗り込んだ。俺の背後にいた〈影〉の一人が無言で足台を片づける。  今日から俺とセルペンスだけ馬車での移動になったのは、俺のせいだった。朝起きたら、めちゃくちゃ筋肉痛になっていたのだ。特に足がヤバい。馬に乗るどころか、まともに歩くことすらできなかった。なんせ二時間近く馬を駆けさせたことはなかったし、それだけの時間、運動したのも初めてだ。  そこで、急遽、〈影〉の一人が馬車を調達してきてくれて、俺とセルペンスは馬車で移動することになったのだが。遅れてきたヒーローよろしく、馬を駆けさせて、カインの前に颯爽と登場したかった俺としては、面白くない。 「では、参ります」  セルペンスが軽く鞭を使い、馬は歩き出した。街並みが背後へと流れていく。  太股に力を入れなくても前に進めるのはありがたかったが、すごく快適な旅路になったかというとそうでもなかった。  市民街の石畳はあちこちにひび割れやくぼみがある。  常に車体がガタガタと揺れるし、くぼみに車輪を取られるたびに、大きく跳ねあがる。  馬が軽く駆けはじめると、さらに衝撃が増した。揺れに合わせて体が前後に振られ、油断すると尻が座面から浮きそうになる。手綱を握るセルペンスは慣れた様子で平然としているが、俺は座席の縁にしがみつくのに必死で、これはこれで明日は腕が筋肉痛になりそうだった。 「足を縛り付けでも馬に乗ればよかった」  思わずこぼれたぼやきも、馬の足音と車輪のきしみにかき消される。  とは言え、振動に無理に抗わず、揺れに合わせて力を抜くコツがわかってくると、それなりに周りの景色に目を向ける余裕もできた。  以前にお忍びで王都に出かけたときと同様に、やはり都で暮らす人々は、裕福とは言えないまでも、それなりに安定した暮らしをしているように思える。どの家も小さいながらもよく手入れされていて、見かける人々は血色がよく、物乞いの姿も見かけなかった。  やがて家々がまばらになり畑や林が増えてきて、石畳の舗装が途切れ、土の道へと変わった。都全体を囲む外郭門は、昼間なら許可なしで自由に出入りできる。門をくぐり振り返ると、高くそびえる尖塔が朝陽に照らされ、黄金色に輝いていた。  都を出ると、延々と続く道の両脇には、穀倉地帯が広がっていた。収穫を間近に控えた秋撒きの小麦が、青々とした緑の中に淡い金色を混じらせ、風が吹くたびにさざ波のように揺れ、初夏の日差しをきらめかせている。  ちらほらと畑仕事をする農夫の姿を見かけ、時折り、行商人らしき馬車とすれ違う。  やはりここでも、同じ国の中で、絶えず隣国からの簒奪に苦しめられ、子供が路頭に迷って食料を奪い合う場所があるなどとは夢にも思わないような、のどかな風景が広がっていた。  ヴァルトシュタイン辺境伯領へと続くこの道は、小説の中のエドワードも通っている。  第一王子の毒殺の際、ノヴァリオ侯爵に罪をなすりつけるために、侯爵のポーチに毒瓶を忍ばせたと思われる衛兵が、クラウス伯爵から金を受け取った後、第七騎士団へと異動になっていた。任務で命を落としたとされるその騎士の死が、本当に戦によるものかを調べるために、セレナやカインと共にヴァルトシュタイン辺境伯領へと向かっていたのだ。  結局はその途中で、クラウス伯爵の差し向けた賊に襲われてカインが命を落としたため、騎士の死の真相を明かすことはできなかった。  小説の中のエドワードは、初めて目にする風景にセレナと一緒にはしゃいでいたが、セルペンスの生い立ちを聞いた今は、そんな気分にはなれなかった。  セルペンスが前日に乗っていた馬は、荷物だけ乗せて他の〈影〉の者が引いていた。  軽い駆け足と並足を繰り返しながら間で三度休憩を挟み、そのつど馬を換え、その日の日暮れ時になってようやく、カインの部隊に追いついた。  カインはリューベンという都に次いで大きな街にいて、その夜は地元の有力貴族の家に泊まる予定だと、先行していた者が調べてきてくれた。    小城とも言える貴族の邸宅へ馬車で乗り入れると、そこにカインが待っていた……ように見えた。本当にカインだったのかは定かでない。  風と砂埃を受け続けた目は充血し、白く霞がかった視界で、カインらしき長身の人影が立っていることは認識できた。  カインだ。ちゃんと生きてる。と思うと同時に、スーッと全身から力が抜けていくのがわかった。  車酔いと筋肉痛で疲弊し、気力だけで荷台に座っていた俺は、慌てて駆け寄ったカインの腕の中へと倒れ込んだのである。  薄皮一枚隔てた向こうに光を感じ、重い瞼をゆっくりと持ち上げる。  いつもなら最初に目に入るはずの天蓋の布は見当たらず、朧げな視界を占めるのは、薄暗い天井だった。王宮の自室より天井が近く感じられる。  仄白い光の筋を辿って顔を横に向けると、その先には見慣れぬモスグリーンのカーテンと、くすんだ白い壁があった。カーテンの隙間から淡い光が射しこんでいる。  よく見ると、壁には薄っすらと何か模様が施されている。カーテンも上質な生地のようだ。寝具もふかふかだし、昨日泊った宿に比べて随分と豪華だと思い、意識を失くす寸前のことを思い出した。  昨日は夜明けと共に宿を出て、休憩を取る以外はずっと馬車に揺られていた。  カインの部隊が貴族の屋敷に泊まると聞き、陽が落ちる頃に屋敷に馬車で乗り入れたことはなんとなく覚えている。カインらしき騎士が俺たちを迎えてくれて……。そこから先の記憶がない。今が朝だということは、夕食も食べずに寝落ちし、朝を迎えたということか。  寝起きのぼんやりした頭で状況を把握し、壁から部屋の中へと視線を移す。ベッドの傍らの床で、掛け布が人の形に盛り上がっているのが目に入った。宿でも、同じ部屋に泊まったセルペンスが、一緒にベッドを使えという命令を聞き入れずに床に寝ていた。けれど、体格のよさからして彼ではなさそうだ。  布から出ている顔に目を凝らす。暗がりに慣れてくると、ぼんやりしていた顔の造りが次第に鮮明になっていく。やがてそれは、よく見知った顔と一致した。 「カイン!?」  俺が重怠い体を起こすのと同時に、掛け布の人物も跳ね起きた。  バッとこちらを向き、驚いたように目を見開く。夢か現か訝しむような間があり、やがて掛け布をめくってゆっくり立ち上がった。  最初に窓へと向かい、カーテンを開き、戻ってくる。  夜が明けたばかりのようで、射し込む光は弱かったが、彼の表情を見て取れるくらいには部屋が明るくなった。ベッドの横に立ったその顔は、機嫌の悪さを前面に押し出した、冷ややかな眼差しをしていた。目の下には濃い隈があり、彼のそんな疲れた顔を初めて見る。  半分寝ぼけていた頭が、一気に覚醒した。 「どこも何ともないか? 気分は悪くないか?」  表情とは裏腹に、かけられたのは気遣いの言葉だった。ただ、無機質な声からは含むものを感じる。 「あ、うん。大丈夫。ちょっと体は重いけど」  身構えつつ、恐る恐る返事をした。  実際、疲労は昨日の到着時に比べて随分と回復している。18歳という若さの為せる業だろう。 「なら、よかった」  ほんのわずか、カインを纏う不穏なオーラが和らいだかに思えた。だが、表情は依然として険しいままだ。 「――で、その髪はなんだ?」 「髪?」  ペタペタと自分の髪に触れて初めて、質問の意図を理解した。  一昨日まであったストレートのロングヘアは、今はうなじで短く切り揃えられている。随分と遠い昔のことのようで、髪のことはすっかり忘れていた。 「旅に出たらなかなか洗えなくなるからね。王宮を出てから短くしたんだ」  短剣で適当に切ったせいで、バラバラな長さの使い込まれた箒みたいな髪型になってしまった。見かねたセルペンスが手を加え、前世で言うおかっぱとマッシュルームヘアの間くらいの長さに整えてくれた。セルペンスは手先が器用なので、孤児院にいた頃も下の子の髪を切ってあげていたらしい。  しかし、変わったのは、長さだけではない。 「なぜ、色まで変わっている?」  カインが言うように、プラチナブロンドだった髪は、今は濃いめの茶色になっていた。  前世で読んだファンタジー小説に、胡桃の煮出し液で髪を染める方法があったのを思い出し、王宮の食堂から胡桃の殻をかき集めて持ってきていた。宿で煮出してもらい、髪を切った後、それで染めたのだ。 「俺が王子だと見破られないためだよ。ほら。北方には盗賊が出る地域もあるらしいからね。王子だと気づかれたら狙われるかもしれないだろ?」  用意していた答えを、なるべく軽い調子で口にする。  一度も会ったことのない人間が俺を探すには、髪の色を手掛かりにするしかない。  けれど、髪を染めた本当の目的は、「狙われないように」ではなく、『気づかれないように』するためだった。  ヴィオラと俺が懇意にしている今、クラウス伯爵は俺に死なれるのは困るはずだ。伯爵がカインに刺客を差し向けるとしても、「第3王子は生かすように」と命じている可能性が高い。その場合、「生かさなければならない」王子を特定できない状況は、攪乱になると考えた。  カインは眉間を押さえ、「はぁ」とこれみよがしに溜め息を吐いた。 「何故、北方の賊が王子の髪の色など知っているのだ。おおかた、伯爵が何か仕掛けてきたときに、どれが王子がわからないほうが、敵の攻撃の手が緩むとでも考えたのだろう」  俺の考えなど、カインにはお見通しだった。  そして、間髪入れずに告げられる。 「――朝食を食べたら、引き返せ」  気迫に気圧されはしたが、顔に出さないように努めた。  元より、歓迎されないだろうことは覚悟の上だ。 「嫌だ。途中で引き返すくらいなら、最初から来ていない」  カインが片眉を吊り上げ、一層表情を険しくする。 「お前のように自分で自分の身も守れない者がいたら、足手まといだ」  言われるだろうことは、ここに来るまでの間に色々想定した。  もっと酷い罵詈雑言を浴びせられることも覚悟していたから、それよりはマシなほうだ。それでも、本人の口から聞くと、さすがにこたえる。 「なるべくそうならないように努力する。でも、足手まといになる可能性があることも、わかっている。それでも、俺は……、もし、俺の知らないところでカインの身に何かあったら、一生後悔する。君が俺の立場でも、そうだろう? だからどうか、俺のわがままを許してほしい」  ベッドに座ったまま、深々と頭を下げた。  こうなることを想定して、兄上に泣きつき、仮の王太子令まで発行してもらった。泣き落としで駄目なら、それを突きつけるしかないが、できればそれはしたくなかった。俺はあくまで、友として、ここに来ているのだから。  長い沈黙が落ちる。  ずっと頭を下げたままでいると、やがて、「はぁ」と深い溜め息が頭上に落ちた。 「どうせ帰れと言ったところで、聞かぬのだろう?」  俺は勢いよく頭を上げた。  カインの表情は、変わらず険しい。 「だが、前にも言ったように、万が一、お前の身に何かあったら、俺は死んで詫びても父上に許してもらえない。セレナだって責任を感じ、王太子妃を辞退するだろう。そうなれば、お前が前世とやらで見てきたように、ヴィオラが王太子妃となり、クラウス伯爵が宮廷を思いのままに操る未来になるのだぞ。それでも、俺と一緒に来ると言うのか?」  カインの言う「もしもの話」を、俺も考えなかったわけではない。  第三王子という立場を考えれば、城でおとなしく待つのが正しい選択肢だということもわかっている。それでも――。 「カインと一緒にいたい」  カインの目を見上げてきっぱりと言うと、カインはそれ以上は何も言わなかった。ただ、痛ましいものでも見るようにしばらく目を細め、やがて頭を軽く振ると、唇の端をわずかに上げた。諦めと呆れが綯い交ぜになったような、苦笑だった。下がった眉尻は、泣き笑いのようにも見える。 「本当に馬鹿な王子だ」  呟きながら、ベッドに腰を下ろした。 「たかが騎士一人のために髪を切り、あれほど美しかった髪を他の色に染める王子が、どこの世界にいる?」  色を確かめるように、横髪を軽く摘まみ上げられた。  昨日は一日中馬車に乗ってかなり汗もかいたのに、風呂にも入っていない。そのことを思い出し、いつになく落ち着かない気分になる。 「たかが騎士一人ではない。大切な友だ」 「友、か……」  呟く声にどこか含みを感じたが、距離が近すぎてカインの表情を盗み見ることはできなかった。  カインが立ち上がり、ホッと肩の力を抜く。 「湯を持ってこさせるから、顔を洗って着替えるといい。お前が王子だと知られれば騒ぎになるだろうから、他の者たちには俺の従者ということにしておく。それでもよいか?」 「あぁ。そうしてくれ」 「……そうだ。一つ大事なことを言い忘れていた」  部屋を出ていこうとしていたカインが、ふいに体ごと振り返った。 「疲弊して意識を失くすほど、必死に俺を追いかけてくれたのだろう? エド、ありがとう」  カインがいなくなり、部屋が静けさに包まれる。  王子として間違ったことをしているという罪悪感は、王宮を出てからずっと、胸に巣食っている。それでも、後悔は微塵もなかった。  胸の奥が熱くなり、気づけば、一筋の涙が頬を伝っていた。  食堂へ行くと、カインは他の騎士たちと共に先に朝食を済ませていた。  俺は遅れて、五人の〈影〉の兵士らと共に食事を始める。  食事中、カインが食堂へと入ってきた。都から早馬で書簡が届いたようで、それを届けに来たのだ。表向きはカイン宛てだが、実際は俺に宛てられたもので、王である父上からの書状だった。  きっと、兄上が父上の説得に失敗したのだ。今すぐ都に戻って来いという王令が届いたに違いない。中身を見てしまえば、さすがに逆らえない。既にホーエン家を出立していて、書簡を渡せなかったことにしてもらえないだろうか。  そんな往生際の悪いことを考えていたが、カインが傍らに立ち、「急ぎ確認しろ」と目で脅してくるため、そういうわけにもいかなかった。  仕方なしに食事を中断して封を切る。書かれていた内容は、俺の予想とは違っていた。  戻って来い、という命令ではなく、逆に、俺を正式に視察団の一員として認める、といった内容のものだった。  そのかわり、ヴァルトシュタイン辺境伯領やそれ以外の地方の現状について、「できる限り詳細に記録して持ち帰るように」と命じてあった。記録の内容が十分であれば、王太子の慰問は取りやめにして、その記録を元に対策を議論するよう貴族たちに働きかけるつもりだ、とも書かれている。  確かに、王太子の巡幸の一番の目的が辺境の情勢把握であったため、第三王子が視察団に同行するのなら、その報告で代用するのは合理的な判断だ。大々的な巡幸を行うよりも、遥かに費用も時間も抑えられる。  だったら、最初から俺を同行させてくれればよかったのでは? と思うが、それなりに危険を伴う任務だからだろう。  納得はできたが、カインさえ無事ならよいと思っていた旅に、「国の政策決定のための情報収集」という重責が加わり、一気に肩の荷が重くなる。  そんなふうに一喜一憂しながら書簡を読み進めていた俺は、残りわずかのところで、そこに書かれていた一文に目を奪われた。 『兄妹の中ではお前が最も筆が立つ。視察団にお前が同行することになり、結果的によかったのかもしれぬ。道中、十分に気をつけよ』  初めて父からもらった書簡は、そう締めくくられていた。  思えば、物心がついて以来、俺にとって父上は、父である以上にこの国の王であった。  温厚な人柄で、声を荒げられたことは一度もないが、面と向かって褒められた記憶もない。だから、父上が俺の書いたものを目にしたことがあるなどとは思いもしなかった。  初めて褒められて、嬉しかった。  最初は面倒くさいと思った父の命に対して、むくむくとやる気が湧き上がってくる。  書簡の内容をカインに伝えると、俺の同行が正式に許可されたことに安堵した様子だった。しかし、身の安全のために、表向きはカインの従者の設定のままいくことになった。  視察団が逗留しているホーエン公爵家は、兄上の巡幸の際にも逗留する予定になっている。  その日の午前中は、ホーエン家に賊が侵入する場合の侵入経路や、遠隔からの攻撃の可能性などについて確認し、それを踏まえた警備計画をホーエン公爵も交えて協議した。その後、昼食をいただいてから次の街へと出立した。  カインを通じてホーエン公爵より四輪馬車を借り受け、カインと共に馬車で移動することにした。御者はセルペンスだ。  表向きの理由は、兄上も馬車で移動するため、同じ移動手段を用いたほうが危機を想定しやすいから。真の目的は、遠くから矢で狙われることを防ぐためだった。狙いがカイン一人なら、どこかに潜んで矢で狙ってくる可能性もある。  昨夜は夕食も食べずにぐっすり寝て、疲労は回復していたから、馬車にはカインに一人で乗ってもらうつもりだった。一日目と違って並足で歩かせるだけなら、長い時間乗ってもそれほど苦にはならない。  しかし、「従者なら主の傍を離れるな」と言われて、俺も同乗することになった。  狭い空間にカインと二人きりでいるのはどうにも気詰まりであったが、車窓を流れる景色を眺めているうちに、次第にそれも薄れていった。  そうして、街から街へ移動し、王太子が逗留する予定の貴族の屋敷で足を止めては警備計画を練る、という流れで、順調に旅は進んで行った。  雲行きが怪しくなりはじめたのは、やはりヴァルトシュタイン辺境伯領に入ってからだった。

ともだちにシェアしよう!