7 / 13

急襲

 ヴァルトシュタイン辺境伯領に入ると、それまで一面に広がっていた青々とした小麦畑は、次第に瑞々しさを失い、黄色味がかって見えるようになった。素人目にも、育ちが悪いのは明らかだ。北へ進むにつれて作物の変色は広がり、ほとんど枯れかけていたり、ひび割れた土がむき出しになっている畑も増えていった。 「荒れてるな」  俺の呟きに、隣から、「うむ」と低い唸り声が聞こえてくる。 「行商人の話によれば、国境での争いが増えているせいで、ヴァルトシュタイン辺境伯領では、元々年に40日だった徴兵が徐々に期間を伸ばされ、今では3か月から長い時で4カ月も、家に帰れない者がいるらしい」  セルペンスからも父親を兵に取られた話を聞いていたから、なんとなく、そうではないかと予想していた。けれど、訳知り顔で「やはりそうか」と相槌を打つのは、あまりに高みの見物のようで、憚られた。 「国境で争いが増えていることを、騎士団は把握していたのか?」  隣の男を仰ぎ見た。  間近で視線が交錯した切れ長の目は、落ち着かない様子ですぐに外の景色へと逸らされる。 「基本的に……第七騎士団に配属された者は、帰ってくることはない。そのため、そこでの任務がかなり過酷なものだということは、俺も含め、皆、薄々勘付いていた。勘付いていながら、口にする者はいなかった。その事実が広まれば、配属を断りにくくなるからな」  カインは続けて、ここ十年、第七騎士団の数が増えていないこと、配属を断りきれない場合は騎士を辞める者もいることを明かした。  ただ守られているだけの立場の俺は、それに対して何も言うことができなかった。  騎士の数は変わらず、戦や夜盗ばかりが増えているのだから、ヴァルトシュタイン辺境伯は独自で兵の数を増やすしかない。騎士団の運営費を負担している現状では傭兵を雇う余裕はなく、領民に負担を強いるしかないのだろう。  働き手を長期間、戦に取られるのだから、当然、畑は荒れる。  それでも、4カ月やそこらで父や夫が無事に戻って来た家は、まだマシなほうかもしれない。  父が兵士に取られていなくなり、まもなくして、母も病で亡くなったというセルペンスの話を思い出し、更に気分が重くなった。  俺も車窓へと顔を向け、やるせない気持ちを押し殺すように、静かに息を吐く。 「前世でもそうだった」  遠くの荒れた小麦畑に視線を馳せ、ぽつりと言葉を洩らす。  胸にわだかまる感情を、どう言葉にすればよいのかわからなかった。ただ、無力感と焦燥という相反する感情が、別の世界の遠い記憶と、かすかにシンクロした。 「俺が住んでいた国は俺が生まれるずっと前から他国との争いはなくて、平和で、食べる物に困ることもなかった。でも、同じ世界の中で、それが当たり前じゃない場所も存在していたんだ。……俺は……それを自分とは関係のない世界の話のように思っていた……」  時折りテレビのニュースで流れてくる映像を見て、胸を痛めることがあっても、自分にも何かできるかもしれない、なんて考えたこともなかった。  少なくとも今は、それでは駄目だとわかる。 「それは……、俺も同じだ。第七騎士団の問題に勘付いていて、行く行かないは個人が判断すればいいことだからと、何も声を上げようとはしなかった」  苦しげに吐露し、カインは口を噤んだ。  戦は嫌だ。でも、同じ国に生きながら、一部の人間だけが過酷な状況に置かれているのも、おかしいと思う。それに、ルヴァール帝国が他国との戦を終わらせ、我が国に集中して攻め込むようなことになれば、辺境だけの問題ではなくなる。  これといった打開策は浮かばず、カインも何か考え込んでいるようで、互いに無言のままに時間ばかりが過ぎて行った。  その日の夜は、都の有力貴族の荘園にある別荘を宿にした。主の公爵は都に住んでいるため、荘園の管理を任されている管理官が万事差配してくれた。  石造りの館はそれなりに大きかったが、これまで泊まった貴族の邸宅に比べて明らかに年季が入っていた。  門扉は錆びつき、館の壁はひび割れ、天井もくすんでいる。それでも、視察団の到着に合わせてどうにか取り繕おうとしたのだろう。所々に修繕の跡があった。家具や食器は艶が失われ、絨毯の染みも目立つ。  兄である王太子の逗留が正式に決まれば、主は面子を守るために館の修繕に取りかかるだろう。余計な金と人手が必要となり、下手をすれば「修繕が間に合わない」と言い訳し、出発を遅らせるよう他の貴族らも巻き込んで働きかけてくるかもしれない。  父が言っていたように、できれば兄の巡幸を待たず、俺の提出する報告書をもって、早急に対策を講じてもらえるよう話を運びたい。    カイン達が警備計画を練る間、俺は屋敷の使用人や荘園の農夫たちに声をかけ、窮状を記録することに努めた。作物の不作の原因については、人的要因だけでなく、昨年からの天候や土の状態、病害や獣害など、関係がありそうなことを細かく聴取し、書き留めた。  そうして、翌朝、別荘を出発した。  昼休憩を取ってしばらくした頃だ。  荒れ果てた穀倉地帯の景色に、痩せた木々がまばらに混じり始めた。徐々にそれが増えていき、馬車は薄暗い森の中へと入って行く。蹄の音も、湿った土に吸われてほとんど響かなくなった。  その静けさが不気味で、隣のカインに不安げに問う。 「道を間違えたんじゃないだろうな?」 「いや。間違えてはいない。ここはシュヴァルツの森だ。地図ではここを通って城に行くのが一番近道だったから、間違ってはいないはずだ」 「シュヴァルツの森……シュヴァルツの森!?」  聞き覚えのある名前を記憶へと辿り、一つ重要なことを思い出した、そのとき――。  馬が激しくいななき、馬車が急停止した。  木々の陰から、黒い影が一斉に飛び出してきた。  道の前方も、剣を構えた者たちによってすでに塞がれている。  ざっと見ても、敵の数はこちらの倍以上。    シュヴァルツの森――。小説の中でエドワードたちが賊に襲われ、カインが命を落とした場所も確かそんな名前だった。同じ状況に陥って初めて、思い出した。  このような事態を想定していたからこそ、カインを追いかけてきた。  だが、実際に剣を構えた者たちに周りをぐるりと取り囲まれたら、手足の震えが止まらなくなった。 「エド、お前はここから動くな。セルペンス、頼んだ」  言うが早いか、カインは馬車から軽やかに飛び降りた。 「全員、馬を降りて応戦しろ!」  カインの号令に、騎士達は一斉に馬から飛び降りて剣を抜く。  賊の(かしら)らしきひときわ体格のよい男が片手を上げ、それをカインに向かってゆっくりと振り下ろした。 「かかれ!」  それを合図に賊たちが奇声を発して騎士に襲い掛かる。剣がぶつかり合う甲高い音が鳴り響き、怒声や呻き声が入り混じって森を震わせた。  カインは隊の中央で、次々と襲い掛かる賊を迎え撃っていた。  敵の振り下ろした剣を素早くかわし、脇腹に鋭く一閃を浴びせる。鈍い悲鳴をあげて男が崩れ落ちる間もなく、次の敵が踏み込んでくる。振り下ろされた剣を受け止め、火花を散らしながら力任せに弾き返すと、肩口に逆手で剣を滑らせた。血飛沫が上がり、紺色の騎士服に黒い染みを散らす。  ほとんどの騎士たちが二人以上を相手にしていたが、その中でも敵の狙いがカインにあるのは明らかだった。  一方で、俺の周りは四人の〈影〉が馬車の四方に立ち、セルペンスも御者席から動かないが、「馬車は狙うな」という命でも出ているのか、敵は不自然なほどこちらには攻撃してこない。 「おい、お前たち! 俺のことはいいから、あっちの加勢に行ってくれ!」  声を張り上げるが、〈影〉は動こうとはしなかった。 「我々は、いかなるときも殿下をお守りするよう、仰せつかっております。アルベール公も重々ご承知のはずです」  抑揚のない冷ややかな声でセルペンスが返事をする間にも、騎士の一人が背後から剣を突き立てられ、前のめりに崩れた。  手足の震えは止まらない。まともに剣を握れる自信もなかったが、これ以上、傍観することはできなかった。  馬車から飛び降りると同時に、背後で声がする。 「殿下! 無謀なことはおやめください! 殿下が行ったところで、何の役にも立ちません!」 「それはわかっている! だが、ここにいれば、何かの役に立てるのか?  俺はたまたま王族に生まれただけだ。お前たちや、あの者たちに守ってもらうに足ることは、まだ何一つ成していない!」  それだけ言い残して剣を抜き走り出すと、〈影〉の者たちも無言でついてきた。 「殿下! いいかげん、騎士の真似事はおやめください!」  カインに向かってありったけの声を放ち、彼に背後から襲い掛かろうとしていた男の足を剣で払う。狙ったのは、いわゆるアキレス腱だ。  騎士と違って、丈のない簡素な靴を履いていた男のそこは、生身の肌が剥き出しになっていた。以前、カインに、ブーツでなければ、非力で背の低い俺にも狙いやすい急所だと教えてもらったことを、体が覚えていた。  確かに肉を切るような手ごたえがあり、男が「うぎゃっ」と悲鳴を上げて足元から崩れ落ちる。  アキレス腱ならば、歩くのに不自由することになっても、死ぬことはない。  「甘い」とカインには叱られるだろうが、やはり賊であっても、同じ国に暮らす民の命を奪うことには迷いがあった。  戦いは続いていたが、先ほどの俺のひとことのせいで、賊たちの間になにやら動揺が広がっていくのがわかる。 「王子が騎士に扮しているということか?」 「王子は長い銀髪ではなかったのか?」 「王子は馬車の中にいるんだよな?」 「馬車の中には誰もいません!」 「どういうことだ? 王子には傷一つ付けるなと命じられているのだぞ!」  そんな会話が賊たちの間で飛び交いはじめた。  一方、こちらはこちらで。 「殿下、馬車にお戻りください!」 「殿下の御身に何かあれば、私が首を跳ねられます!」  などと、手当たり次第、カイン以外の騎士にも声をかけ、また、同じ文言をセルペンスも俺に向かって言うので、賊たちの混乱は一層深まり、明らかに剣の勢いが衰えはじめる。  それに、俺が動き回るせいで、〈影〉の者たちも戦闘に加わざるをえないことも大きかった。彼らは騎士たちより遥かに戦い慣れていて、三人同時に剣を向けられても物ともせず、しなやかな動きで一人、また一人と打ち伏せていく。  まだ防御の型くらいしかまともに習得できていない俺は、乱闘の中を逃げ惑うのに必死で、周りを見る余裕はなかった。  そうして、賊の数が十人ほどに減り、(かしら)らしき男がカインに敗れて斃れたところで、残りはちりぢりになって逃げて行った。  ホッと息を吐いたのも束の間――。  視線の先で、一人の騎士が膝をついて崩れ落ちた。 「カイン!」  足をもつれさせながら駆け寄る。  剣を取り落とした彼の右腕はパックリと騎士服が大きく裂け、そこから滴る真っ赤な血が、紺色の布地を黒く染めていた。  震える指先で血に濡れた布を捲れば、深く裂けた傷口が見える。  ふっと血の気が引き、目の前が暗くなる感覚に襲われ、膝から崩れ落ちた。背中を冷や汗が伝い、胸がきしむほどに心臓が激しく脈打つ。 「カイン、死ぬな! お前が死んだら、誰がセレナを守るのだ!?」  皆の前では従者のふりをして「カイン様」と呼んでいたことも忘れて、すっかり取り乱していると、地面と頭上から同時に声がした。 「勝手に殺すな」 「そのままでは生きられる命も生かせなくなりますよ」  苦しげな声はカインのもの。頭上の冷ややかな声は、セルペンスのものだった。  セルペンスは俺を押しのけるようにして跪くと、顔色ひとつ変えずに、カインの傷を負ったほうの騎士服の袖を短剣で切り取り、それを使って手際よく傷口を縛った。 「かすり傷だ。大したことはない」  傷を縛られた瞬間は低く呻いたカインも、肩で息をしながらそう言葉を絞り出す。  かすり傷というには、その顔は完全に青褪め、こめかみには大量の汗が滲んでいる。 「縫合用の針と糸は持参しておりますが、できれば場所を変えたほうがよいでしょう。日が暮れれば、血の匂いを嗅ぎつけて獣が寄ってきます」  普段と変わらぬ冷静さを見せるセルペンスの姿に、俺も多少は落ち着きを取り戻した。 「確かにそうだな」  森の中にいるため太陽の位置はわからないが、木々の葉の隙間から覗く空は、すでに夕焼け色に染まり始めている。  前に進んでも引き返しても、日暮れまでに森を抜けることは難しそうだ。こんな深い森だから、狼の群れや熊がいても不思議ではない。  見回す限り、騎士たちは皆、地面に寝ているか座り込んでおり、動けそうなのは俺と〈影〉の兵くらいだった。獣に襲われたら、更に犠牲者が増えるだろう。 「えーっと、さっきの……。あっ、君!」  俺は倒れている賊の間を動き回り、先ほど戦闘の中でアキレス腱を切った男を見つけ、駆け寄った。 「君たちのねぐらはここから近いのか?」  男が上半身を起こすも、俺を睨みつけるのみで返事はない。  あのときは背後から切りつけたため顔までは見なかったが、よく見るとその顔はまだ幼く、俺とそう変わらない年頃に見える。 「もし、近くにねぐらがあって、穴を掘る道具があるなら、貸してくれないか? このままでは亡くなった者たちは獣の餌食になってしまう。それから、できれば今夜は俺たちも、そのねぐらに泊めてほしい」  青年は少しだけ迷うような表情を見せた。 「君もすぐには歩けないだろうし、このままでは獣の餌食だぞ」  返事がないことに苛立ち、つい脅すような言い方をしてしまった。  青年は、「はっ」と鼻で笑う。 「さっき俺を殺さなかったのは、そのためか? ねぐらに案内したとして、どうせ俺はその場で殺されるのだろう? 獣に襲われるのも、同じことだ」  あからさまに憎悪を向けられたのは、初めてだった。眼差しの暗さに一瞬怯んだが、懇切丁寧に説得している時間はない。  俺は懐から通行証を取り出すと、青年にそれを差し出した。   「これは旅をするための通行証だ。これがなければ俺は都に帰れない。これを預けておくから、もし、誰かが君に危害を加えるようなことがあれば、これを破り捨てればよい。『盾』と言えるほどの効果はないが、お守りくらいにはなるだろう?」 「お守り?」 「えーっと……。そうだな。魔除けのようなものだ」  それでも自分からは手を伸ばさず、懐疑的な表情を崩さない青年の手を取り、無理やりそれを握らせた。 「レオと、それから、フォルナクス――」  〈影〉の中で、最も力のありそうな大柄な二人に声をかける。 「この者を連れてねぐらに行き、穴を掘る道具を借りてきてくれるか? これだけの人数を埋めねばならない。なるべく道具は多いほうがよい」  俺が行ってもよかったが、道具を運ぶのなら、力のある者のほうが適している。 「我々は、殿下のお傍を離れるわけにいきません」  二人のうち年長のレオが返事をする。 「王子の命令だ。『否』は許さぬ」  今まで使ったことのない強い口調で言うと、二人は顔を見合わせ、「御意」と一礼した。  俺は青年の前に、片膝をついた。  会話から俺が王子だと気づいたのか、わずかに毒気を抜かれた顔になっている。 「君の仲間たちの亡骸も埋めるには、時間がない。頼む。協力してくれ」  返事を待たずに、レオが細身の体を軽々と担ぎ上げた。 「いっ、いたたた! おいっ、俺は足を切られてるんだぞ!」  顔を顰める青年に、レオが冷たく言い放つ。 「その足を切り落とされたくなかったら、さっさとねぐらに案内しろ」  レオは青年を馬に跨らせ、続けて自らもその後ろに飛び乗った。フォルナクスは無言で空いていた馬に跨り、二頭の馬は駆け出していった。 「動ける者は、負傷者の手当てをしてくれ。賊の中にも助かりそうな者がいたら、手当てをしてやってくれ」  全員に呼びかけてカインの元に戻ると、セルペンスは近くの枯れ枝を集めて焚き火を起こしていた。 「その傷では馬に乗ることも難しい。ねぐらは馬車で行けるような場所ではないだろうから、ここで傷を縫ってもらったほうがよい……と思ったのだが……」 「そう仰ると思って、準備をしておりました」  セルペンスは変わらぬ冷めた口調で返し、焚き火の火に短剣を翳す。 「何か俺にできることはあるか?」 「傷を焼いて止血し、縫合します。相当な痛みを伴いますので、人を集めて、カイン様が暴れぬよう押さえつけてください」  話を聞いただけで、俺なら耐えられそうにないと思った。  けれど、「わかった」と言う前に、カインの声がそれを遮る。 「押さえつける必要はない。その程度の痛み、一人で耐えられる。だから、急ぎ、他の者の手当てを頼む」  一瞬、視線が交わる。  カインは青褪めた顔で、痛みを堪えるように、眉間に深い皺を寄せている。それでも俺を安心させるように、ほんのわずか目元を和らげてみせた。  視界が滲みそうになり、俺は慌てて視線を逸らせた。  今は泣いている暇はない。 「わかった。では俺も、負傷者の手当てに回る。手が要るときはいつでも声をかけてくれ」  俺と〈影〉の兵を除き、ほとんどの者が傷を負い、深手の者も少なくなかった。残りの〈影〉の兵であるノクスとコルヴス、それに軽症の騎士にやり方を教わりながら、俺も傷の手当てをして回った。  あちらこちらで呻き声があがっていたせいで、カインの苦痛を堪える声に胸を痛めずにすんだのは、不幸中の幸いと言えるのかもしれない。  賊のねぐらというのは、住む者がいなくなった近くの廃村だったようだ。  村人たちが残していった農具の中から使えそうなものをレオたちが持ち帰ってきて、体を動かせる者は、日が落ちて足元が暗くなるまで穴を掘った。  俺はたいして役には立たなかったが、それでも、前世でいうところの鍬のようなものを、豆が潰れ両手が血だらけになっても振るい続けた。  命を落としたのは、、騎士が4名、賊が14名。全員を土に埋めて弔ったのち、負傷者を馬に乗せて、ねぐらへと向かった。  松明の灯りを頼りに草を掻き分け、四半時ほどかけて廃村へたどり着いた頃には、誰もが満身創痍だった。  どの家も、屋根の藁は抜け、壁も崩れ落ち、柱ばかりが剥き出しになった光景は、枯れ木林と大差ない。  それでも、背の高い草に覆われていないだけましだと言える。夜通し火を焚けば、獣は寄って来ないだろう。  逃げ出した賊は戻って来ておらず、負傷して逃げられぬ賊は、セルペンスが応急処置をし、明日、この辺りを治める領主に預けることにした。  賊を許すことはできない。  それでも、このような屋根すらない場所をねぐらにし、人に危害を加えることでしか生きていけない者たちがいるのだと考えると、なんともやりきれない気分になる。  領主には、極刑は与えず、労役刑で済ませるよう口添えするつもりだった。  村の中心にある、土壁が部分的に残り、他と比べれば多少はまともに見える家屋を選んで、全員がひとところに身を寄せ合って夜を明かすことにした。 「今夜は見張りはよい。どうせ襲われたところで、反撃する力は俺たちには残っていない。火だけは絶やさぬよう、時間を決めて交代で番をしよう」  そう言っても〈影〉の兵たちは見張りに立とうとするため、「王子命令」を発動し、無理やり休ませた。  非常食のビスケットや干し肉はあったが、食べる気にはなれず、水だけ飲んで、俺も壁に寄りかかってしばらくうとうとしていた。  この辺りは都より北に位置し、標高も高い。初夏でも夜間は冷え込む。  寒さで身震いし目を開けたとき、最初は状況を飲み込めなかった。  掛け布を引き寄せようとしても手の届く場所に布はなく、何故か体の節々が痛い。徐々に暗闇に慣れた目が、頭上に瞬く無数の星を捉えて、今夜は野営であったことを思い出した。  同時に、ヴァル・イーガンと呼ばれる、前世のオリオン座によく似た三ツ星の星座がてっぺん近くにあることに気づき、慌てて跳ね起きた。本来なら地平線から60度の位置で火の番を交代する予定だったのに。 「カイン。俺の番が来たら、ちゃんと起こしてくれと言っただろう?」  起きれなかった自分が悪いのだが。  焚火の前で胡坐をかく男に、苦情めいた声をかける。  カインはこちらを一瞥もせず、焚火へと向き合ったまま答えた。 「どうせ眠れぬのだから、俺が番をしたほうが無駄がない。お前も寝てろ」  声には生気がなく、眼窩が深く落ち窪み、濃い隈のできた横顔は、まるで死相が出ているようだった。それでいて、火を映した瞳だけは、怒りとも悲しみともつかぬ色で煌々と輝いている。  〈影〉の兵たちにしたように、「王子命令」を発動する気にはなれなかった。  俺も、膝を抱えてカインの横に腰を下ろした。  眠れない理由は察しがつく。言ってよいものかどうか、しばらく迷い、思い切って口を開いた。 「お前のせいではない」  カインが身を強張らせた気配がする。  かまわず、同じ言葉を繰り返した。 「騎士たちが命を落としたのは、お前のせいではない……。だから、自分を責めるな」  負傷した者たちが時折り洩らす呻き声や、遠くの森で響く狼の遠吠えが、沈黙を埋める。 「……俺のせいだ」  随分と時間をかけて返って来たのは、予想通りの答えだった。 「お前もわかっているだろう? 賊は、明らかに俺を狙っていた。あの者達は巻き込まれただけだ。俺を葬るための陰謀に巻き込まれ、俺の代わりに犠牲になった。俺以外の誰のせいだというのだ」  訥々と絞り出される自責の言葉に、ひどく胸が痛んだ。  それを言うなら、こうなった原因の大元は俺にある。  元々の小説のストーリーでは、カインが視察団の隊長になることも、部下を率いて辺境伯領に遠征することもなかった。今回犠牲になった騎士たちも、もしかしたら、襲ってきた賊たちも。本来のストーリー通りなら、もっと長く生きられたはずだ。  死ななければならなかった者たちへの贖罪の気持ちは、俺の中にもある。もっと他に、誰も犠牲にならずにすむやり方があったんじゃないかという後悔も。でも、本来のストーリーにはなかったこの遠征が、余計なことだったとも思えない。  細く息を吸い、吐く。  先ほどよりも更に時間をかけて迷い、言葉にすることを決めた。 「それは……傲慢というものではないか?」  声になったときの言葉の強さに、自分でも一瞬怯む。カインが初めてこちらを見て、ちゃんと言葉が届いていることに、背中を押された。  こんなことを言う自分こそが傲慢だと思いながら、それでも、聞いて欲しい思いがあった。 「確かに、どこぞの誰かが、カインを狙って、賊を雇ったのかもしれない。けれど、彼らが命を落としたのは、君のせいでも、君のためでもない。彼らは、騎士という職務に殉じたのだ。彼らが命を捧げたのは国で、その国に暮らす、彼らの愛する人たちのためだ。自らの意志で、命を懸けて、理不尽と戦ったのだ。決して、君の戦に巻き込まれたわけでも、たかが君一人のために命を落としたわけでもない」  自分が楽になるために、そう言い訳しているだけかもしれない。ただ、そう思わなければ、あの者達が報われない気がした。  茫洋としていた切れ長の目が、軽く見開かれる。ようやくその焦点が俺を捉えたかに思えたら、みるみるうちに潤み、焚火を映した橙色の雫を溢れさせた。  咄嗟に顔を逸らそうとしたカインの頭を強引に引き寄せ、伸ばした膝の上に乗せる。武士の情けで、マントを引き上げて、顔を覆ってやった。 「寝不足で落馬して命を落とすようなことになったら、あの者達に顔向けできないだろう? 特別に王子の膝を貸してやるから、今はもう何も考えずに目を閉じていろ」  マントの下で、肩が小刻みに震える。  嗚咽が寝息へと変わるまで、俺はマント越しに、カインの背中を撫で続けた。  近くに積まれた小枝を時折り火に差しくべ、ぱちぱちと爆ぜる小さな炎を眺めながら、自分の中に、一つの決意が固まるのを感じていた。

ともだちにシェアしよう!