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真相

 ヴィオラとのお茶会以降、俺はふたたび体調を崩し、丸二日ベッドから起き上がれなかった。  それから徐々に体調は回復したものの、父王から、当面のあいだ部屋から出ないことと家族以外との面会を禁じられた。  表向きは、ヴィオラに盛られた毒により未だ生死の境をさ迷っていることになっている。  本当の理由は、俺のしたことに父が気づいているからではないかと思っていた。  早急に毒から回復し、何の後遺症もなくぴんぴんしているところをクラウス伯爵側の人間に見られたら、俺がヴィオラを罠に嵌めたことに気づかれるかもしれない。恨みを買い、今度は本気で命を狙われることになりかねない。  あとは暗に、無謀な行動への反省を促しているのだろう。  ヴィオラとのお茶会で、俺は彼女が俺に毒を盛ったと疑われるよう仕向けた。  狙い通り、ヴィオラは俺に毒を盛った罪で捕えられ、クラウス家の探索が行われた。第一王子殺害の確たる証拠は見つからなかったものの、12年前の王家の財産の横領については、当時の金銭の流れから、横領していたのが伯爵である可能性が高くなった。  そもそもカインの父であるノヴァリオ侯爵が第一王子を毒殺したのは、横領を王子に気づかれ、口封じのために弑したとされていた。それが横領の犯人がクラウス伯爵の可能性が濃くなったことで、第一王子の殺害についても、伯爵に疑いが向くことになった。  事件に関わっていたと思われる侍女と衛兵が事件後に家族に多額の金を渡していたことや、侍女の娘がクラウス伯爵の派閥の貴族に嫁いでいたこと、衛兵が伯爵の部下だったことなどを総合的に鑑み、横領と第一王子殺害の首謀者として、クラウス伯爵は娘共々、宮廷裁判にかけられることになった。  あとは裁判で伯爵が断罪されれば、狙い通りにいったと言える。同時に、カインの実父の冤罪も晴れるのだが……。体調が回復してからも、俺は鬱々とした気分を抱えたままだった。  理由はどうあれ、ヴィオラを(たばか)れば、自分も卑怯者の仲間入りをすることは最初からわかっていた。計画が成功したところで喜ばしい気持ちにならないことは、覚悟の上だ。けれど、後味の悪さ以上に、何かがずっとモヤモヤと引っかかっている。  大事なことを見落としているようなそのモヤモヤも、気分が晴れない原因の一つだった。  部屋に軟禁されているため、食事以外は本を読むくらいしかすることがない。  昼食後、ベッドに寝転がって本を読んでいたら、呼び鈴が鳴った。  ここ二週間、毎日同じ時間に鳴っていたから、用件は予想がつく。  紙面から顔を上げ息をひそめていると、「失礼します」と断りを入れて静かに扉の開く音がした。 「エドワード殿下。アルベール公が面会を希望しておられますが……。どうなさいますか?」  オトマーの声だった。  来てすぐの頃に比べたら、敬語も板についてきたし、随分と落ち着いて取り次ぎができるようになった。  これまでの侍従と異なり、「どうせ断るのだから、いちいち確認せずともよい」と何度言ってもこうしてお伺いを立ててくるところは、少しばかり煙たく思っているが。 「あの……。今日こそは、会ってくれるまで帰らないと仰っています……」  断る隙を与えられず、早口でつけ足されて、一瞬言葉に詰まる。  会いたい気持ちと会うのが怖い気持ちがせめぎ合い、しかし、そもそも迷う必要のない問題だったことをすぐに思いだした。 「そう言われても、俺は父上から、家族以外との面会を禁じられているのだ」 「それについては、アルベール公は近い将来、外戚になられるお立場のため、王様から、家族に含めてよいとのご裁可を賜ったとのことです」  父上まで丸め込まれたのでは、これ以上逃げ続けるわけにもいかない。  俺は一度、深く息を吐いて気持ちを整え、面会の許可を伝えた。  ベッドから降りるかどうか迷ったが、体を起こし、寝癖を確認している間に足音が近づいて来た。  本を読むために天蓋の帳は窓側だけ巻き上げてあり、やわらかな陽の光が枕元を照らしていた。その光を遮り、影がさす。  鬼のような形相で入ってくることを覚悟していたのだが。その表情は予想していたものとは違っていた。  緊張した面持ちが、目が合った途端にふっと緩み、そして次の瞬間、今にも泣きそうに顔を歪めた。  予想外の出来事に戸惑っているうちに、縋るように両手が伸びて来て、気づいたときには、力強くあたたかな腕が体に巻きつき、ぎゅっと締め付けられていた。 「カイン……?」 「エド……、よかった……無事で……」 「俺が無事であることは、セレナから聞いていただろう?」 「それでも、自分の目で見るまでは、ずっと不安でたまらなかった」  カインに会えば、烈火の如く怒られるとばかり思っていた。  ヴィオラへの罠について、カインに嘘をついていたからだ。  彼女に罪を着せるために、兄上の暗殺目的に彼女が用意した毒を飲んだふりをし、空になった小瓶を彼女の袖に忍び込ませる。だから、カインは庭を巡回していて騒ぎを聞きつけたふりをし、彼女を捕えてくれ。カインにはそう依頼していた。  だが、「ふり」ではなく、実際に俺は毒を飲んでいた。  ヴィオラが持参したものではなく、それと似た症状をきたす遅効性の毒を、彼女の面会時間に合わせて前もって飲んでいたのだ。  王家の図書室で毒について調べ、アズラリスと症状が共通している遅効性の毒があることを知った。アズラリスと異なり致死性や後遺症はなく、王宮の薬草園でも栽培されていたので、こっそり採取して少量ずつ煎じて飲み、事前に何度か効果を試した。辺境の視察から戻ってから伏せがちだったのは、それが理由だ。  侍医に毒を盛られたことを信じさせるには、ふりだけでは難しいと考えていたし、ヴィオラを騙すことに罪悪感があったからでもある。  セレナや兄上にしようとしたことを考えれば、彼女は罰せられる人間ではあるが、彼女が兄上の毒殺を進言したことについては、そうなるよう仕向けた罪は俺にもある。彼女たち親子を断罪するには、俺自身も痛い目を見る必要があると思っていた。  でも、まさかそのせいで、カインにこれほど心配をかけていたとは思いもしなかった。  体を包み込むぬくもりと微かな汗の匂いには、覚えがあった。  ヴィオラとのお茶会で、意識を失くす寸前のことだ。  近くでカインの声が聞こえ、もう大丈夫だと思ったら、目の前が暗くなった。あのときも、石畳に崩れ落ちると思った体が何かに支えられ、次の瞬間にはこうしてあたたかいものに包まれていた。「どういうことだ?」「ふりではなかったのか?」という取り乱した声が、頭上で聞こえていたように思う。  あのときのことを思い出し、悪かったと思う一方で、どこか居たたまれないような喜びがじわじわと胸に広がるのも感じていた。  ずっと胸に巣食っていたモヤモヤも薄らいでいくのがわかる。 「本当のことを黙っていたのは悪かった。でも、俺が飲んだのは、死ぬ怖れのない毒だ。薬としても使われている」  痛いほどの抱擁を宥めるために、彼の背中をさすりながら、用意していた謝罪と言い訳を口にする。  頬に触れる髪が、こどもが「いやいや」をするようにわずかに揺れた。 「毒は毒だ。どんな毒も薬も、体調によっては効きすぎて命を落とすこともあると医者が言っていた」  抱擁が解かれ、両肩をそっと離される。真剣すぎる眼差しが、俺を覗き込んでいた。 「今回だけは許す。だが、次はないと思え。エド、俺は……」  カインが何かを言いかけたときだ。廊下のほうで何やら物音がし、直後、呼び鈴も鳴らさず、扉が勢いよく開く音がした。  カインとそろってベッドから降り顔を向けると、そこに立っていたのはオトマーだった。 「殿下、お願いします! 助けてください! このままでは隊長が……」  カインと顔を見合わせ、開け放たれた扉から揃って飛び出す。  最初に目に入ったのは、二人の護衛兵の背中だった。第3王子付きの彼らは、普段は扉の横に立っているだけだ。それが今は壁から離れ、剣を抜き構えている。その先にいたのは――。  ニコラスだった。王太子付き近衛隊長である、ニコラス・アウフ・ヤーゲル。 「何事だ!?」  カインが声を荒げる。 「ヤーゲル公が許可を得ずに、殿下への謁見を求めてお越しになられたのです」  こちらに背を向けたまま、まるで他人事のように冷ややかな口調で答えたのは、セルペンスだ。北方視察の際の功績が認められ、あのとき帯同していた〈影〉の兵たちは、全員騎士に昇格し、俺の専属の護衛になった。 「我が身命を賭して、殿下に申し上げたき議がございます!」  廊下の奥から、低く、朗々とした声が届く。  前に立つ兵士らに遮られてニコラスの顔は見えなかったが、声だけでも鬼気迫るものがある。張り詰めた空気が、まるで電流でも流れているみたいに、ピリピリと肌を刺すようだった。 「エドワード殿下は陛下より王族以外との面会を禁じられている。それ以上近付けば、近衛隊長とて無傷では済みませんぞ!」  カインも殺気立って、剣の柄に手をかける。  一触即発といった雰囲気に、「怖い」よりも「マズい」という気持ちが先に立つ。  こんな狭い廊下で立ち合うことになれば、双方が無傷ではいられない。  かといって、ニコラスの話を聞いたところで、おそらく彼の要望には応えられないだろうこともわかっている。 「ヤーゲル公。貴公の話を聞いたところで、私には何もできない。クラウス親子を擁護したければ、どうにかして宮廷裁判で証言台に立たれることだな」  ニコラスの迫力に気圧される自分を叱咤し、わざと突き放すように言い放った。その直後――。 「で、殿下!」  声と共に、背後で物音がした。  振り返ると、オトマーが杖を放り出し、這いつくばるように床にひれ伏していた。 「あ、あの……、ヤーゲル隊長は、北方におられたとき、少ない食料の中から俺たち孤児にも食べ物を恵んでくださっていました。悪い人ではありません! ど、 どうか……、お話だけでも、お聞きいただけませんでしょうか?」  この世界の本来の筋書きでは、ニコラスはカインを殺した人物だ。  オトマーが言うように「悪い人ではない」とは到底思えないが、彼が義に厚い人間であることは確かだ。  ヴィオラが俺に毒を盛った罪で捕縛されて以来、それまでクラウス伯爵と親交のあった貴族たちは、手の平を返すように彼から離れていった。今、この都であの親子を擁護しようとする人間は、この男くらいのものだろう。 「ヤーゲル公に一つ訊ねたい」  前にいた護衛兵がわずかに身をずらし、生じた隙間からニコラスの姿が見えた。  かつて獅子のようだと思った鋭い眼差しが、今は縋るような視線をこちらに向けている。 「北方で俺たちを襲った賊は、貴公の差し金か?」  ニコラスはわずかに目を見開き、初めて視線を逸らす。  逡巡を滲ませつつも、やがて覚悟を決めた顔で口を開いた。 「そうです。俺……、私が、賊の頭に、殿下たちを襲うよう命じました。私が勝手にやったことです。クラウス伯爵も、お嬢様も、与り知らぬことです」  曇りなき眼差しに、胸の内の疚しさを見透かされたような気分になった。  ニコラスが嘘をついていることは明白だ。彼に、カインを襲う理由はない。  これほど清々しく嘘を吐けるのは、きっと彼の中に、確固たる信念のようなものがあるからだろう。俺と違って。 「……わかった。話を聞こう」  隣にいたカインが、バッと音が立つ勢いでこちらを見た。 「エド、陛下のご命令を無視する気か!?」 「俺は謁見を許可していない。向こうが勝手に押し入ってきたのだから、父上の命令に背いたわけではない」  事態は望んだ方向――クラウス伯爵の断罪へと向かっているが、全てに納得できたわけじゃない。  このままあの親子が断罪されれば、きっと一生、後味の悪さが残る。ニコラスが何か知っているのなら、話を聞いてみたかった。  カインは不服そうではあったが、それ以上は何も言わなかった。  元々丸腰だったニコラスの体をセルペンスが衣の上から入念に探り、武器を所持していないことを確認すると、彼を部屋の中に通した。  ニコラスが、俺が座るソファから5メートルほど離れた入り口近くに跪き、俺の傍らにカインとセルペンスが立った。 「僭越ながら、エドワード殿下に申し上げます。クラウス伯爵令嬢が企てたとされる叛逆について、どうか真実をお明かしくださいませ」  ニコラスの迷いのない、きっぱりとした声が、閉ざされた部屋に響く。予想通りの訴えに、俺は口元に薄笑いを浮かべてみせた。 「それはまた妙なことを仰る。私はあの日の出来事について、覚えている限りすべてのことを調査官に話した。それをもとに真実を明らかにするのは、陪審の貴族たちだ。私に言われても困る」 「それは、殿下が真実を話されていれば、の話です」  カインの拳がぎゅっと握り込まれたのを、視界の端で捉える。 「ヤーゲル公! それはどういう意味だ!? 殿下が嘘を吐いていると仰りたいのか!?」 「はい」  ニコラスは声を荒げたカインには一瞥もくれず、まっすぐに俺を見つめたまま答えた。 「殿下は調査官に虚偽の説明をなさいました。殿下が他家のご令嬢に心変わりしたため、ヴィオラお嬢様が殿下に毒を盛ったという話は、嘘でございましょう? お嬢様は殿下に謁見なさる前日にも、久々にお目にかかれることを嬉しそうにご自慢なさっておいででした」  調査官の聞き取りの際、俺はヴィオラに毒を盛られた理由について、そう証言していた。他家の令嬢に心変わりしたことをヴィオラに手紙で伝えたところ、謁見の要望があった。あの日、面と向かって、彼女と婚約する気はないと伝えたため、恨みに思った彼女が私に毒を盛ったのだろうと。  実際にはそんな手紙も出していない。だが、ヴィオラ側がそれを主張したところで、ないものをないと証明することは難しい。少なくとも調査官は、俺の話を信じてくれた。  俺はこれみよがしに、苛立ちを滲ませた深いため息を吐いた。 「貴公は幼い頃からクラウス家で育ったそうだな。ならば、彼女の気性の激しさを私以上に知っておられるだろう?」  孤児であったニコラスはクラウス伯爵に拾われ、騎士になる前はクラウス家で使用人として働いていたという話だった。 「仰る通り、私はお嬢様を赤子の頃から見てまいりました。お嬢様の気性なら、殿下より存じ上げております。……だからこそ、です。だからこそ、お嬢様が殿下に毒を盛るはずがないとわかります。お嬢様なら、殿下の心変わりを知れば、そのお相手のご令嬢に毒を盛ります!」  一瞬、場がしんと静まり返る。  直後、俺は思わず、「ははっ」と笑みを洩らした。 「確かに、貴公のほうが、彼女のことをよく理解しているようだな。だが――、もし、私が嘘をついていたとして、それを明らかにして何の意味がある? 近々、クラウス伯爵は12年前の王太子殺害の首謀者として断罪されるだろう。そうなれば、ヴィオラ嬢も連座は免れまい」 「それも、間違いでございます」  ニコラスは毅然とした態度を崩さなかった。  予想外の返答に、俺のほうがわずかに身じろぐ。 「それはどういう意味だ?」 「言葉の通りです。クラウス様は、王太子殺害の首謀者ではございません。誰も信じてくださいませんが……、私は、12年前に確かに聞きました。ノヴァリオ侯爵が、『私が毒を盛った』と仰るのを」  カインが、俺と同時に息を呑む気配がする。  すぐには言葉が出てこなかった。いや、そんなはずはない、と思いながらも、ニコラスの堂々たる態度に、動揺を隠せない。 「た……、たわごとを申すな! かつての主を助けたいがための虚言だろう? 叛人に加担したとして、貴公まで首を跳ねられたいのか!?」 「クラウス様に救っていただいたこの命、元より惜しくはありません。ですが、この12年、北の国境がルヴァール帝国の侵略に耐えてこられたのは、あの方の陰のご尽力あってこそです。そのような方が大逆の濡れ衣を着せられるのは、我慢なりません」  俺は思わず、カインと顔を見合わせた。  嘘八百と撥ねつけるには、ニコラスの訴えはあまりに真に迫っている。  しかし、ニコラスの訴えを認めれば、12年前の事件の解明は再び振り出しに戻る。いや――、もしかしたら、ノヴァリオ侯爵が王太子殺害の犯人で間違いないという、俺たちにとっては期待とは真逆の結論が導かれるかもしれない。  これ以上知ることは危険だという予感が、踏み込むことを躊躇させる。 「私のほうから、お訊ねしてもよろしいですか?」  口を挟んだのはカインだった。 「クラウス伯爵が北方の防衛に尽力したというのは、どういう意味ですか?」  カインの口ぶりは、先ほどまでの警戒心が薄れ、普段通り落ち着いていた。おかげで、俺も多少は冷静を取り戻すことができた。  ニコラスの言うことが真実かどうかは後で検証するとして、彼が他に何か知っているのなら、洗いざらい聞き出しておくのが得策だろう。 「当時からヴァルトシュタイン辺境伯領に赴く者は金に困っている者ばかりで、クラウス様は辺境の情勢を報告することを条件に、かなりの額の餞別をくださっていました。そのために、王家の財産に手を出した可能性はあるかもしれないと、私も考えております。ですが、王太子の殺害については、あの方は潔白です。あのとき、私は王太子付き近衛隊にいて、騒ぎを聞きつけてクラウス様と共にいち早く駆けつけ、ノヴァリオ侯爵の告白を確かに聞いたのです!」  あの事件で、ノヴァリオ侯爵のポーチに毒瓶を忍ばせたとされる衛兵は、その後、北の国境を守る第七騎士団に配属され、任務で命を落としている。妹が重い病だったが、あの事件の直後に兄が金を用意し、高価な薬を買えたという話だった。その金は王太子殺しに加担した報酬ではなく、単なる餞別だったということなのか……。 「当時のことで、他に何か覚えていることはありませんか? あの事件においては、毒を盛ったのはお茶を運んだメイドだとされていて、その者は事件後、多額の持参金を用意し、娘を貴族に嫁がせています。メイドに金を渡したのはクラウス伯爵ではないのですか?」  カインが畳みかけた質問に、ニコラスは暫し、考え込むような顔をした。 「そのメイドのことは私も記憶しております。クラウス様がその者に金を渡したかどうかは存じ上げませんが、その者が、当時の王妃様付きの侍女と人目を避けて話しているのを見かけたことがあります」 「王妃付きの侍女だと?」  当時の王妃とは、側妃だった俺の母ではなく、亡くなった王太子の母君だ。 「見かけたのは私が空き時間に剣の稽古をしていた中庭です。王宮の奥まったところにあるため、そんなところで女同士話をしているのを不審に思い、記憶に残っておりました」  俺は再び、カインと顔を見合わせた。  王妃付きの侍女と聞いて思い出すのは、いつぞや、街に出かけたときに出会った初老の女のことだ。カインの顔を見て驚いた様子を見せたため、そのことを不審に思い、護衛兵に後をつけさせたところ、前の王妃の実家へ入って行ったという話であった。  何かが見えてきそうで、でも、未だに、真相は濃く暗い霧に包まれているような気がしてならない。  カインの、「どうする?」と窺うような視線と見つめ合ったのち、俺はニコラスへと向き直った。 「クラウス伯爵と話してみようと思う。彼の話すことを真実だと確信できたなら……、私も真実を話そう」  地下牢の入り口へと降りる階段には、常に二人の門番が警備している。門番も看守もカインとは旧知の仲で、「短時間だけなら」と中に入ることを事前に了承を得ているという話だった。  前を歩いていたカインが咎められることなく階段へと向かい、騎士服を着てカインの部下に扮した俺も、顔を俯かせて彼に続く。薄暗い階段には等間隔に燭台が灯されていて、かろうじて足元を確認できる程度だった。  降りていくにつれ、空気が湿気を纏い、冷たく感じるようになった。鼻をつくカビ臭い匂いに、背筋がぞわぞわと粟立つ。  降り切った先には鉄格子の堅牢な扉があり、そこにも二人の見張りがいた。カインの顔を確認すると、無言で扉の鍵を開けてくれる。 「一番奥の、右側です」  見張りのうち一人がカインの耳元で囁き、彼が軽く頷いた。  基本的に王城の地下牢に入れられるのは城内で罪を犯したものか、クラウス伯爵のような貴族以上の身分の者のみのため、囚人の姿はほとんどなく、牢の多くが空だった。  いくつもの牢を過ぎ、最奥、右側の扉の前で、カインと共に足を止めた。  他の牢と違って、そこには掛け布がかけられた寝台が一つあり、壁際には粗末な机もあった。伯爵の姿はなく、寝台の上の布が人型に盛り上がっている。俺たちの足音は聞こえていただろうに、沈黙のまま微動だにしない。 「クラウス伯爵。少し話をしたいが、よろしいか?」  声をかけると、人型が布を捲りながらのそのそと起き上がった。  牢の中には燭台はない。通路に取り付けられた燭台の明かりが射しこむのみで、上半身を起こしたまま目を凝らすようにしてこちらを窺っていた伯爵は、ふいに驚きに息を呑んだように寝台から身を起こし、駆け寄って来た。 「で、殿……」 「声を控えられよ」  カインが、低く潜めた声で伯爵を遮った。 「申し訳ありません」  伯爵は鉄格子を両手で掴み、崩れ落ちるように跪く。  俺とカインも、格子を隔てたその場所に片膝をついた。  着ているものだけはそれなりだったが、白髪混じりの髪と髭がぼさぼさに伸び、頬も削げた男に、かつての面影はなかった。 「殿下……。お願いします。私はどうなっても構いません。だからどうか、娘は……、ヴィオラだけは……」  涙混じりに必死に訴える姿に、伯爵も人の親だったのだと、至極当然のことを思った。 「私の質問に応えよ」  今度は俺が、伯爵を遮る。 「貴公の話すことを真実だと確信できたなら……、私も真実を明らかにしよう」    伯爵は涙と垢にまみれた顔を、そろそろと上げた。 「私は調査官の方に真実を全て話しました。12年前の王太子の事件について、私は何ら関与しておりません」  必死の眼差しの中に、わずかに怯えが見て取れる。  先日、ニコラスと話をしたからわかる。彼と違って、まだ何か知られたくないことがあって、それを知られることへの怯えのように思えた。 「私も、真実を全て話した。私はヴィオラに毒を盛られ、生死の境をさまよった」  濡れた目が大きく見開かれ、すぐにそれは伏せられる。伯爵は石の地面に頭を擦りつけていた。 「平民に落とされ、貴族の下働きにされても、修道院に入れられても構いません! だからどうか……、あの子の命だけは……、お助けください!」 「12年前……、」  静かに語りかけると、伯爵がひれ伏したまま、身を強張らせるのがわかった。 「兄上にお茶を出したとされるメイドが事件後すぐに王宮を去り、彼女の娘が貴公の派閥の下級貴族に嫁いでいる。持参金を用意したのは貴公という話だったな?」  それについては、調査官の聞き取りの記録で確認した。 「元々、その下級貴族とメイドの娘が恋仲で、派閥の貴族に相談された貴公が持参金を出してやり、二人の結婚を後押しした、と調査官に説明したそうだな?」 「さ……、さようでございます」 「だがそれは、俺たちが聞いた話とは違う」  伯爵が、ぴくりと身じろぎする。  張り詰めた空気の中、出方をうかがうような気配だけが伝わってくる。自分から話す気はないことを見て取り、俺は話を続けた。 「メイドの娘が預けられていた教会で聞いた話によると、当時彼女と仲がよかった修道女は、『母の勧めで貴族に嫁ぐことになった』と彼女が話していたと証言した。『優しくて、できれば見た目もよければいい』と目を輝かせていたということは、会う前から結婚が決まっていたということだ」 「そ……、それは……」  伯爵は口ごもり、しどろもどろに言い訳を始めた。 「貴族に娘を嫁がせたいというのが、あのメイドの長年の夢だったのです。実はメイドと私は憎からぬ仲で、女に頼まれて仕方なく……」 「ほう。随分と年増好みだったんですね」  茶化すように横やりを入れたのはカインだ。  伯爵の地面についた両手の指が、小刻みに震えている。 「……わかった。話はもういい。これ以上作り話を聞くのは時間の無駄だ」  投げやりに言い、腰を上げかけたとき――。 「あの女に、頼み事をしていたのです!」  苦しげに絞り出された声が、それを遮った。  俺は浮かせかけた腰を元に戻す。 「持参金は、その報酬です……」 「頼み事とはなんだ?」 「そ……それを話せば、どの道、我が一族は助かるすべがございません」  俺とカインは、顔を見合わせた。 「ヴィオラの件で、貴族たちは一斉に貴公を見限った。宮廷裁判では、必ずしも真実が証明されるわけではないことは、貴公もよくご存知だろう? 俺たちはただ、12年前の真実が知りたいだけだ」  伯爵が微動だにせず、俺たちが固唾を飲んでそれを見つめるだけの時間が、随分と長いこと続いた。  やがてそろそろと、髪をぼさぼさに乱した頭が持ち上がる。  顔を上げた伯爵は、覇気はないものの、数日前の、部屋に押し入って来たニコラスと似たような眼差しをしていた。覚悟を決めた者の目だ。 「あのメイドに渡した金は……」  その後、伯爵が語ったのは、俺たちが予想もしていなかった話だった。

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