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贖罪

 開門の鐘が鳴り響くのを待たず、東の空が白み始めると同時に、王城の裏門が静かに開かれた。陰鬱な石壁と苔むした石畳に囲まれたその場所を、門の横に掲げられた松明の明かりだけが煌々と照らしている。  膝丈ほどの粗末な麻の単衣(ひとえ)をまとった女と、それを護送する数人の兵士たちが門をくぐりかけ、その手前で足を止めた。罪人の女――かつての伯爵令嬢ヴィオラが体ごと振り返り、憎悪の眼差しを向けてくる。 「わたくしを処刑からお救いくださっただけでなく、わざわざ見送りに来てくださるなんて。殿下の慈悲深さには頭が下がりますわ」  面影を失うほどに痩せた頬には土埃がつき、炎のように輝いていた赤髪も、今は埃のせいで色がくすみ、ぼさぼさに乱れている。変わり果てた姿の中で、鋭い眼光だけが少しも変わらず、生気をみなぎらせていた。落ち窪んだ眼窩と目の下の濃いクマも、それを際立たせている。  カインが俺をかばうように、一歩前に足を踏み出す。それと同時に、別の方向から声がした。 「言葉を慎め。お前の首の皮なんぞ、殿下の御心一つでどうとでもなるのだぞ」    声の主は、護送隊の隊長であるニコラスだ。ヴィオラを国の外れの修道院に護送したあとは、彼女のお目付け役兼修道院の守番に着任する予定になっている。  子供の頃から使用人としてクラウス家に仕えていた彼に、そんな不遜な言葉を浴びせられるのは初めてだったのだろう。ヴィオラは一瞬驚いた顔をし、直後にキッと、そのニコラスをも睨み上げた。  憎々しげな眼差しは、再び正面の俺へと向けられる。 「だったら、さっさとわたくしの首も跳ねてしまえばよろしいでしょう? お父上にしたように。それとも殿下は、お父上の首を跳ねただけでは飽き足らず、わたくしに生き恥を晒せとおっしゃるのですか?」  ヴィオラの目に大粒の涙が浮き上がり、瞼からぽろぽろと零れ落ちては煤けた頬に涙の筋を作る。 「そうだ」  目を逸らすことなく、俺はそう答えた。 「生き恥を晒し、国や民のために祈ること以外に、今のお前にできることはないだろう? 俺も、俺のやり方で、自身の罪を償うつもりだ」  クラウス伯爵が王太子の婚約者であるセレナやその兄のカインの命を奪おうとした罪で断罪され、クラウス家は爵位を剥奪されて平民に落とされた。その中でもヴィオラは、父親の罪に連座するだけでなく、王太子の殺害を目的として俺に毒瓶を渡した罪により、修道院預かりとなった。  本来ならば、俺に毒を盛った罪で処刑されるべき立場にあったところを、伯爵の願いを聞き入れ、俺が飲んだのは彼女に渡された毒ではなかったことを国王(ちちうえ)に告白した。王太子の毒殺を企てようとしたことも、そうなるよう俺が仕向けたことを裁判で証言し、修道院預かりへと処罰を減じてもらえた。  俺の罪というのは、クラウス伯爵を断罪するために、彼女の野望を利用し、罪人へと仕立て上げたことにほかならない。    ふいにニコラスが、俺に向かって片膝を地面につき、右手を胸の前に置いて深く頭を下げた。  その姿を見るのは、彼が許可なく俺の私室へと押しかけて来たあの日以来だ。 「殿下の慈悲深きお心に、心から感謝いたします」  一度顔を上げた彼は、俺ではなく、俺の背後へとわずかに視線をずらし、話を続けた。 「お嬢は必ず修道院に送り届け、我が生涯をかけてお守りいたします。貴方様も、どうかくれぐれも、御身を大切になさってください」  「お嬢」という呼び方は罪人に対してふさわしくない。  俺ではなく、俺の背後で〈影〉の者たちに囲まれている人物への言葉だと思えた。  実の娘は全く気付いていないのに、血の繋がらない彼が気づいたのは、さすが百戦錬磨の武人と言うべきか。 「ヴィオラ嬢のこと、頼んだぞ」  声を発することのできないその人物に変わってそう言うと、ニコラスは再び深く頭を下げ、ヴィオラはそんな彼に冷ややかな一瞥をくれて、無言で踵を返した。  俺が転生する前の従来のストーリーでは、ニコラスも、王子である俺や同行していたセレナを襲い、カインを殺害した罪で処刑された。今回の彼は、クラウス伯爵の求めに応じて、カインを辺境地の視察に行かせるよう王太子に進言したが、一行を賊に襲撃させる計画までは知らなかった。視察は宮廷議会でも必要と判断され、王太子もカインも納得してのことだったので、罪には問われなかった。  記憶が正しければ、従来のストーリーでは、ヴィオラが舞踏会でセレナに媚薬を盛り、地方の男爵に襲わせようとした際の、その男爵というのもニコラスのことだった。だが、転生後の今回は、媚薬は俺が奪ってカインにぶちまけたため、罪状として立証するのは難しい。  ニコラスの罪は、謁見を禁止されていたにもかかわらず、許可を得ずに俺の私室に押し掛け、クラウス親子の減罰を嘆願したことだ。それは男爵の地位を剥奪され、騎士団から除名されるような罪ではなかったが、彼自身が平民となり、ヴィオラが送られる修道院の守番になることを望んだ。  王太子妃なんかになるよりも、きっともっと身近なところに、誰よりも幸せになる道がある。ヴィオラが早くそのことに気づけばいい。  そんな願いを込めて、石畳を下りていく一行を見送った。  彼らの姿が朝もやにかすみ始めた頃、堰を切ったように、背後から嗚咽が聞こえてきた。 「エド……殿下……、ありが……ざいます……。ありがとう…………います……」  頭から深くフードをかぶったまま、地面に崩れ落ちてしゃくり上げているのは、クラウス伯爵――今は伯爵ではないため、クラウス翁と呼ぶべきか――だった。  表向き、彼は既に処刑されたことになっている。王太子の婚約者を毒殺しようとした上に、視察団を賊に襲わせ四人の騎士の命を奪った。処刑されて当然の罪ではあるが、表向きは処刑したことにし、今はまだ第三王子預かりということで牢に繋いでもらっていた。  彼が不正に金を集めていたことも事実だが、その金で辺境を守る第七騎士団に兵を集めることができていた。第七騎士団とは太いパイプがあり、賊に視察団を襲わせることができるほどに、辺境地付近の地下勢力とも通じている。  宮廷貴族の中で誰よりも国防に寄与してきた人物でもあり、今後、新たな道を模索する上で、なくてはならない人物であることも、また事実であった。  賊に襲われて亡くなった四人の騎士たちにも、守りたかった家族がいる。俺の決断を許すことはできなくても今は傍観していてほしいと願うしかなかった。  愛読していた物語は、クラウス伯爵を断罪し、エドワードが王太子となり、セレナが王太子妃となったところで完結する。だが、この先もこの世界に生きる人々の人生が続いていく以上、クラウス伯爵が処刑されたところで、何のハッピーエンドでもない。第三王子という立場を受け入れる覚悟をして初めて、そのことに気が付いた。 「俺は……、貴方のしたことを、許すことはできない。だが、守りたい者が生きている間は、貴方にとってこの国は、まだ守りたい国であるはずだ。これからは、その知識と経験を、人を幸せにするためだけに使ってください」  泣き崩れて動こうとしないクラウス翁を、どうしたものかと考えていると、傍らにいたカインが控えめに声をかけてきた。 「人に見られる前に戻ったほうがいい」  ヴィオラを見送ることも、牢からクラウスを連れ出してその場に立ち会わせることも、父上の許可を得ているが、たしかに貴族たちに見つかれば、難癖をつけられることになる。 「そうだな。公を牢に戻したあとは、お前たちも朝餉をとって出立までゆっくりしてくれ」  〈影〉の者たちに声をかけると、「――いや」とカインに口を挟まれた。 「寄りたいところがあるから、できれば朝餉を取ったらすぐに出立してもいいか?」  セレナと兄上との婚姻の儀が正式に決まり、それに先立って、セレナは一度実家に戻ることになった。クラウス家が断罪された今、セレナの命を狙う輩はそうはいないと思うが、念のため、アルベール家には騎士団から部隊が派遣され、屋敷の警備を強化される。今日はその警備状況を確認する目的でアルベール家に出向き、一泊滞在する予定になっている。  警備状況を確認するだけなら、午後から行っても時間的に十分かと思っていたのだが……。 「寄りたいところってどこだ?」 「行けばわかる」  なぜかカインはそんな返事でお茶を濁した。  カインに連れて行かれたのは、貴族街から半里ほどのところにある墓地だった。  見晴らしの良い小高い丘の上にあり、眼下の林の向こうに、貴族街の屋敷が豆粒ほどに小さく見える。  芝生の斜面には白い墓石が整然と並び、それを見守るように、小塔の上に十字架を掲げた古びた教会が立っていた。  道すがら、カインが市民街の花屋で馬車を止めたときから、なんとなく行き先は予感していた。  無言で馬車を下りたカインに続き、朝露に濡れた芝を踏みしめ、彼の背中を追う。  彼が足を止めたのは、二つ並んだ墓石の前だった。どちらの碑にも故人の名は刻まれていない。ただ、こう記されていた。  神はその名を知りたもう  祖国と愛する者のために安らかに眠れ  薄紫のアイリスに白いカンパニュラを添えた花束をその二つの墓石の間に置き、カインが膝を折った。俺もそれより少し下がった位置で片膝をつく。 「この場所はアルベールの義父(ちち)も知らない。陛下が俺にだけ教えてくださった」  独り言を呟くように、カインがここに来て初めて言葉を発した。  俺は何を言えばよいのかわからず、「そうか」とだけ絞り出した。  聞かずとも、二つの墓に眠っているのが誰かはわかる。父上がカインにだけ教えたということは、彼の実の両親であるノヴァリオ公夫妻以外に考えられない。  墓石に名前がないのは、王太子殺害の罪で処刑された公も、連座で処刑されるはずのところを、それを待たずに自ら命を絶ったその妻も、本来なら墓に入ることを許されない立場だからだ。  けれど、真実は異なる。  12年前に王太子を毒殺したのは、ノヴァリオ侯爵ではない。  だが、公はそれに代わる、ある重大な秘密を抱えていた。  彼は王太子の実の父親だったのである。  すなわち、第一王子(あにうえ)は俺とは血が繋がっておらず、カインと半分だけ血の繋がった兄弟だったということになる。  先の王妃、オフィーリア妃の侍女をしていた女を訪ね、殺害された王太子がカインとよく似た顔立ちだったことを知り、俺たちはその真相に辿り着いた。侍女が、城のメイドを通じて、クラウス伯爵から預かったものを王妃に渡していたことも明らかになった。その中身が毒であったことは、王太子の事件が起こるまで侍女も知らなかったようだ。  年齢が上がるにつれ息子がかつての恋人に似てきたことで、不義が露見することを恐れた王妃が実の息子に毒を盛った可能性もなくはない。  けれど、当時8才だった俺でも覚えているほどに、息子に先立たれた王妃の嘆きは凄まじく、とても見ていられないほどだった。王太子の死後、心を病んだとされる王妃はまもなくして王宮を下がり、やがて病で亡くなったと聞いている。  なんとなくシナリオは見えてきたものの、それを父上に確かめてよいものかわからず、まずはアルベール公にこのことを打ち明けた。そうして、秘かにカインをアルベール公に託したのが国王だったことを知らされた。  父上は、全てご存知だったのだ。  筆頭公爵家の令嬢だったオフィーリア妃は、当時王太子だった父上との婚約が決まる前、ノヴァリオ侯爵と秘かに思いを寄せ合っていた。婚約が決まり一度は別れたものの、王宮に入る前に最後にもう一度だけ会いたいとオフィーリア妃が乞い願い、二人は人目を忍んで密会した。顔を見れば気持ちを抑えられなくなり、若い二人は禁忌を犯してしまったのだろう。そのときにできた子どもが、やがて第一王子として生まれてきた。  年齢が上がるにつれ息子がかつての恋人に似てきたことで、不義の露見を恐れた王妃が殺害を企てた相手は、王太子ではなく夫である国王陛下だった。王が崩御し、息子が新たな王になってしまえば、血筋に疑問を抱いたところで誰も何も言えなくなる。  そのためにまずは毒の入手をノヴァリオ公に依頼し、その会話を王太子が秘かに聞いてしまったようだ。ノヴァリオ公は即座に協力を拒否し、王妃にも怖ろしい考えは捨てるよう説得したが、王妃は諦めていなかった。メイドが王妃付きの侍女に、「クラウス伯爵から託ったものです」と何かを渡しているのを見て、王太子はそれが毒だと直感した。王太子(あにうえ)は自分が生きている限り、王妃(はは)国王(ちち)の命を狙い続けると考えたのだろう。それ故――。  王太子が自ら毒を飲みすでに事切れているところをノヴァリオ公が発見したとき、傍らには、ただ生まれてきたことを詫びる言葉だけが綴られた遺書が残されていたという。ノヴァリオ公はその遺書を暖炉の火にくべ、自ら王太子を殺害した罪をかぶり処刑される道を選んだ。  ノヴァリオ公は王にのみ真実を告げ、過去の過ちを詫びたそうだ。  かばいたかったのは、きっとかつての恋人ではない。  当時、宮廷内で隣国への侵攻をめぐる動きがある中で、王妃が王の殺害を企てていたことが明らかになり、王妃の父であるローゼンタール宰相が失脚すれば、主戦派が一気に活気づき開戦へと傾く状況だった。  王太子が実は王の子ではなかったというのは、民の王家への信望を失墜させるスキャンダルでもある。  王は別の道を探そうとしたものの、王家を欺く結果を招いた自らの罪も償いたいという公の決意は固く、最後にはその望みを受け入れたという。  公が守りたかったのは、国の平和と、王家の名誉だったのではないかと思う。  だから父上も、妻子の命だけは助けてほしいという彼の願いを聞き届けようとした。けれど、ノヴァリオ公の親友であったアルベール公に、秘かにノヴァリオ公の妻子を逃がし生活を助けるよう指示を出したときには、既にカインの母は自ら毒を飲み命を絶っていた。  王はアルベール家の養子となったカインがノヴァリオ公の子息であることもご存知だった。  アルベール公に、いつかもしカインが自ら真実に辿り着く日が来たときは、王宮を訪ねるよう伝えていたらしい。  トーナメントの後、カインが王に謁見した際、人払いをしてしばらく陛下と二人で話をしていたから、両親の墓のこともそのときに聞いたのだろう。  (こうべ)を垂れ長い間祈りを捧げていたカインがゆっくりと頭を上げた。  風にそよぐダークブラウンの髪が、光を受けて黄金色に輝いている。 「優しい人だった。母上のことも、俺のことも、心から愛してくれていて。俺の記憶の中の父上は、ただそれだけだ」  俺は膝立ちですり寄り、彼の背中と髪をそっと撫でた。 「君を見れば、わかる」  もしかして泣いているのかと思ったが、こちらを振り向いた顔は、何かを吹っ切れたような清々しい表情をしていた。  腰を上げたカインに続き、俺も立ち上がる。  カインはすぐには歩き出さず、眩しそうに切れ長の目を細め、遠くの景色を眺めていた。  その姿に立ち去りがたい空気を感じ取り、俺は控えめに声をかけた。 「ご両親と、十分に話はできたか?」  まだ話し足りないようなら、カインを残し、俺だけ先に馬車に戻ろうかと思ったのだ。 「お前の紹介なら、十分にできた」  随分長いこと祈っていると思っていたら、そんなしょうもない話をしていたらしい。  ノヴァリオ家の血筋を絶やしてしまうかもしれないことを詫び、前世の記憶を紐解いて、「不束者ですが、よろしくお願いします」と定番の挨拶をしていた俺も、似たようなものではあるが。 「紹介ならひと言で済むだろ。愚痴を言ってただけじゃないのか?」  気恥ずかしさから、責めるような口調になる。  カインは一瞬考える表情をし、「間違ってはいない」と嘯いた。 「エドが騎士団の稽古に参加すると、お前に見惚れて怪我をする騎士が続出して困るとか、仕事中は側近に徹しようと思っているのに、二人きりになるとつい触りたくなってしまうとか、そんな話だ」  カインが薄い唇の端をニッと上げる。  俺をからかうときだけ、無口なこの男は饒舌になる。  軽く睨み歩き出そうとしたが、ふいに両腕を引かれ、向かい合う体勢にさせられる。カインが今度は俺に向かって、再び片膝をついた。   「エド。あのときの誓いを、ここでやり直したい」  「あのときの誓い」という言葉で思い出すことは一つしかない。  トーナメントのあと、部屋に来たカインが今のように俺の前に跪き、言った言葉だ。 『我が生涯をかけて、殿下にお仕えし、お守りする許しをお与えくださいませ』  そう誓ったときと同じように、ヘーゼルの瞳が真剣な中にどこか焦燥を滲ませて、真っすぐに見上げてくる。 「エドワード。お前を生涯の伴侶とし、共に年を取り、一生幸せに生きていくことを、お前と実の両親に誓う。国の平和を守り、両親の分まで長生きして、末永くお前と一緒にいたい」  不意打ちに、ただ目を見開いて固まっている俺に構うことなく、カインは俺の右手を恭しく持ち上げ、手の甲に顔を伏せた。  優しく押し当てられた唇はあたたかく、じりと皮膚を焦がすようだった。 「お、俺も……」  慌てて俺も彼の前に跪いた。 「俺も、カインと、君の両親に誓う。俺の一生をかけて、ご両親の分まで、君を幸せにする。君の傍にいて、君を笑わせ、君と幸せな日々を送り、末永く君を愛すると誓います」 (……こういうときって本当はあれを言うんだっけ? 『病める時も健やかなる時も』ってやつ……)  前世の記憶が一瞬頭をよぎったが、意味は同じだからいっか、と即座に却下した。  熱っぽい目で見つめられ、彼の意図を察し、緊張で喉が鳴る。  剣だこのできた無骨な指が頬に触れ、指先が耳にかかった髪をかすかに擽る。  顎を引き寄せられ、俺は目を瞑り誓いのキスを受け入れた。

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