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第4話 京城衛将軍
扉の開く音に、詩鸞 ははっと息を呑み、反射的に身構えた。
そろ、と、扉のほうを見ると、入ってきたのは小柄な女性である。彼女はすぐに詩鸞が寝台の上に身を起こしているのをみとめて、あ、と、声を上げて、大きな眸 を瞬 いた。
「お目覚めになったのね。よかったわ」
ほう、と、息をつくように言うと、そのまま詩鸞のほうへと近づいてきた。
「ご気分はいかがかしら? あなたね、丸一日くらい眠っていらしたのよ。旦那さまも、それはそれは、ご心配なさっていて……あ、そうだわ! 旦那さま! 旦那さまにもお客さまのお目覚めをお知らせしないと……!」
そう言って踵 を返そうとする相手を、詩鸞は慌てて引き留めた。
「ちょ、ちょっと待ってください! あの……ここは、何処 なのでしょう? わたしはいったい……」
いまにも部屋を出て行ってしまいそうだった相手を呼び止め、目に困惑をいっぱいに浮かべた詩鸞は、追い縋 るように彼女に問うた。そんな詩鸞の眼差しを受けて、女性は、ぱちぱち、と、大きな目を瞬いた。
「ああ、そうよね。それは混乱しますわよね。すみません、私ったら……」
頬に手を当てつつ、ちら、と、苦笑すると、彼女はちいさく肩を竦 めた。
「ここは汪 令雅 さま……京城 衛 将軍の、お屋敷にございます」
「京城、衛……将軍……?」
詩鸞はぽかんとした。
京城衛といえば、京城 である瑛洛 の警備全般を司る組織である。その職務の最たるものは、主に京城を襲う妖魔討伐だったはずだ。
皇帝の在所である京城・瑛洛と、その周辺を襲う妖魔の害に対応すること――……そのために組織された、少数精鋭の部隊。
京城衛に所属する兵卒は、みな、普通の兵卒に倍する実力を持つ、選び抜かれた精鋭だといわれていた。将軍といえば、その部隊の長 ではないか。東の辺境出身の、ごくごく普通のいち庶民に過ぎない詩鸞からしてみたら、まったくもって、雲の上の人物だった。
そんなお偉い御方の屋敷になぜ自分などが、と、ますます困惑を深めたところに、不意に、再び扉が開く音が聞こえてきた。
詩鸞はそちらを見る。
そして、息を呑んで、目を見開いた。
「あ、なたは……!」
今度入ってきたのはしなやかに引き締まった体躯の、長身の男だった。
浅黒い肌、どこか猛禽類を思わせる橙 まじりの茶金の眸。焦げ茶色の髪にまじった、前髪の一房の燃えるような赤。そしてなにより、頬や首、腕など、見える限りに広がっている、鎖のような赤黒い痣。
「あ、のときの……破廉恥 男っ!」
詩鸞は思わず相手を指さしてそう声を荒 らげていた。
「なっ、貴様……! 将軍に向かって何という口をきくんだ!」
詩鸞の言葉を受けてそう抗議したのは、男の背に付き従うように入室してきたもうひとりの青年である。こちらもどうやら兵卒のようで、男と同じような短袍に身を包み、腰には剣を提げていた。
彼は男を追い越すようにして部屋へ入ると、足音も高く、つかつかと詩鸞のいる寝台へ近づいてくる。そのまま、目を怒らせて、仁王立ちの恰好になった。
「貴様、こちらの御方を誰だと思っているんだ!? 去年、最年少の二十歳 で京城衛の将軍に就任された、京城の守りの要 、汪 令雅 さまだぞ!」
「は!? そんなの知りませんよ! 破廉恥男に破廉恥男と言って何がいけないんですか! いきなり人に口づけするなんて……」
売り言葉に買い言葉のようにそこまで言って、詩鸞は目の前の青年を、き、と、鋭く睨みつけた。しかしその後で、はた、と、言葉を失う。
「……って、京城衛、将軍……? そこの、ひとが……?」
信じられない思いで、扉のところに佇 んだままの男を見る。男は肯定も否定もせず、ただすこしだけ苦笑するふうをみせて、詩鸞に眼差しを送っていた。
「そうだ。わかったらまず、貴様は将軍への非礼を詫 びろ」
目前の青年は、不愉快げに鼻頭に皺 を寄せつつ、ふんぞり返るようにして言った。
「は? 非礼を詫びるというなら、まずはあっちがさきでしょうが!」
男の態度と言い方に腹が立って、詩鸞はまた扉のところの男を指さした。
男をじっと見る。
男もまた、真っ直ぐに詩鸞を見据えていた。
が、やがて、ひとつわずかに息を吐くと、部屋の中へとゆっくり足を踏み入れてきた。そのまま歩んで、中央の、丸い卓 が据えられた位置で立ち止まると、そこから再び、詩鸞へと静かな眼差しを向けた。
「気分はどうだ? 起きられるならここへ来て、茶でも飲まないか。――昨日の非礼については、詫びる。俺は、あんたと話がしたい」
とんとん、と、軽く卓を叩くようにしながら言われる。
どういうつもりだ、と、詩鸞は相手に警戒の視線を向けた。
「おい、将軍の誘いだぞ。早くしないか」
隣で青年がまた喚 いた。
「佑祥 、ちょっとうるさいわよ、あなた。旦那さまのお客人に対して、失礼なのはあなたのほうじゃないの」
呆れたように咎 めたのは、最初に部屋にやってきた女性である。佑祥と呼ばれた青年が、指摘され、う、と、言葉に詰まったところで、彼女は詩鸞に向けてしずかに微笑んだ。
「ごめんなさいね、この人、うるさくて。お客さまは、おなかは空いていらっしゃらないかしら? お菓子もご用意いたしますから、よかったら卓へお付きになってくださいな。さ」
穏やかに促され、詩鸞は戸惑い、迷ったすえに、結局は寝台を降りることにした。いつまでも寝台の上で籠城を決め込んでいたって、事態は変わらないだろう。
恐る恐るという態 で、卓の傍、汪令雅という名らしい相手のほうへとへと近づいていく。こちらを待ちかまえていた男は、丁寧な仕草で椅子を引き、詩鸞をそこへ掛けさせた。自分は向かいの席に座る。
「蓉香 、茶を」
女性に短く命じ、応じた彼女が部屋を出ていくと、ほう、と、またひとつ吐息して、改めて詩鸞へと視線を向けた。
「非礼は詫びる。が、あんたは神託の相手……俺には、あんたの協力が必要なんだ。――単刀直入に言う。俺と、まぐわってほしい」
詩鸞を前に男は、そんなとんでもないことを口にした。
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