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第5話 謝罪

 蓉香(ようか)と呼ばれた女性は、ひとたび部屋を出で行ったあと、ほどなくして茶器や菓子などを入れた(はこ)を持って戻ってきた。  彼女の手で、卓の上には、じつに手早く茶の用意が整えられていく。香り高い茶と、紅梅を象った繊細な菓子とが卓に並べられていく様を、詩鸞(しらん)は黙って見守っていた。  ちら、と、男のほうをうかがってみる。  蓉香が詩鸞の前に茶の入った器を出し終えたところで、相手は自らの茶器を手に取って、ひと口それを呑んだ。 「なにから話すべきか」  ほう、と、息をついた男が最初に言ったのは、そんな言葉だ。  そんなことを言われても、こちらとしては、何もかもがわからない。詩鸞がむっと押し黙っていると、ふたりの間の微妙な空気を感じ取ったのか、蓉香が声をかけてきた。 「お客さまも、どうぞ召しあがってくださいな。――こちらも、ぜひ……特別なお菓子ですのよ」  穏やかな声に促されて、詩鸞は茶器を取る。ちょうど良い温度で()れられた茶は、香りも味も上品で、きっと随分と良いものなのだろうと思われた。  卓に並んだ菓子もそうだ。特別なもの、と、蓉香は言ったが、一見して、まるで祝い事にでも供されるかのようなそれだった。  京城衛将軍だというこの屋敷の主の水準の高い豊かな暮らしぶりが思われる。  一瞬、妖魔の襲撃に()って灰燼と帰し、その後はそのまま打ち捨てられて廃墟と化してしまった我が故郷の姿が脳裏に浮かんだ。詩鸞は無意識に眉根を寄せていた。  その詩鸞の表情を、どう受けとめたのだろうか。 「非礼は、()びよう」  男が口を開いた。口にされたのは謝罪の言葉だ。どうも相手は、詩鸞が眉間に(にじ)ませた感情を、己の一連の礼を失する振る舞いに対する不快からくるものだと思ったようだった。  そうではなかったが、それはそれとして、男の行為に対して腹を立てているのも事実だ。  詩鸞は敢えて訂正はせず、じろ、と、男を見た。  腹立ち(まぎ)れに卓の上の菓子を乱暴に手づかみし、口の中へと放り込む。むぐむぐ、と、咀嚼(そしゃく)して呑み込み、いっそ行儀悪く、(あお)るように茶を()んだ。  とん、と、音を立てて茶器を置き、ふう、と、息を吐く。  そんな詩鸞のあからさまな態度を見た男――(おう)令雅(れいが)は、わずかに目を(みは)ると、それから、ふ、と、ちいさく苦笑した。 「すまなかった」  深々と頭を下げてみせる。  それなりの立場があるはずの人物のあまりにも素直な謝罪に、詩鸞はやや、面喰った。軍属とは、もっと、身勝手で冷酷な存在だと思っていた。 「ま、まったくです」  それでも、詩鸞は意地を張るように、そう言い募る。 「将軍ともあろう御方が、か弱い庶民に、いきなりあんな破廉恥な真似……しかも廟堂の、ご神像の前でなんて。謝って済む問題ではないと思いますけどね!」 「なっ! お前はまた、将軍に向かってそんな口を!」  再びいきり立って口を挟んだのは、先程、佑祥(ゆうしょう)と呼ばれていた青年士卒である。詩鸞と令雅とが卓について向かい合ってから、彼は(しか)めっ(つら)を隠さぬまま、令雅の後ろに立っていた。 「佑祥、黙れ」  令雅は溜め息とともに、青年を(たしな)めた。 「しかし、汪将軍。こいつは……」  佑祥はまだ不満げに何かを言いかけたが、令雅は(かぶり)を振って、その言を押し止める。 「俺が彼に失礼を為した事実の前に、俺の地位などは関係ない。詫びて当然のことをしたのは俺のほうだし、詫びを受けたうえで、許す許さないは彼の判断だ。彼の気持ちは、こちらがどうこうと口を挟めることではない」  冷静な語り口で言う相手は、とてもではないが、初対面の相手にいきなり接吻などという無体を働くような人間には思えなかった。  またしても意外な思いが湧いてくるとともに、詩鸞の中の怒りはすこしだけ(しぼ)んでいた。  それに反比例するかのように、廟堂での行動には何かのっぴきならぬ理由があったのかもしれない、と、そんな気持ちがふくらんでくる。 「あ、の……」  躊躇(ためら)いつつ声を上げると、(だいだい)まじりの茶金の(ひとみ)が詩鸞を見た。 「ああ、すまない。自己紹介もまだったな。――俺は、汪令雅という。昨秋より、京城(きょうじょう)(えい)将軍の任を陛下から拝命している。で、後ろにいるこれは、()佑祥(ゆうしょう)。俺の副官だ。そちらは()蓉香(ようか)。俺の乳母(めのと)()で、親子ともども、長く我が(おう)家に仕えてくれている」  令雅は己の名や身分を明かすとともに、その場にいる他の人物たちを紹介した。それでも佑祥はむすっとしてそっぽを向いたままだったが、蓉香のほうはそっと笑んで、ちいさく詩鸞に目礼をくれた。  礼には礼を返さねば、と、詩鸞も蓉香には軽く頭を下げる。 「()詩鸞(しらん)です。(しん)()利陶(りとう)の」  詩鸞が名乗ると、令雅はちらりと片眉を上げた。 「利陶……国の、東の外れだな」 「悪かったですね。どうせ田舎者ですよ」  詩鸞が反射的にむっとして返すと、令雅は首を横に振った。 「そんなつもりで言ったんじゃない。気を悪くしたなら謝る」  今度もまた素直に詫びの言葉を口にした。  そんなふうにされると、いちいち()(かか)るような物言いをした己のほうが悪いことをしているような気になってくるではないか。詩鸞は、こほん、と、軽く咳払いをして、茶をひと口含み、令雅を見た。 「それで? 話したいことって、何なんですか? さっき神託とか言ってましたよね。ついでに、先の無体の理由(わけ)も説明していただきたいです」  詩鸞は畳みかけるように問う。 「ああ。そうだった。――単刀直入に言う」  令雅は茶金の眸を、真っ直ぐに詩鸞に向けた。 「あんたに、俺と、まぐわってもらえないかと……協力してもらえないか?」 「ま……まぐわっ……!?」  令雅の発したあまりの言葉に、詩鸞は目を白黒させた。  まぐわうとは、あのまぐわうか。  交合、交接、交歓。性交、情交。同衾、閨事。なんでもいいが、あの、いわゆる、まぐわいだろうか。 「なっ、あ、あなた、いったい、何を……っ! いきなり口づけしただけでは飽き足らず、まぐわいだなんて……破廉恥なっ!」  詩鸞はわなわなとふるえつつ、頬を真っ赤に染めて言う。対する令雅は冷静そのもので、じっとこちらを見据える眸は真剣だった。 「無理は承知で頼んでいる」  そう言う相手は、すくなくとも、冗談を言ったり、詩鸞をからかったりしているというわけではないようだ。そのことは、令雅の真摯(しんし)な表情から、わかる。  だが、だからといって、はいそうですか、ではさっそく(いた)しましょう、と、(うべな)えるはずもない話だった。 「その、とりあえず申し上げておきますが……わたしは、男ですけれど」  頬を染めたままで、ぼそぼそ、と、言うと、令雅はちいさく苦笑する。 「そのようだ。それについては、俺も予想外だった」 「は?」  相手の口にすることは、いちいち、わけがわからない。しかしどうやら、令雅が廟堂で詩鸞を見初(みそ)めて我を忘れて求愛しているだとか、そうした色恋めいた話というのではないようだった。 「あの……できれば最初から順を追って説明していただけます?」  何がどうして己とまぐわえなどというとんでもない要求が出てくるのか。何やら事情があるようではあったが、きちんと順番に話してくれなければ、どう動くことも出来ないではないか。  詩鸞が求めると、令雅は、うん、と、ひとつ、(うな)るような声を出す。 「何から話せばいいか……とりあえず、あんた、京城衛の仕事を知っているか?」  問われて詩鸞は、こく、と、うなずく。 「京城の警備、ですよね」 「そうだ。京城内の治安維持なんかは皇宮(こうぐう)()の役人があたるから、俺たち京城衛が担う職務は、主に外からの脅威(きょうい)――妖魔への対応になる」  人間が暮らす場所はすべからく郭壁に囲まれており、その行動範囲は――すくなくとも地上ということで言うなら――郭壁(かくへき)のまわりのわずかな地域のみだった。  その周囲、森の中には妖魔がいる。  そして、特にこれが多いとされるのが、辺境といわれる国の端の地域と、そしてなぜか、中央、すなわち京城の付近なのだった。  どこからともなく湧き出た妖魔は、時に人馬を襲い、土地を荒す。嵐や火災、疫病など、諸々の(わざわい)をもたらすこともある。  妖魔を退治することが出来るのは、特殊な訓練を受け、神気(じんき)と称される精力(しょうりき)を体内で練って武器に込めることが出来る者たちだけだった。そうした精鋭部隊のひとつ、かつ、国内最強と言っても過言ではない組織が、京城を守護する京城衛なのだった。  その京城衛の将軍が、いま、詩鸞の目の前にいる。 「――いまから半月ほど前のことだ」  令雅はそう、口を開いた。

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