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第6話 呪詛

「半月前、ここ瑛洛(えいらく)の東の森に、太風(たいふう)と呼ばれる妖魔が出た」  重々しい口調で、(おう)令雅(れいが)京城(きょうじょう)(えい)将軍は言った。 「太風……?」  詩鸞(しらん)(つぶや)く。それは詩鸞にとって聞き覚えのない名称だった。  詩鸞とて、皇帝直属官として各地を巡察する任を負う監察(かんさつ)使()を目指す身である。此度も、その資格を得るために上京し、間もなく試験に臨むところだ。  そして、監察使というのは、妖魔の出没について監視するのもその職務のひとつなのである。だから妖魔の種類についても、それなりに勉学を重ねてきたつもりだった。  その詩鸞が知らないということは、頻繁に現れる(たぐい)の妖魔ではないのかもしれない。 「東方にある青丘(せいきゅう)(さわ)()むという、伝説の妖魔、だそうだ。というか、伝承にしか記されていないような存在で、いったいどういうものなのか、(ろく)にわからないというのが実情なんだが。青丘というのがどこを指すのかも不明だしな。――ただ、太風は破壊をもたらす怪鳥なんだという」 「怪、鳥……ですか」  (とう)国においては、鳥の姿をしたものというのは、総じて霊威(れいい)が高いと信じられていた。神や、神の使いはすべて、鳥の姿をしている。妖魔であっても鳥形のものであるなら、それだけ力の強い、兇悪な存在であることが想像された。 「太風の目覚めに最初に気がついたのは、京城周辺の森に巡察に出ていた俺の部下と、監察使だった。が、なにしろ太風は、文献にしか出てこないような伝説上の知見しかない存在だ。人間の手に負えるような存在なのかどうかもわからんし、下手に刺激しない方がいいかもしれん。それで、もうしばらく様子を探ってみることになった。引き続き、部下と監察使とがその任にあたることになって、森へ戻ったんだが……」 「その方々は、その後……?」  なんとなく嫌な予感を覚えつつ、詩鸞は恐る恐る訊ねる。令雅はちいさく眉根を寄せ、くちびるを引き締めた。  黙り込んでしまった令雅に代わって答えたのは、彼の副官だという佑祥(ゆうしょう)だった。 「戻らなかったんだよ。というか、戻ったのは、斬り傷を負った乗騎の霊鳥だけだったんだ。背中には、すでに息絶えた兵卒を乗せていた。監察使のほうは、いまだに消息不明のままだ」  詩鸞は言葉を失った。  話を聞く限り、監察使のほうもまた、とても無事でいるとは思えなかった。なにしろ妖魔のうろつく森で消息を絶ち、そのままになっているのだ。令雅や佑祥が見せる痛ましげな表情の意味は、あらためて問うまでもなかった。 「そうこうするうちに、城郭の東に怪鳥が姿を見せた」  佑祥が言葉を継いだ。 「京城衛は、汪将軍を主軸に、太風を迎え撃った。けど……」  そこで口籠った佑祥の言葉を、令雅が受ける。 「不甲斐ないことに、俺たちは、太風にとどめを刺すことが出来なかった。取り逃がしたんだ。そして、俺のこの(あざ)は……」  令雅は言って、卓の上に己の腕を乗せると、二の腕あたりまで短袍(たんほう)筒袖(つつそで)(めく)りあげた。  (あら)わになった逞しい腕には、(ゆが)んだ(くさり)紋様(もよう)が、()いずりまわるように伸びている。着物で覆われていて定かではないが、もしかしたら、その痣は令雅のほぼ全身に及んでいるのかもしれなかった。 「皇宮の神廟に仕える祭祀が言うには、これは呪詛(ずそ)のようなもの、らしい。俺は太風を斬り、そのときに、やつの返り血を浴びた。おそらくそのせいでこうなったのだろう、と」 「呪詛、ですか」 「ああ。太風の血には破壊の力が宿るとか。以来、俺は、神気(じんき)を練ることができない。いや、正確に言うと、練ると反動のように、この痣が瘴気(しょうき)を発するんだ。――まあ」  そこで一旦言葉を切った令雅は、ふう、と、溜め息をついた。 「瘴気が俺の身を(むしば)むだけなら、べつに、いいんだ。が、その強烈な邪気は、周囲の草木は枯らすし、まわりの生き物をも害してしまう。傍で戦う部下を含め、な。とはいえ、それを気にして神気を練らなければ、霊鳥(とり)も操れないし、妖魔も倒せない。京城衛としての務めが果たせないというわけだ」  嘆息する令雅の後ろで、佑祥が口惜しそうにてのひらを握りしめていた。 「それは……お困りでしょうね」  ふたりの見せる深刻な様子に同情して詩鸞は言う。すると令雅は、金茶の(ひとみ)をこちらへと向け直した。 「そこで、あんただ」 「はい?」 「俺とまぐわってもらえないか」 「っ、だから……なんでいきなりそうなるんですかっ?!」  再び飛躍した話に詩鸞は声を荒らげる。だが、令雅はそれに(ひる)むことなく、じっと詩鸞を見詰め続けていた。 「旦那さまは、神託をお受けになったのですって」  蓉香(ようか)がこちらの茶器に茶を注ぎ足してくれながら、令雅の言葉足らずをそう補った。 「神、託……?」  皇宮の神廟には鳳凰(ほうおう)(まつ)祭祀(さいし)(かん)が奉仕しているが、その祭祀は時に、神たる鳳凰の託宣(たくせん)を聞くことがあるという。それのことだろうか。 「昨日のあの刻限、京城の北の廟堂に現れる、青銀の尾髪と紫黒色の眸の者。その者とまぐわえ、と、鳳凰がそう告げたらしい。それで俺は、昨日、現れるはずの神託の相手を待っていたんだ。それが、あんただった。――神託だ。あんたには、俺とまぐわってほしい」 「まぐっ、まぐわうって、なんで、そんな……!」  詩鸞は再び頬を染める。  鳥の中の鳥、翼ある者の王とされる最高神の鳳凰が、そんな破廉恥な神託をするだなんて、(にわ)かには信じ難かった。 「鳳凰は、鳳が雄、凰が雌……雌雄が合一した姿であり、陰陽(いんよう)和合(わごう)の象徴だ。まぐわえというのも、別にさほど、おかしくはないんじゃないか?」 「そ、それは、そう、かもしれませんが……いえ、そう、ですか……?」  令雅の言うことは一理あるようでもあり、しかし一方で、なんだかうまく言いくるめられているような気もする。詩鸞はもごもごと口にしつつ、そのまま何となくうつむいてしまった。  自分と交合してほしい、鳳凰のお告げだから、と、そんなことを言われても困る。だいたい、それで本当に呪詛(ずそ)が何とかなるものなのだろうか。  神廟の祭祀が授かったという神託を疑うわけではないけれども、詩鸞にとって、どうしたって、はいわかりました、協力します、と、簡単に言ってしまえるような内容ではなかった。 「……あなたはそれで……あのとき、いきなりわたしに口づけを……?」  おずおずと訊ねると、令雅は一瞬、困ったような表情をみせた。 「あれは……ほんとうに、悪かったと思っている。俺としても、あんたの協力は欲しかったが、いきなりあんなことをするつもりなど、毛頭なかったんだ……だが、なぜか、気付いたらあんたに接吻していた。衝動が止められなかった。――あのとき、神像の前にいたあんたが、ひどくきれいに見えたからかな」 「なっ、なっ、きれいって、あなた、何を言って……!」  そんな言葉に(ほだ)されてなどやるものか、と、詩鸞は耳まで赤く染めつつ、くちびるをわななかせた。 「無体の言い訳をするわけではないんだが……ああせずにいられなかったのは、鳳凰のお導きだったからかもしれないと、俺は思ってる。実際、あの接吻で、俺の呪詛があんたに移って、そのまま浄化された」 「それが……あのときの、(ほととぎす)……?」  いきなり令雅に口づけされた後、己の身体から湧き立つように生じては飛んでいった鳥の姿に思い至る。  そうだ、と、令雅は口許にちいさな笑みを()いてうなずいた。 「呪詛を受けて以来、濃くなりこそすれ、痣が薄くなったのなんてはじめてだった。だから、神託の相手は、あんたで間違いないんだと思う。――で?」 「……で、とは?」 「俺としては、あんたが神託に従って、俺とまぐわうことを了承してくれるとありがたいんだが」  (だいだい)まじりの金茶の眸を細め、すこし首を傾けて、うかがう調子で令雅が言った。  ひと房だけ赤い前髪がゆるりとゆれる。痣の浮いた腕がこちらへと伸びてくる。 「っ」  詩鸞は思わず身を引いていた。  事情は理解した。  理由のない無体ではなかったこともわかった。  が、かといってやはり、はいそうですか、ではやりましょう、と、そうはならない。なるわけがない。 「む、むりです! (つつし)んでお断わりいたします! どうぞ他を当たってください! ――わたしは神に純潔を誓った身ですから!」  詩鸞はぶんぶんと首を横に振っていた。

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