7 / 40

第7話 鳳凰の結界

「は? 断るだと!?」  はっきりと首を横に振っての詩鸞(しらん)の返答を受け、佑祥(ゆうしょう)が声を荒らげ、(つくえ)を叩いた。 「お前、将軍の話を聴いただろう。ことは国の一大事なんだぞ。それをあっさり断るとは、いったいどういう了見なんだ……!」 「そんなこと言われたって知りませんよ! そっちに事情があるように、こっちにだっていろいろあるんです!」  再びの売り言葉に買い言葉で、詩鸞は、き、と、令雅(れいが)の副官を(にら)んだ。 「なんだと?!」  対する相手もますます目を怒らせたが、詩鸞はまるで(ひる)むことなく、ふん、と、鼻を鳴らした。 「そっちこそ、なんですか。そっちの事情ばかりが優先されて、わたしの事情は無視されるとか、不公平なのは事実でしょ?」  眉を怒らせて相手を()めつけ、そう受けて立ったところで、ふう、と、しずかな溜め息が聴こえた。  吐息の主は、詩鸞の傍らに立っている蓉香(ようか)である。 「ねえ、佑祥。さっきからあなたが喋ると話がややこしくなるだけだって、わからないのかしら? すこし黙っていなさいって」  柔かな口調で、穏やかな笑みを浮かべて、けれどもそれとはうらはらに、蓉香は容赦なく指摘した。  彼女の直球の(たしな)めを受け、佑祥は、う、と、言葉に詰まっておとなしくなる。どうやら令雅の副官は、上官の乳母(めのと)()のこの女性には弱いらしかった。 「お客さま……いえ、詩鸞さま」  蓉香は今度はこちらに視線を向け、口許(くちもと)に穏やかな笑みを()いて語りかけてきた。 「(わたくし)どもも、とても無茶なお願いをしていること、十分に承知しておりますわ。でも、佑祥も申したように、ことは国の大事なのです。旦那さまは史上最年少で京城衛の将軍職にお就きになったほど優秀な御方でございますが、そんな旦那さまをしても、太風(たいふう)()(ごわ)い相手……いかな精鋭ぞろいの京城衛とはいえ、旦那さまを欠いた状態で(かな)う敵ではないのです」 「そうは、言われましても……」  詩鸞としても、彼女に真摯(しんし)な眸を向けられると、無碍(むげ)にするのも心が痛む。それでも、やはり、簡単に(うべな)うことはできそうになかった。 「……鳳凰の結界が、弱まってさえいなければ……」  ふと、佑祥が、噛むように口惜しげにつぶやいた。 「佑祥!」  それを、鋭い口調で令雅が(さえぎ)る。  佑祥ははっと口を(つぐ)んだが、詩鸞の耳はすでにその言葉を聞きとがめてしまっていた。 「鳳凰の結界……というと、京城(きょうじょう)瑛洛(えいらく)を包み込み、守っているという?」  地理的に要衝(ようしょう)となる(むら)(まち)では、祭祀官が廟堂において霊鳥を祀ることによって、妖魔の害を防ぐ加護の結界を張っている。皇帝の在所であるここ瑛洛には、最高神である鳳凰の加護が、結界の形で、授けられているはずだった。  皇帝の傍近くにいる鳳凰。神廟でその鳳凰を(まつ)ることによって、京城の周囲結界が張りめぐらされている。それがあるから、普通、妖魔は簡単には京城に近付けないのだと言われていた。  その結界が弱っているというのは、いったいどういうことなのだろうか。  詩鸞が目を(またた)いて令雅を見ると、一瞬苦々(にがにが)しい表情を見せた相手は、すぐに隠し通すことを諦めたらしく、ふう、と、ひとつ嘆息した。  ちら、と、失言をした部下をひと(にら)みしてから、あらためて詩鸞に向き直る。 「鳳凰の結界が、いま弱まっているらしい。一般には伏せられているが、もうもたないという段になったら、鐘を打って知らされることになってはいる」 「結界が弱まっているというのは……太風の出現と、関係があるのですか?」 「わからん。太風が現れたから弱まったのか、あるいは、結界が弱体化したために太風が現れたのか……ただ、叔父上――陛下はとりあえずのところ、変わらずご健勝であられる。となれば、問題があるとすれば神たる鳳凰のほうではないか、というのが、神廟の祭祀官の見解だ」 「そうなんですね。……って、陛下? 叔父上!?」  いま目の前の将軍は、皇帝のことを、叔父と呼ばなかったか。 「ああ。俺の母は陛下の同母の姉だ」 「へ、陛下の甥御(おいご)さま……じゃあ、もしかして、公主(こうしゅ)さまがこのお屋敷にいらっしゃったりもする……?」 「いや。この屋敷は、俺が将軍職を(たまわ)ったときに構えたものだ。京城衛の屯所(とんしょ)に近いほうが何かと利便性が良かったしな。父母とは別居だから、あんたもここでは気安く過ごしてくれていい」  令雅は言ったが、いっそそんなことはどうでも良い。しれっと告げられた数々の事実に、詩鸞は頭が痛くなってきてしまった。  そもそも、皇帝の同母姉の降嫁先となるくらいだから、令雅は、父方もそれなりの家柄なのではないのだろうか。  最年少の京城衛の将軍で、しかも皇帝の血縁者とは、いっそ嘘みたいな境遇だ。辺境の出身()のいち庶民でしかない詩鸞からしたら、縁のない話すぎて、実感が湧いてこなかった。  それなのに、そんな相手から、出逢って間もなく交合を迫られているとはいったい何がどうなっているのだろう。  思わず額を押さえて(うな)っていた。 「――この際ついでだから、もうひとつ話しておいていいか?」  令雅が付け足した。 「まだあるんですか。っというか、ついでって何だ……?」  詩鸞の声は、やや、げんなりした調子になってしまった。 「先程、乗騎の鳥が俺の部下の遺骸を乗せて戻ったという話をしたな。霊鳥もひどい怪我を負っていたんだが……どうも刀剣による(もの)のようだった」 「はあ……それが?」 「人の関与が疑われる。つまりは、きなくさいということだ」  令雅が重い口調で言って、詩鸞はちいさく息を呑んだ。 「それはつまり……たとえば誰かが、太風の討伐を邪魔しようとしているってことですか? でも、なんのために?」 「わからん。討伐の邪魔立て……だけならば、さほど大きな問題でもないのかもしれないが」  令雅は歯切れ悪く言った。 「伝説級の妖魔の出現に、時を同じくして、京城の結界の弱体化……これ自体は、人間の意図によって引き起こせるとは思わん。人智の外のことだ。が、この機をさいわいと、京城や、ひいては皇帝を害そうという(やから)は出てきてもおかしくない。陛下もひそかに皇宮司を動かして、探らせているようだ」 「……それって、一大事じゃないですか」  詩鸞は呆然と呟いた。

ともだちにシェアしよう!