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第11話 妥協案
「詩鸞どの……」
詩鸞からの突然のくちづけに戸惑い、令雅は何かを言いかけた。が、詩鸞はそれを制するように、ふるふる、と、首を振る。
「交合は……やっぱり、できません。わたしにも、譲れないことが、あるから……でも……接吻 でも、すこしはましには、なるんですよね? だったら……接吻 だけでいいなら、協力します」
呪詛をやわらげるための協力ならばしてもいい、と、そう告げて、詩鸞は目を閉じると、再び令雅に口づけた。
「ん……ぅ、んっ」
令雅は再びいたように息を呑んだが、すぐにその舌が、詩鸞のくちびるの中に忍び込み、こちらの舌を絡 め取った。
*
「んっ、ぅ」
令雅 のくちびるが深く重なってきた。呼吸を奪われた詩鸞 は、思わず、ちいさく呻 くような声をあげた。
身体はしっかと抱きすくめられ、大きく節ばった手指で後頭部を押さえるようにされている。もうすこし遠慮できないのか、と、思わないでもなかったが、どうやら令雅がそうするのは無意識のことのようだ。
蝕 まれた我が身を癒そうと、本能がそうされているのかもしれない。
これは治療、これは治療、と、詩鸞は心の中で唱えるようにして己に言い聞かせる。どこか必死に詩鸞に口づけてくる相手を受け入れるように、おずおずと、薄くくちびるを開いてやった。
すると、まるで長いこと待ち侘 びてでもいたかのように、すぐさま相手の舌が歯列を割って忍び込んできた。
ちぅ、ちゅく、と、湿った音が身体を通して響く。口の中を、令雅の舌先が撫で回している。
頬の内側をくすぐられ、上顎を舐められ、ぞくぞく、と、深くにも背筋に甘い痺 れが奔 った。
「こ、んな……愛撫、みたいなの……っ」
本当に治療の範疇 なのか、と、詩鸞の言葉は、そこまでは声にはならなかった。また令雅が詩鸞に深く口づけたからだった。
熱い接吻に、身体の奥に熱がともってしまう。
「ん……ん……っ」
舌を絡め取られて、じゅぅう、と、音を立てて吸われると、頭の奥が、ぼう、と、かすんだ。
「ん、んぅ……っ、ん……ぁ」
鼻にかかった、とろけた声が漏れてしまう。潤 んで涙が滲 みかけた目を、詩鸞は、ぎゅう、と、瞑 った。
「あっ……あ、ぁ……も、うっ」
気が遠くなりかけて、もう勘弁してくれ、と、詩鸞は令雅の逞 しい肩を軽く押した。
詩鸞の身体からは例によって鵑 が湧き立ち、プゥルゥグィ、と、啼 き巡 る。ひとしきり啼き声をあげていた鳥たちが窓の隙間から外へと消えた頃、令雅はようやく詩鸞を解放した。
くちびるを離して、ほう、と、息をつく。
詩鸞はそんな相手を、き、と、ひと睨 みした。
「たしかに、接吻での治療は、するって言いましたけど……」
そう。協力を申し出たのは自分のほうだ。
だが、だからといって、いまみたいに長椅子に半ば身を横たえるようにされ、圧 し掛 かられるような体勢で抱きすくめられながら、ねっとりと口中をまさぐられても良いと思っていたわけではない。
性感を掻 き立てるようなこんなやり方まで許可した覚えはないのだが、と、詩鸞は口を極めて文句を言った。
しかし、どうやら令雅にはやはり、そんな求め方をしていた自覚は皆目なかったらしい。頬を染めた詩鸞に抗議されてはじめて気がついたというように、眉根を下げて、極 まり悪そうな表情をみせた。
「すまない……あんたと口づけすると楽になるものだから、つい」
「ついって、あなたね!」
つい、で、まかり間違えば間違いをおかしそうなやり方をされたのでは、たまらない。詩鸞はむっとくちびるを尖らせた。
「だいたい、なんでこんな、長椅子に押し倒されるみたいになってるんですか」
蜚牛 の討伐から、すでに数日が経っている。が、その後も、どこそこに妖魔が出たという報があっては、令雅は度々、京城衛を率いて出撃していた。
今日も昼過ぎにまた隼 を駆って出て行ってしまった令雅を見送り、妖魔の出現って本当に頻繁なんだな、と、詩鸞が眉を顰 めてそう思ううちに、令雅はそれから一刻ほどで戻った。
が、帰宅したときにはやはり、その身の痣 は再び色を増していた。
「これくらいなら、まだ平気だ」
「そう言って、また倒れたらどうするんですか」
平気だからと言い張る相手に目を怒らせて治療を申し出たのは、今日も、詩鸞のほうだった。
滞在させてもらうことになった部屋に令雅を引っ張り込んで、自分のほうから、口づけをした――……治療なのだ。一回やったら、もう、二回も三回も四回も五回も同じである。
自棄 気味の気分で相手の襟 に手をかけて引き、伸び上がって、くちびるを押し当てた。一瞬驚いた表情をみせた令雅だったが、そのまま、おとなしく詩鸞の厚意を受け入れた――……までは、まあ、良かったといえばそうなのだが、その後が問題だった。
令雅はなぜか詩鸞を軽々と抱え上げると、長椅子に横たえ、それから長々と接吻をしたのだった。
なぜ長椅子に押し倒されなければならないのだ、と、詩鸞が目を怒らせると、令雅はきょとんとする。
「ああ……それは、あんたまた気を失うかと思って」
令雅が理由として口にするのは、初めて顔を合わせたときに加えて、過日の令雅の出撃のあとの口づけでも、詩鸞が気絶した事実だった。
あの日、詩鸞は森で、衝動的に、令雅にくちづけた。蜚牛を倒した後その場に倒れ込んでしまった令雅に、なぜか駆け寄ってしまっていた。
交合して呪詛 を解くことには諾 えないが、接吻を通して呪詛を弱められるならそれには協力してもいい、と、言ってしまった。
その後、令雅に抱きすくめられつつ熱心に口づけられたわけだ。たっぷり――たぶん線香がゆうに一本は燃え尽きるくらいの時間だ――接吻は続いただろうか。
自分の肌の一部が、斑 に墨色に染まり、じんわりと熱を持って色が濃くなったところから次々と鵑 が生じる不可思議な光景を目の端にとめながら、どうやら詩鸞は気を失ってしまったらしい。
次に目が覚めたときには、また、令雅の屋敷の寝台の上だった。
つまり、いまわざわざ令雅が詩鸞を長椅子に横たえて接吻したのは、どうやら令雅なりの配慮のつもりであったらしい。今度もまた詩鸞が気を失って倒れるようなことがあっても大丈夫なように、と、そういうことのようだった。
「あなたね……!」
なんだそれは、と、文句を言いかけた詩鸞だったが、じっとこちらを見る金茶の眸には悪気も下心も欠片もない。怒る気を削がれて、結局は、ふう、と、溜め息をついた。
妖魔の報告は頻繁だった。
だが、どうやら蜚牛ほどの大物は、あれ以降、姿を見せていないようだ。
令雅は日々出撃を繰り返してはいたし、戻ると痣 はひどくなってはいたが、蜚牛との戦いの後ほどではなかった。
令雅が戻るたびに、詩鸞は治療として、令雅に接吻をしてやっている。それで痣は薄らぎ、呪詛はおさまる。
それをもう、幾度も繰り返していた。
正直、毎日毎日、くちびるが腫 れるほどの口づけをするのは、複雑な気分ではある。
が、令雅の治療をしてやる以外の時間は、詩鸞は自由に勉学に励 ませてもらえている。この屋敷の書物を好きに借り出していいという、最高の状況で、だ。
それは田舎から出てきた詩鸞にとっては、あまりにもありがたすぎる条件だった。
「昨日も言ったが、ぜひここに逗留を……屋敷の中では遠慮なく過ごしてくれてかまわない」
令雅がそう詩鸞に言ったのは、蜚牛討伐の次の朝のことだった。詩鸞がちょうど蓉香 が運んできてくれた朝食を食べていたとき、令雅が顔を出したのだ。
そして、その言葉の通りに、相手は詩藍のために部屋をひとつ用意してくれた。そこに書卓を据えて、紙や墨も準備してくれた。ついでに書庫にも自由に出入りしてかまわないとも言ってくれた。
まあ、複雑な気分でも我慢するか、と、詩鸞はおもう。
令雅の治療と引き換えに、詩鸞は最高の環境で、試験に向けた準備が出来ているのだ。そう考えれば、まあ交換条件としては悪くないだろう。
そう自分を――なぜか言い訳するか誤魔化すかみたいに――納得させつつ、余念なく、勉強も続けていた。
なにしろ監察使の試験は、もう、明後日である。
「大丈夫か? ――鳥を生むとあんたも消耗するようだし、このまま横になって、休むか」
詩鸞を長椅子に寝かせ、折り重なるような体勢で口づけた理由を説明した令雅は、続けて、そんなふうに詩鸞を気遣った。
「ちょ、生むって……言い方っ!」
やっていることがことなだけに、なんとなく生々しい響きに聞こえてしまって、詩鸞はますます赤くなって声を荒らげた。
が、またしても令雅はきょとんとするだけだ。彼には、詩鸞が何に腹を立てているのか、まるでわかっていないらしかった。
なんだか、自分ばかりがこの口づけに一喜一憂しているみたいで、恥ずかしい。詩鸞は令雅を睨みかけ、それなのに、思わず相手から目を逸らしてしまっていた。
「とりあえず、助かった。――だいぶ楽になった」
令雅は詩藍を寝台に横にしたままで立ち上がると、ふ、と、わずかに口許をゆるめさえする。
「…………それは……よかったです」
何の衒 いもない様子の令雅の態度に、怒っている自分が馬鹿らしくなってきた詩鸞は、ちいさく溜め息をついて、部屋を出て行く令雅の背中を見送った。
令雅に抱きすくめられていた身体が、まだ、余韻を引くように熱かった。
なんだこれは、と、戸惑い、なんでもない、なんでもない、ふるふる、と、頭 を振ると、さあ勉強しなきゃ、と、気持ちを切り替えるように我が頬を軽く叩いた。
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